先週の県内最大のニュースは、今月1日に広島地裁であった福山・鞆の浦の埋め立て・架橋計画の差し止めを求めた訴訟の判決でした。ご存じのように、県に差し止めを求める画期的な判決となりました。2日の社説でも書いていましたが、開発か景観かの2項対立を乗り越えて、たぐい稀な景観を大事にしながら、住民の皆さんの利便性を向上させる取り組みを、私たちも一緒になって考えていくきっかけになってほしいと願います。
「とても無理な注文だ」。そんな声が聞こえてきそうです。話は飛ぶようですが「人とは何でしょうか」。その回答に正解はなく、答え自体に、その人の人生観が色濃く反映されるとてもおもしろい問いだとは思いませんか。ある学者は「環境を作り変えた生き物」と答えています。農耕という人類最大の発見は、人が定住する道を切り開きました。そして、その土地で生きることは、周りの自然を人が生きるために作り変えることでもありました。それは故郷という意識をはぐくみ、やがては国といった概念に結びついていったのでしょう。
おもしろいのは農耕の起源ではないか、と思われるトルコで見つかった遺跡近くには集会場のような施設があり、農耕で人が集まってきたという定説とはむしろ逆で、神への祈りなど人が集まるためにまとまった食糧が必要となり、農耕が始まったのではないかという説があるということです。
話が脱線しましたが、鞆の浦の景観も決して自然そのものではありません。しかし、行き過ぎた開発のはてに何があるのか。戦後、数々の公害問題を経験した私たちは十二分に学んできました。私たちは自然を壊しながら生きてきたことを痛感したはずです。
「崖の上のポニョ」の構想を鞆の浦で練った宮崎駿監督は判決後の会見で「今後の日本をどうしていくかというときの非常に大きな一歩」と話していましたが、正しく「鞆の浦」モデルと呼ばれるような取り組みにしていかなければいけません。計画を推進する声として「高齢化が進む一方、狭い道で救急車も入らない」という訴えがありました。そうした声はとても大事だし、過疎化する町に人を呼び込むことも大切です。だから「広い道を」という開発志向ではない新発想を私たちの智恵と工夫で乗り越えていくとき、新しい日本の姿があるはずだと信じたいと思います。【広島支局長・岡崎康次】
毎日新聞 2009年10月5日 地方版