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中川昭一元財務・金融担当相の歩み

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衆院選で落選した中川昭一氏=北海道帯広市の選挙事務所で2009年8月30日、田中裕之撮影
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 元財務・金融担当相の中川昭一氏(56)が4日、東京都内の自宅で亡くなっているのが見つかった。自民党総裁を目指した元農相の父一郎氏(当時57歳)が、札幌市内のホテルで自殺してから26年。親子2代での「突然の死」となる。8月の衆院選では民主党候補に敗れたものの、最近は自身のホームページで「新たな決意を持って進んでいく」と再起を誓っていた。「中川王国」とも呼ばれた地元・十勝管内の支持者らには、驚きと動揺が広がっている。

 世田谷区下馬の中川氏の自宅周辺は100以上の報道陣でごった返し、国会議員らが次々と弔問に訪れ、菊の花が届けられた。遺体は午後2時半、行政解剖のため白いワゴン車に乗せられ、パトカーに先導される形でひっそりと自宅を出た。

 近所の住民によると、中川氏が現在の自宅に移って10年近くなるが、付き合いは少なかったという。近くの男性医師(54)は「数日前に自宅前で見た時は、白いワイシャツ姿で特に変わった様子はなかった」と話した。

 中川氏は一郎氏の後を継いで83年、旧衆院道5区で初当選。その際、一郎氏の秘書だった鈴木宗男・新党大地代表と骨肉の後継争いを繰り広げた。札幌市中央区の事務所で会見した鈴木氏は「まだ56歳。早すぎる。つらいというか悲しいというか、どうしてという思いが去来する。政治の世界は厳しい」と涙を浮かべて語った。

 鈴木氏は「世間で言われるほど確執はなかった。『お仕えした人の息子さん』として一歩下がってみていた」と振り返るとともに「お父さんの情、優しさが備わっていれば、もっと大きなステージがあった」と惜しんだ。

 最後に顔を合わせたのは解散前の7月。国会内で「元気か」と声を掛けられ「何とか生きています」と答えた。選挙後に顔を合わせる機会はなかったが、「こういう別れ方をするなら、話すことはたくさんあった」と沈痛な表情で語った。武部勤衆院議員(比例道ブロック)も解散前「武部さんも大変ですね」と声を掛けられ「お互いがんばりましょう」と握手したという。

 中川氏は政権の要職を歴任したが、飲酒が原因とみられる失態もたびたび演じた。04年9月に経産相に再任された際には酔ったまま初閣議に臨んだり、今年1月の衆院本会議の演説では読み間違いが26カ所もあった。2月の先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)では「もうろう会見」で辞任。その後は謝罪を繰り返し、衆院選の決起大会では断酒を宣言した。

 中川氏に勝利した石川知裕衆院議員は9月11日、自衛隊派遣隊の出迎えの時に会ったのが最後。「私が『ご苦労様です』と声を掛けたら、歩み寄り握手を求められた。身が引き締まる思いだった」と回想した。【山田泰雄、水戸健一、渡部宏人】

    ◇

 帯広市の中川後援会事務所は、窓の障子やブラインドを閉め、中の様子はうかがえない状態。時折出入りする関係者も、突然の悲報をまだ受け止め切れない表情だった。

 帯広連合後援会の岩野洋一会長によると、中川氏は今月2日、後援会の幹部会議に出席する予定だったが、妻郁子さん(50)から風邪を理由に欠席の連絡があったという。「1週間ぐらい前から体調が悪いと言っていたから、よほど調子が悪かったのだろうか」と推測した。

 9月27日には、帯広市の編田(あみだ)照茂市議の後援会主催のパークゴルフ大会に参加した。編田市議は「普段と変わらず元気だったが、ちょっと疲れている様子だった。会ったばかりなので(死亡は)信じられない」と驚いた様子。

 父一郎氏の秘書だった自民党の喜多龍一道議(十勝管内)は、先月20日に開かれた第11選挙区支部長会議で中川氏と会ったのが最後。「ちょうど総裁選の前だった。『私は個人的には西村(康稔)さんと考えているが、あくまで皆さんへのお願いではない』と話していた」と証言した。

 十勝管内音更町の主婦、山岡禎さん(70)は「十勝にとって重要な人だった。次回の衆院選を目指して頑張ってほしかったのに本当に気の毒」。帯広市の主婦、岩村淑子さん(70)は「まだいろいろな可能性がある人だと思っていた。十勝をもっともり立ててほしかったのに」と惜しんだ。

 一郎氏の代から応援していたという士幌町の元農協職員、上林政司さん(75)は「十勝の農業のために頑張ってほしかった」。音更町の自営業、中山克宣さん(64)は「親子2代で急死するとは。次回は間違いなく当選すると思っていた。病死だったとしたら、酒が命取りになったのでは」と話した。【仲田力行、金子淳】

    ◇

 中川氏は公式サイトに9月14日付で「選挙が終わって『十勝・日本が危ない』」と題するコラムを掲載。「新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます」とのメッセージを残していた。

 選挙の敗因については「逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、私が訴え続けたこのままでは『十勝が危ない』『日本が危ない』が有権者に受け入れられなかったことだろう」と総括した。

 解散時期を巡っては、麻生太郎前首相に先延ばしを強く迫ったことを明かしたうえ「選挙を負けさせ退陣に追い込んでしまった」「心から申し訳なく思っている」と心境を吐露。一方で、「あの時の判断は、その後の(経済)対策が日本と世界を上向きにしつつある現状を見ても、間違っていなかったと今でも思っている」とつづった。【鈴木勝一】

 2009年10月4日

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