(1)便衣兵2万がどんな史料にも出てこないか?


便衣兵関係全二ページ
(1)便衣兵2万がどんな史料にも出てこないか?
(2)資料検証


トンデモ本の世界「R」P18 大田出版 と学会著 
山本氏の主張

 さらに小林氏は、「南京の安全区に二万人の国民党ゲリラが入り込み、日本兵に化けて略奪・強盗・強姦・放火を繰り返し、これをすべて日本軍のしわざに見せかけていた」と、それこそ『南京戦史』をはじめどんな資料にも出てこない仰天の珍説を平然と書く。
 二万人ものゲリラがいたなら、日本軍に対して組織的な抵抗を示したはずだし、日本側の資料にもその存在が書かれていなければおかしい。何の撹乱工作もせず、せっせと同胞を襲撃してばかりいたというのか?

 安全区に万単位と推定される中国兵が潜伏したのは事実ですから、どんな史料にも出てこないというのは嘘になります。トンデモ本の世界「R」のあとがきで、山本氏は「南京大虐殺関連の本はもう30冊以上読んだ」としていますので、山本氏は南京問題に関する基本文献は、ほぼ目を通していると考えてよいと思いますが見落としちゃったのかな?


 ちなみに山本先生「 ご推薦 」の『南京大虐殺否定論13のウソ』にもこのような資料が引用されています。

『南京大虐殺否定論13のウソ』P200 柏書房 南京事件調査研究会編

「なお潜伏二万五千 敗残兵狩り続く 外国権益を特別保護」
敗残兵にして便衣に着替えている市中に潜伏するもの二万五千名と推定されているので、我が軍は清掃(粛清)に努力し、一方敗残兵の嫌疑あるものは取り調べ、老人婦女子に保護を加えている〜以下略〜」
(東京朝日新聞1937年12月16日)


ニューヨークタイムズ 1937年12月17日(ハレット・アベンド記事)

 昨日南京の日本軍司令部は、南京城内で一万五〇〇〇人以上の捕虜を得たと発表した。市内には、このほか軍服を捨て、武器を隠し、平服を着た兵士二万五〇〇〇人がいると信じられている。

(南京事件資料集・アメリカ関係資料編P415 青木書店)



当時、安全区国際委員会委員長だったラーべの記述
『南京の真実』P136 
ジョン・ラーベ著 講談社文庫

十二月十六日
(略)
 たったいま聞いたところによると、武
装解除した中国人兵士がまた数百
人、安全区から連れ出されたとい
う。銃殺されるのだ。そのうち五十人
は安全区の警察官だった。兵士を安
全区に入れたというかどで処刑され
るという。
『南京の真実』P358-359 
ジョン・ラーベ著 講談社文庫
(ドイツ帰国後の公演原稿・ヒットラー
宛の上申書) 

 しかしながら、またしても私は思い
違いをしていたのです!
 この部隊の兵士全員、それからさ
らに、この日武器を捨てて安全区
に逃げ込んだ数千人の兵たちも、
日本軍によって難民のなかからより
わけられたのです。みな、手を出すよ
うにいわれました。銃の台尻を握った
ことのある人なら、たこができることを
ご存知でしょう。
きっちり潜伏してますがな…

 便衣兵による大規模な反乱がなかったのは、反乱が起こる前に日本軍が早期に摘発したからです。南京陥落は12月13日です。16日には大規模な便衣兵摘発が行われています。その後1月上旬まで摘発は継続されています。南京戦史の統計では摘発総数は約1万人です。





便衣兵による強姦、かく乱工作
トンデモ本の世界「R」P18 大田出版 と学会著 
山本氏の主張
 
 さらに小林氏は、「南京の安全区に2万人の国民党ゲリラが入り込み、日本兵に化けて略奪・強盗・強姦・放火を繰り返し、これをすべて日本軍のしわざに見せかけていた」と、それこそ『南京戦史』をはじめどんな資料にも出てこない仰天の珍説を平然と書く。


マジですか、山本さん(笑


中国兵が潜伏中に反日撹乱工作を行ったという資料を探してみました。
『再審 南京大虐殺』 P151 明成社 
日本会議国際広報委員会、 大原 康男、 竹本 忠雄著

 ラーベ日記2月3日の部分にラーベが転載した『大陸報(チャイナプレス)1月25日』の記事。(但し、日本語版では該当部分は削除されている)
---------以下引用----------------
中国軍の将校が隠れていた!
報道によると、高級将校が外国大使館に隠れていた。12月28日に安全区で摘発、高級将校23名、初級将校54名、下士官、兵1498名。南京保安隊長は難民区4区の工作を指導、八八師副師長馬宝山中将と警察局高官もいた。馬将軍は反日感情と動乱を扇動、王新蕘保安隊長は部下3名と掠奪強姦市民に対する脅迫をしていた。
 また、発見された武器は、大砲一基、チェコ製マシンガン21丁、ライフル50丁、手榴弾7000発などである。
----------------------------------
(『The Good man of nanking』 172-173  ラーベ日記の英語版)

馬宝山 (マーポーシャン)
王新蕘 (ワンシンロウ)
以上は、音訳を漢字に当てたものと思われる。

『南京虐殺の徹底検証』P277 展転社 東中野修道著

■馬中将は安全地帯で反日撹乱行為を扇動
 また上海でアメリカ人が発行する『チャイナプレス』(1938年1月25日号)も同じ事を報じている。それによれば、12月28日現在で、外国大使館から、支那軍の将校23名と、下士官兵54名、兵卒1498名が摘発された。これは、12月24日からの住民登録の結果でもあった。つづけて「チャイナプレス」1月25日号は、その前日公表された南京日本軍憲兵隊の報告書を引用する。

≪ その報告書の主張するところによれば、彼らの中には南京平和防衛軍司令官王信労(ワンシンロウ音訳)がいた。かれは陳弥(チェンミー音訳)と名乗って、国債費難民地域の第四部門のグループを指揮していた。また、前第八八師の副師長馬?香(マーポーシャン音訳)中将や、南京警察の高官密信喜(ミシンキ音訳)もいるといわれている。馬中将は安全地帯内で反日撹乱工作の扇動を続けていた、と言われる。また、安全地帯には黄安(フワンアン音訳)大尉のほか17人が、機関銃1丁ライフル17丁をもってかくまわれ、王信労と3人の元部下は掠奪扇動強姦に携わったという ≫
 安全地帯内に潜伏中の支那軍将兵が悪事を働いたのである。

報道によればやってますなぁ。


■上二つは同じ記事かと思われますが、訳の妥当性を検証するために引用しました。

 潜伏した中国兵が、略奪、強姦、(市民を脅迫しての)扇動を行ったという史料はあるじゃないですか、山本さん(笑
 国際委員会委員長のラーベも日記に記録してますよ。



ちなみに事件を裏付ける日本側史料
『南京戦史資料集』P232
 飯沼守(少将、上海派遣軍参謀課長)日記
1月4日(快晴)
憲兵は南京難民区区域或いは外国大使館に潜伏しある不逞徒を捕らえつつあり。八八師副師長など主なる者なり。

 88師の副師長ということで情報が一致していますから、事件があったのは間違いないと思います。




さらに追加

南京事件資料集・アメリカ関係資料編P444 青木書店
『ニューヨーク・タイムズ』1月24日上海発 ハレット・アベンド

「本報告の報じる南京における査問会議は、難民キャンプおよび非軍事化されたはずの安全区に中国人将校23名下士官54名、兵士1498名が隠れていた、その内の一部は掠奪の件で処刑されたということを明らかにした。これらの高級将校の一部は、大使館、領事館、その他中立国旗を掲げた建物に避難している事が、特に強調された。

 これらの平服の中国軍将校及び副官は、明らかに多くの場合大量の軍需物資を隠匿していた。某国大使館近くと特に曖昧に言及された一防空壕の捜索では、軽砲1、機関銃34、小銃弾42.000、手榴弾7000、砲弾500、迫撃砲2.000が発見された。

 記者側から質問を浴びせられて、日本の報道官は中国軍は全大使館員が退去した後に構内に入ったものであることを認め、いずれかの非中立的な外国が紛糾を起こしたと示唆しようというのではない、と言った。その大使館の国名を挙げるように強く求められたが、報道官はこう言って返答を避けた。「この問題については皆さん自信の回答にお任せしましょう。」

何の為にこんなに大量の武器を隠匿していたのでしょうかね?
観賞用ってことはないと思いますが…



『南京虐殺の徹底検証』P275 展転社 東中野修道著

 それが、1938年1月3日上海発の『ニューヨーク・タイムズ』の記事(1月4日付)である。
 「元支那軍将校が避難民のなかに---大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」と題する記事は、次のように言う。以下は全訳である。

≪南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
 この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。
 この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう≫

 
 この記事は、どういう訳か「南京事件資料集には収録されなかった」記事で、意図的なものかそれともただ単に発掘できなかったのかは、判断ができません。一部において、この記事が捏造である( 存在しない )という事を言う方もおられますが、この記事の存在を否定している学者・研究者はおりませんので、ネットを駆け回るデマに惑わされないようにお願いいたします。

 訳について、"rape"は強姦と訳すとは限らないとか、戒厳令という表現はおかしい、というような議論はありますが、資料として存在する事は事実です。便衣兵たちは少女を暗闇に引きずり込んで何をしたのでしょうか…。

 南京関係の議論は、これらの資料存在を認めた上で「摘発はあったかもしれないが、それだけでは中国兵が強姦をやったと言う証拠にはならない」というような議論をするわけで資料が存在しないという議論は論外です。
 


結 論
 以上のように、安全区に潜伏した便衣兵が、強姦や略奪を行ったという史料はあります。どんな資料にも出てこないのではなく、単に山本さんが基礎資料を知らないだけです。

 安全区に潜伏した便衣兵の大部分は、早い時期に摘発されていますが、摘発を逃れた便衣兵は、武装蜂起のタイミングを図りつつ、日本軍が強姦や略奪を行っているという偽情報を流していたのでしょう。
 


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