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十勝毎日新聞社ニュース

悲しみの列 4500人にも 中川氏葬儀

2009年10月09日 14時08分

「昭ちゃん、早すぎる…」
 【東京】8、9日に善福寺で開かれた故中川昭一元財務・金融相の通夜と告別式には、十勝の政財界、後援会からも大勢の関係者が駆け付けた。ある人は遺影をじっと見つめて涙ぐみ、ある人は棺(ひつぎ)に向かって「昭ちゃん」と語りかけた。帯広・十勝に残した長年の功績をたたえ、それぞれに別れを惜しんだ。

遺族、自民党・後援会関係者ら数千人が参列し、中川昭一氏の功績をしのんだ告別式(9日午前、東京・元麻布、金野和彦撮影)

 東京で長く過ごし、政財界から文化・スポーツまで幅広い交友関係があった中川氏らしく、8日の通夜の参列者は4500人に上った。焼香の列は450メートルにも及んで参道の歩道を埋め、麻布十番まで伸びた。

 叔父の中川義雄参院議員は「これだけの人に惜しまれている。本当に惜しいことだ」と影響力の大きさをかみしめた。帯広市議会決算審査特別委員会を欠席して参列した砂川敏文市長も「改めて大きな存在だった」、十勝町村会の高橋正夫会長(本別町長)は「中央政界で活躍しながら地元の声も聞いてくれる人だった」としみじみと語った。

 帯広商工会議所の高橋勝坦会頭は「地元に目を配りながら天下国家を語れる偉大な人だった。人懐っこくもあり奥が深かった」とし、自民党11選挙区支部の清水誠一支部長代行(道議)は「この国にとって大きな損失」と残念がった。上野敏郎市議会議長は「いろいろな資料をいただき、人を紹介してもらい勉強になった。まだまだ教えてもらいたかった」と早すぎる死を惜しんだ。

 8月の衆院選で選対本部長を務めた前ホクレン会長の矢野征男さんは「残念と感謝の気持ち。WTO交渉に行ったことなど思い出が駆けめぐり、涙が止まらない」とうつむいた。十勝連合後援会の有塚利宣会長は「帯広・十勝が育てた力ある政治家として皆が誇りに思っている。天高い所で十勝や家族、日本を守ってほしい」と願った。

 中川帯広連合後援会の岩野洋一会長、帯広建設業協会の萩原一利会長らも訪れた。

※高橋勝坦会頭の高の字は異体字です。

中川氏の遺体を乗せた霊きゅう車に手を合わせる志帥会所属の国会議員ら(8日)

霊きゅう車霞が関へ 見送り大勢
財務省玄関では職員400人出迎え

 【東京】故中川昭一氏の遺体を乗せた霊きゅう車が8日午後、国会議事堂や大臣を務めた財務省、経済産業省などを巡り、多くの関係者が手を合わせて見送った。

 郁子夫人や長女、長男、先導車には中川氏の弟の英二さん、中川昭一十勝連合後援会の高橋猛文幹事長らが同乗した。

 中川氏が所属していた志帥会(伊吹派)の事務所前には午後1時40分に到着。派閥代表の伊吹文明衆院議員、叔父の中川義雄参院議員ら約20人が出迎えた。中川氏と同期当選の伊吹氏は「早すぎるじゃないか、昭ちゃん」と声を掛けていた。

 2月まで大臣を務めた財務省では約400人の職員が正面玄関前に集まった。午後2時20分に着いた霊きゅう車がロータリーを一周する間、職員は敬意を示し頭を下げた。

 高橋幹事長は「どの場所でも多くの人が出迎えてくれた。こんなことは珍しいと聞いている」と、改めて中川氏の存在の大きさを感じていた。
(池谷智仁)

町村議会で黙とう
 【音更・更別】中川昭一元財務・金融相の告別式が行われた9日午前、音更町議会は定例会本会議の冒頭、議員全員で黙とうした。寺山憲二町長が「残念でならない。ご冥福をお祈りしたい」とあいさつ。告別式に出席した大場博義議長に代わり、中橋信之副議長が追悼の言葉を述べ、黙とうをささげた。

 更別村議会も8日午後の臨時会冒頭で、岡出誠司村長がお悔やみの言葉を述べ、全員で黙とうした。

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