【参考資料 国際法−1】
捕虜の資格
戦時重罪犯の即決処刑を否定した学説
無裁判での殺害を認めた学説
戦時重罪犯の即決処刑を否定した判決
第一モールメンタキン事件起訴理由

 


 

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 捕虜の資格
■「国際条約集 1997年版」 山本草二 有斐閣 1997年 P559
条約附属書
  陸戦ノ法規慣例に関スル規則

 第一款 交戦者
  第一章 交戦者ノ資格
第一条【民兵と義勇兵】戦争ノ法規及権利義務ハ、単ニ之ヲ軍ニ適用スルノミナラス、 左ノ条件ヲ具備スル民兵及義勇兵団ニモ亦之ヲ適用ス。

一  部下ノ為ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト
二  遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト
三  公然兵器ヲ携帯スルコト
四  其ノ動作ニ付戦争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト

民兵又ハ義勇兵団ヲ以テ軍ノ全部又ハ一部ヲ組織スル国ニ在テハ、之ヲ軍ノ名称中ニ包含ス。

交戦者の資格と捕虜の資格の関係に就いては、次の解説が参考になるでしょう。

■『国際人道法の再確認と発展』 竹本正幸 東信堂 1996年 P157、158
戦闘員が敵の手中に陥ったとき捕虜として保護されるという規則は、 戦闘員の観念と捕虜の観念とを直結せしめ、両者を同一物の表裏として眺めさせることとなった。 一九世紀中の主要な関心が合法的な戦闘員の範囲確定の問題に向けられたのは、そのためであった。 その傾向は、一八九九年のヘーグ陸戦規則の構造そのものの中に、端的に表現されているといえよう。 すなわち、陸戦規則の第一章では、合法的な交戦者資格について規定し、 第二章で捕虜の享有する保護の内容について定めているが、何人が捕虜とみなされるかについて 全く言及していない。 第二章にいう捕虜は、第一章に定められた交戦者であることが当然のこととして前提されているのである

とくに説明の必要はないと思いますが、要するに交戦者の資格を満たしていない者には捕虜の資格が認められないということです。
そして、第一条の条文を読むと、正規軍は無條件で交戰者の資格が認められるようにも読めますが、実際は、正規軍も民兵や義勇兵と同じように、四つの條件を滿たさなければなりません。

■「戦時国際法論」 立作太郎 日本評論社 1931年 P54
 上述の正規の兵力に屬する者も、不正規兵中、民兵又は義勇兵團に必要とする後述の四條件を備へざることを得るものではない。正規の兵力たるときは、是等の條件は、當然之を具備するものと思惟せらるるのである。正規の兵力に屬する者が、是等の條件を缺くときは、交戰者たるの特權を失ふに至るのである。

■「上海戦と国際法」 信夫淳平 丸善 1932年 P114
 現交戦法規の上に於て認めらるゝ交戦者は、第一には正規兵、第二には民兵(Militia)及び義勇兵団(Volunteer Corps)にして(一)部下のために責任を負ふ者その頭に立ち、(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有し、(三)公然兵器を携帯し、(四)その動作に付戦争の法規慣例を遵守するといふ四条件を具備するもの(正規兵も是等の条件を具備すべきは勿論である

次の藤田久一の学説もよく引用されるようです。

■新版「国際人道法」増補 藤田久一 有信堂 2000年 P83、84
外国人雇兵や職業軍人を中心とした絶対王制時代、さらにフランス革命を契機に国民皆兵制度が普及した近代国家の初期の段階においては、交戦者資格をとりたてて問題にする必要もなかった。この問題が直接論じられたのは、普仏戦争での francs-rireurs の経験の後に開かれた一八七四年ブリュッセル会議においてであった。同会議では、組織された正規軍にのみ合法的交戦者資格を限定しようとする強力な軍隊を擁する国と、とくに敵軍の侵入の際または占領地域での人民の防衛の権利を認めようとする弱小国、あるいは民兵制度などを採用している国の主張が対立した(1)。この対立を妥協させる規定として採択されたブリュッセル宣言案九、一〇条は、ほぼそのまま一八九九年ハーグ規則第一章「交戦者ノ資格」一、二条となった。それによると、戦争の法規および権利義務は、軍に適用されるのみならず、次の条件を具備する民兵および義勇兵団にも適用される。すなわち、(@)部下の為に責任を負うものがその頭にある事、(A)遠方より認識しうる固着の特殊徽章を有すること、(B)公然武器を携行すること、(C)その動作につき戦争の法規慣例を遵守すること、である。なお、民兵または義勇兵団をもって軍の全部または一部を組織する国においては、これを軍の名称中に包含する(一条)。また、占領されていない地方の人民で、敵の接近するにあたり、一条により編成をするいとまなく、侵入軍隊に抗敵するため自ら兵器を操る者が公然武器を携行し、かつ戦争の法規慣例を遵守するとき(いわゆる群民兵[levee en masse ])、これは交戦者と認められる(二条)
 これらの規定から判断しうることは、ここにおける「軍」とは正規軍のことであり(しかしその定義は与えられておらず、各国の定めるところに委ねられている)、それは無条件で当然交戦者の権利が認められ(2)、民兵および義勇兵団には右の四条件が、そして群民兵には二条件がみたされた場合にのみ交戦者資格が認められることである。これは、交戦者資格について、いわば無条件の正規軍と条件付の不正規軍(兵)という二元構想が戦争法上確立されたことを意味しよう。このことは、当時の戦争において正規軍間の戦闘が一般であり、不正規軍によるゲリラ戦は例外とみなされていた状況および西欧諸国中正規軍を中心に自国軍を編成する国が多数を占めていたことを反映している。このように、不正規軍は正規軍より不利な条件ではじめて後者とならぶ交戦者の権利を得ることができたといえる。

この解説も一見すると、正規軍は無條件で交戦者の資格が認められるような印象を受けますが、よく読むと次のように書かれています。

「これらの規定から判断しうることは(以下略)」

これらの規定とは、ハーグ陸戦法規第一条、第二条のことですから、要するに明文規定を前提にした解説ということになるでしょう。国際法は明文規定だけでなく、不文律も含むものですから、これだけから正規軍は無條件で交戦者の資格が認められると判断するのは早計ということになります。

現に註釈には次のような解説があります。

■新版「国際人道法」増補 藤田久一 有信堂 2000年 P90
(2)これは、正規の軍人の指揮する軍艦および航空機にも該当する。なお、正規の軍人は一般に制服着用を必要とするが、軍艦、航空機はそれに一定の外部標識を付ければ十分である。

つまり、正規兵も制服が必要ということになります。これは、交戦者の資格の内「遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト」に該当します。このことから明文規定上は無條件でも不文律においては、無條件ではないことがわかります。

では、交戦者の資格を持った兵隊に与えられる特権とは、どのようなものなのでしょうか?

■「戦時国際法論」 立作太郎 日本評論社 1931年 P54
所謂交戰者たるの特權の主要なるものは、敵に捕らへられたる場合に於て、俘虜の取扱を受くる の權利を有することに在る(ハーグ陸戰條規第三條第二項参照)。俘虜の取扱を受くるの權利は、 戰時重罪人として處罰されざること及び國際法規及條約の認むる俘虜の地位に伴ふ一定の取扱を受くることを確かむるものである。

つまり交戦者の特権とは次の二つということになります。

(a) 戦時重罪人として処罰されない
(b) 国際法規及条約の認むる俘虜の地位に伴ふ一定の取扱を受けることができる(捕虜の待遇の保障)

なぜこの二つが必要なのでしょうか?

もし (a) だけの場合はどうなるでしょう。
この場合は戦時重罪人として処罰されることはありませんが、 捕虜の待遇は保障されませんから、仮に捕虜になったとしても、殺されてしまうかもしれません。 もちろん裁判なども期待できないでしょう。 またその他さまざまな虐待(食糧を断つ等)をうける可能性も考えられます。

次に (b) だけの場合はどうなるでしょう。
この場合は、捕虜の待遇は保障されるので、むやみに殺されることはありませんが、戦時重罪人として処罰(当然死刑の場合もあり)されることが考えられます。

つまり兵隊が敵に捕まった場合に、その命を保障するためには、どうしても上記二つの 権利が必要であることがわかります。 逆に言えば、捕虜の資格がない場合は次の二つの可能性が考えられることになります。

(c) 戦時重罪人として処罰(当然死刑の場合もあり)されるかもしれない
(d) 国際法規及条約の認むる俘虜の地位に伴ふ一定の取扱を受けられない(殺害されるかもしれない)
 


 戦時重罪犯の即決処刑を否定した学説
便衣兵に関する議論では、即決処刑をどう解釈するかによって、 便衣兵狩りの評価が変わってきます。
ここでは、即決処刑を 否定した学説を紹介します。

■「戦時国際法論」 立作太郎 日本評論社 1931年 P49  
凡そ戰時重罪人は、軍事裁判所又は其他の交戰國の任意 に定むる裁判所に於いて審問すべきものである。 然れども全然審問を行わずして處罰を爲すことは、現時の國際慣習法規上禁ぜられる所と認めねばならぬ

「裁判所に於いて審問すべき」ということですから裁判を想定していると考えて良いでしょう。
そして「凡そ戰時重罪人は」と書かれていることから、犯罪で処罰することを前提にしていることがわかります。

■「北支事変と陸戦法規」篠田治策 外交時報84巻通巻788号
   昭和12年10月1日 (8月28日稿)  P54、55
 
軍律に規定すべき條項は其の地方の情況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所爲ありたるものは死刑に處するを 原則とすべきである。
 一、間諜を爲し及び之を幇助したる者
 二、通信交通機関を破壞したる者
 三、兵器彈藥其他の軍需物件を掠奪破壞したる者
 四、敵兵を誘導し、又は之を藏匿したる者
 五、我が軍隊軍人を故意に迷導したる者
 六、一定の軍服又は徽章を著せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
 七、軍隊の飮料水を汚毒し、又軍用の井戸水道を破壊したる者
 八、我が軍人軍馬を殺傷したる者
 九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
 十、戰場に於いて死傷者病者の所持品を掠奪したる者
十一、彼我軍隊の遺棄したる兵器彈藥其他の軍需品を破壞し又は横領したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戰地に於いては動も すれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることあるが爲である。軍律の適用は峻嚴なるを以て、一面にては特に誤判無きを 期せねばならぬ。而して其の裁判機關は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。

「犯罪者を處罰するには」ということですから、犯罪で處罰することを前提にしていることになります。

■「上海戦と国際法」 信夫淳平 丸善 1932年 P125、126  
 便衣隊は間諜よりも性質が遙に悪い(勿論中には間牒兼業のもある)。 間諜は戰時公法の毫も禁ずるものではなく、その容認する所の適法行爲である。 たゝ間牒は被探國の作戦上に有害の影響を與ふるものであるから、作戦上の利益の 防衞手段として戰時重罪犯を以て之を諭ずる權を逮捕國に認めてあるといふに止まる。 然るに便衣隊は交戰者たる資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから、 明かに交戰法規違反である。その現行犯者は突如危害を我に加ふる賊に擬し、 正當防衞として直ちに之を殺害し、叉は捕へて之を戰時重罪犯に間ふこと固より妨げない

 たゞ然しながら、彼等は暗中狙撃を事とし、事終るや闇から闇を傳つて逃去る者で あるから、その現行犯を捕ふることが甚だ六ケしく、會々捕へて見た者は犯人よりも 嫌疑者であるといふ場合が多い。嫌疑者でも現に銃器彈藥類を携帯して居れば、 嫌疑濃厚として之を引致拘禁するに理はあるが、漠然たる嫌疑位で之を行ひ、 甚しきは確たる證據なきに重刑に處するなどは、形勢危殆に直面し激情昂奮の 際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも、理に於ては穏當でないこと 論を俟たない。

「理に於ては穏當でない」については、国際法違反と解釈するのが一般的な様ですが、個人的には国際法違反と言う解釈には、反対です。なぜならば、わずか数行前に次のように書かれているからです。

「便衣隊は交戦者たる資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから、明かに交戦法規違反である」

もし確たる証拠も無く重刑に処すのが、違法なら、こちらも「交戦法規違反」と書くのではないでしょうか?

以上の理由から、「理に於ては穏當でない」の「理」とは、国際法という意味ではなく、もっと漠然とした道徳とか、倫理のようなものを意味している可能性が高いと思います。
仮に「理に於ては穏當でない」を国際法違反と解釈したとしても、「戦時重罪犯に問ふ」ということですから、犯罪で処罰することを前提にしていることになります。

これらの学説は、いずれも犯罪者の即決処刑に否定的な学説といえるでしょう。 しかし、犯罪者としてではなく、軍人として無裁判で殺害することに関しては、なにも言っていません。


 無裁判での殺害を認めた学説
犯罪者を処刑する際には、裁判が必須とするのが、学説上は一般的のよう ですが、単に軍人として殺害する場合は、どうなのでしょうか?

■「万国戦時公法 陸戦条規」 有賀長雄編 陸軍大学校 1894年 P133
敵ノ偵察ヲ發見シタルトキ之ニ對スル處分ハ普通敵兵ニ對スルモノト同一 ナルヘシ、即チ殺傷又ハ捕擒ナリ、而シテ假令殺害スルモ審判ヲ經ヘキ必要 ナキト同時ニ其ノ死ハ必ス軍人ノ名譽ヲ害セサルモノ 即チ銃殺タルヲ要ス。 捕擒シタルトキハ之ヲ俘虜トシテ取扱フヘシ、之ヲ殺害スヘカラス。 軍人ニ非サル者若シ敵ノ使嗾ニ依リ我カ情状ヲ探窺スルヲ發見シタルトキハ 陸軍刑法ニ依リ罪人トシテ刑罰ニ處スヘシ日本陸軍刑法第五十四條ハ常人ニモ適用スヘキモノナリ

これは偵察についての解説なのですが、「普通敵兵ニ對スルモノト同一ナルヘシ」ということですから、普通敵兵にも適用できる ことになります。

ここで「發見」という言葉が使われていますが、この点については注意が必要です。

通常、発見という言葉には、何かを見つけるといった意味しかありませんが、ここで使われている「發見」には、 拘束という意味が含まれています。 これは「審判ヲ經ヘキ必要ナキ」とか「罪人トシテ刑罰ニ處スヘシ」という記述から、分かります。

まず、「審判」を行うためには、その前に偵察なり普通敵兵なりを、拘束しなければなりません。 拘束しなければ、「審判」を行うことはできませんから。 そして、審判が不可能な状況であれば、わざわざ「審判ヲ經ヘキ必要ナキ」などと書かないでしょう。

これは、「刑罰」についても同じです。 「刑罰ニ處ス」ためには当然、拘束する必要が生じます。 よって、ここで言う「發見」には、見つけるという意味だけではなく、拘束という意味も含まれていることになります。

また、殺害の手段が銃殺に限定されていますが、実際は通常の戦闘方法(例えば銃剣による刺殺や刀剣による斬殺など)でも、かまわないと考えられます。
通常の戦闘方法なら、軍人の名誉は傷つかないからです。このことから、銃殺はあくまで原則であり、状況(弾薬を節約しなければならない等)によっては、他の戦闘方法で殺害しても問題ないと考えられます。

ただし、「捕擒」すなわち捕虜として收容するのであれば、捕虜の待遇を保障する必要があり、この場合は、殺害することは認められません。

では、軍人にとって、名誉ある死と不名誉な死は、何が違うのでしょうか?

有賀は軍人としての名誉ある死と罪人としての不名誉な死について、次のように述べています。
■「万国戦時公法 陸戦条規」 有賀長雄編 陸軍大学校 1894年 P161
若シ特ニ國家カ鬪戰ノ爲ニ使用スル人員ニ非サル者即チ普通人民ニシテ敵ニ危害ヲ加ヘタルトキハ 敵ハ之ヲ戰爭ノ爲ニ働ク者ト視ルヘキ義務ナク、私利ノ爲ニ危害ヲ軍隊ニ加ヘントスル者ト看做スヲ 以テ、戰規ニ依ラス、罪人トシテ軍律ニ依リ處斷スヘシ、 之ニ反シ軍人タルコト明白ナル者ハ例ヘハ間諜ト爲リテ敵ニ見顯ハサレタル場合ノ如キ到底死刑ヲ免レサルヘシト雖尚ホ軍人トシテ名譽ノ死ヲ遂クヘク、罪人トシテ汚辱ヲ被ルコトナシ。

これによると、軍人としての名誉ある死と罪人としての不名誉な死は、別であることがわかります。

当時、罪人の処刑方法としては絞殺が一般的でした。(東京裁判の死刑囚も絞殺(絞首刑)されました) 故に、軍人としての名誉を考慮するのであれば、絞殺は認められません。

これについては、次の解説が解り易いと思います。

■「戦時国際法要論」 高橋作衛著 清水書店 1905年 P94、95
第一款 偵 察
偵察ト間牒トノ差ハ偵察ハ戦闘員ニシテ敵状探知ノ為メ敵地ニ入リ間諜ノ如 ク仮装ヲ為サス又陰密ニ其ノ目的ヲ達セントセス一見シテ敵ノ偵察タルヲ知 ル可キニアリ偵察ニ対スル処分ハ之ヲ俘虜トナスコトモ両者ノ差ニシテ偵察 ハ之ヲ銃殺スルモ絞殺スルコトヲ得ス
軍人ニアラサル者敵ノ為メニ我情状ヲ探知スル時ハ陸軍刑法ニヨリ罪人トシ テ刑罰ニ処ス(比第二三條裁第二四條海第二九條)

第二款 密 使
密使トハ敵軍ノ為メニ書信ヲ斎ラシテ使スル軍人又ハ軍人ノ命ヲ報スル常人 ナリ是等ノ者若シ捕ヘラレタルトキハ如何二処分ス可キヤ此ノ密使ハ間牒ニ アラス何トナレハ其ノ目的ハ交通音信ニアリテ敵情探知ニアラサレハナリ之 ニ対スル処分ニ付テハグエユ巻ノ二、百三十四頁並ニホールノ百八十八説ニハ 軍人トシテ名誉ノ死ヲ遂ケシム可シト論シブルンチュリーハ俘虜トナス可シト 云ヒリューダーハ偵察ト同視スヘシト云ヘリ此ノリューダーノ説ハ正当ニシテ密使 ハ俘虜トナスコトヲ得又銃殺スルヲ得トスルヲ可トス(此第二三條、裁第二四 條、海第二九條)

これは、偵察と密使についての解説なんですが、偵察の処分について「俘虜トナスコトモ両者ノ差ニシテ」(つまり偵察には、間諜と違つて捕虜資格がある)とした上で「銃殺スルモ絞殺スルコトヲ得ス」とあります。 つまり、銃殺は可、絞殺は不可ということになります。

これは有賀の学説と考え合わせると、銃殺は軍人にとって名誉ある死、 絞殺は、罪人としての不名誉な死ということになるでしょう。

つぎに、密使を「捕ヘラレタルトキ」の処分については、「銃殺スルヲ得トスルヲ可トス」ということですから、銃殺にしてかまわないことになります。

そして、これは、無裁判での殺害と考えられます。

どういうことかというと、まず、「俘虜トナスコトヲ得」という記述から、密使には捕虜資格が有ることがわかります。 捕虜資格が有る場合は、戦時重罪に問われることはありませんから、仮に裁判に掛けたとしても無罪にしかなりません。
無罪になると解っているものを裁判に懸けても意味がありませんから、この場合の銃殺は無裁判での銃殺と考えられるわけです。

また、裁判で無罪が確定した後に銃殺したとしても、これは、無裁判での殺害と変わりません。 無裁判での殺害は、推定無罪の者の殺害を意味するからです。 裁判で無罪が確定した後に殺害するのも、推定無罪で殺害するのも、無罪の人間を殺害することに、 変わりはありません。

要するに、無罪の人間の殺害が認められるのであれば、裁判の有無は関係ないわけです。

これらの学説から分かることは、敵兵を犯罪者としてではなく、 単に兵隊として殺害するのであれば、無裁判でもなんら問題は無いということです。


 戦時重罪犯の即決処刑を否定した判決
これは、ニュールンベルク裁判についての解説です。

■「戦争・テロ・拷問と国際法」 アントニオ・カッセーゼ 曽我英雄 訳 敬文堂 1992年 P133
ヒットラーおよびその側近たちの命令の中でとくに触れておきたいのは、以下の命令である。
まず、ソヴィエトの政治警察員を裁判にかけることなく処刑した一九四一年の命令である。おなじく、一九四一年にはカイテルによって悪名高い命令「バルバロッサ」が出され、それは侵攻するドイツ軍 に対して戦うパルチサンや敵国市民を裁判無しに殺害することを命じたものであった。さらに、一九四一年にヒットラーによって出され、カイテルが著名した別の命令は「夜と霧」と呼ばれ、ドイツ占領軍に対して戦っている「ドイツ人でない市民」を裁判にかけることなく処刑するものであった。 最後に、一九四二年のヒットラーによる命令はサボタージュをしているコマンドを裁判にかけることなく処罰するものであった。
 裁判所は被告人の主張を認めなかったけれども、被告人のうちの何人か(とくに陸軍元帥ウィルヘルム・フォン・レープ)がヒットラーの命令に何らかの方法で反対しようとしたり、ある場合には命令の実行を遅らせたりあるいは和らげたりした、という事情に留意した。しかし、裁判所は確固たる態度をもって原則を適用し、同時に先例において明示された新たな理由もつけ加えた。また、裁判所は、すべての違法行為に対する責任をヒットラーに負わせるのはまったくばかげている、と述べた。そして、裁判所は、被告人が引用した指示命令は国際法に違反すると判断した。とくに、占領軍に対して犯罪を行った嫌疑で告発された市民あるいは軍人については常に裁判が行われなければならない、という国際法規則に違反するとした。

ドイツの場合は、パルチザンや抵抗する市民を裁判なしで処刑したことが裁かれました。
つまり、争点は初めから無裁判での処刑だったわけです。 その裁判で、わざわざ「犯罪を行った嫌疑で告発された市民あるいは軍人」に限定した上で「裁判」が必要であるという判断が下されたということです。
無裁判での殺害がすべて違法ならば、犯罪で告発された場合に限定する必要は有りません。


 第一モールメンタキン事件起訴理由
まず、第一モールメンタキン事件とは、どんな事件なのか?
その概略を見てみましょう。

■「孤島の土となるとも―BC級戦犯裁判」 岩川 隆 講談社 1995年 P214〜215
英印軍の戦車集団はマンダレーから南下、突進して五月四日にはラングーンを占領する。敗走する日本軍のさきには後方攪乱を目的とするゲリラ部隊が出没し、日本軍や一般人の家族などをも襲撃していた。ここで軍は、これらのゲリラ部隊討伐の命令を発し、ゲリラと判明した者たちは厳重に処分するよう末端の部隊にまで徹底した。
 ビルマ憲兵隊は、このような状況下で、軍の作戦にともなって野戦憲兵として懸命な活動をみせた。治安維持につとめたばかりでなく、食糧確保や住居・収容所の設置にも駆けまわった。日本軍や邦人などがモールメンに退いてからはモールメン憲兵分隊(ビルマ第二憲兵隊)の活動も不眠不休で続き、日本人側にとってはきわめてありがたい存在であった。
 ゲリラ部隊の暗躍に悩まされたモールメン憲兵分隊は、軍の命令にもとづいてモールメン地区および近郊を探索した。その結果、ビルマ防衛軍の反乱と関連してゲリラ活動をおこなっていると思われる現地民およそ八十名を逮捕し、取り調べの末に、二十六名を残した。多くはその地域のボスといっていい存在の人物たちであった。この摘発を直接におこなったのは東登憲兵大尉以下十七、八名の分隊である。
 ゲリラ活動の指導者や実行者に間違いないと判断して、東分隊はこれら二十六名(ほかは釈放)をモールメン郊外のデャイマロ七マイル(十一キロ)の地点に連行し、全員を射殺し、処刑する。ゲリラを討伐せよというのは全軍の死活に関する命令であり目的であったし、東登大尉も憲兵隊の指揮系統を配慮するような余裕はなかった。

この事件は、戦後の軍事裁判で裁かれましたが、 その起訴理由は次のようなものでした。

■「BC級戦犯裁判英軍資料(上)」より第一モールメンタキン事件起訴理由概要
   茶園義男 編・解説 不二出版 P106
昭和廿年七月モールメン郊外に於てビルマ囗市民及政府要人廿六名を反日行動の罪ありとして軍律会議を経ることなく殺害した

「反日行動の罪」ということですから、日本軍はゲリラとみなした現地民を犯罪者として処刑したことになります。
にも拘らず「軍律会議」を行わなかったことが問題となり、軍事裁判に掛けられたわけです。
やはり犯罪者として裁くのであれば、裁判が必要であることが、この例からもわかると思います。


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