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コラム

相場英雄の時事日想:20年前から“押し紙”はあったのだ……大手新聞社のタブーに迫る (2/2)

[相場英雄,Business Media 誠]
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潔いディスクロージャーを

 20年ほど前、筆者は極端な貧乏学生だった。新聞販売店に住み込み、朝夕刊の配達や集金、販売促進の仕事をこなしながら学校に通っていた経験を持つ。

 住み込んでいたのは、都下の某在京紙の販売店。ある日、地場スーパーの経営者が販売店に怒鳴り込んでくる一幕があった。

 スーパー経営者の怒りの根源は、販売店が提示した部数と、実際の配達部数にズレがあることだった。販売店側が示した部数と同じだけチラシを刷ったものの、印刷業者が内緒で本当の配達部数を教えてくれたことで、“押し紙”の存在を知ったのだ。

 地場スーパー経営者は、余計に刷ったチラシの印刷費を返還せよと、至極真っ当な要求を持ち込んだのだ。

 これを現在の状況に置き換えると分かりやすい。地場スーパーと大手企業の広告宣伝費ではゼロのケタがいくつも違うが、商行為のモラルという点では、新聞社側に言い訳の余地はないはずだ。

 筆者が販売店にいたころ、「押し紙」という言葉は聞いたことがなかった。だが「残紙」という言葉があったことを鮮明に記憶している。販売店の実力以上に新聞社が紙を割り当てた結果、配る見込みもないままに売れ残った紙、という意味。週に1回、産業廃棄物を専門に扱う業者さんが販売店にトラックを乗り付け、梱包が解かれていない残紙の束を大量に回収していく姿は、強烈な印象を筆者に植え付けた。

 翻って現在。筆者が住む住宅街にも大手紙の販売店がある。筆者が注意深くみていると、週に1回、あるいは2回の割合で配送のトラックとは全く別の業者の車両が店先を訪れ、梱包を解かないままの束を回収していく姿を目にする。

 20年ほど前から、残紙=押し紙は確かに存在した。そして、昨今の新聞離れの加速とともに、この分量は確実に増えているというのが筆者の見立てだ。

 「景気が回復すれば、従来のように広告は戻ってくる」――。ある大手紙編集幹部はこう高をくくっているが、この考えが甘いとみるのは、筆者だけではないはずだ。この際、潔く実売部数をディスクローズする新聞社が現れることを、多くの読者が望んでいる。

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