前にshingai.comにアップしたM8/M9の色転びの「なんちゃってレタッチ」方法。仕事でやるレタッチならもっと厳密にやるけれど、まあ筋書きは似たようなもの。ついでに、M8/M9のカメラ内でやってることもほぼ同じでしょう。まあ、そもそもあんまり気にしないことだよねー。あのフランジバックで如何にマイクロレンズをオフセットしようが、物理的にCCD周辺に光を真っ直ぐ導くのは難しいでしょう。さらに致命的なのは、そもそもあのパッケージングはフイルムという感材のもとに成り立ってるものを、CCDという黒船に犯されて無理矢理延命してるわけだ。 モザイク状にカラーフィルターを実装してそれを演算して初めて色が生まれるセンサーには原理原則的に現状は不向きなワケじゃない?(現状と記したのはトリッキーに解決する方法が出てくるかもという含み) 「M9で広角は使えない!」とかなんとか騒ぎになってますが、上記の通り至極当然なわけです。・・・それでもね、周辺写らなくてまともに使えないかもという話にもかかわらず、とりあえずフルサイズで出してきたという事実を歓迎すべきでしょう。ちなみに、6bit認識ONで最新のレンズを用いても、ある程度色転びはおきます。最新レンズ以外はさらにヒドイけど(^^;) ・・・さて、ということなんで(なんじゃそりゃ)、前述の通り物理的制約上生まれる問題に対し、如何にして 前置き長くなった。ということで「なんちゃってレタッチ」はじめます。まず上の写真は、レタッチを行った後の写真。撮影は下の写真のカメラ&レンズ。こんなもん使っちゃいかんですわな(^^;) で、これが撮りっぱの写真。左にマゼンタ、右にシアンと盛大に被っておりまする。 白い紙を撮ってみるとやね・・・こんな塩梅。これ距離環の位置によって変わると思うので、複数撮ってみてください。あとでレタッチに使いますので。ブラシで1から書いてもいいけど面倒でしょ? さらにちなみに、みんな周辺だけっぽい話をしてますが、シアンとマゼンタはそれぞれ2辺に掛かってます。 photoshopなりでこの画像の真ん中抜いたれ。photoshopない人? 買いましょう。別に何でもいいす。 真ん中抜いたヤツを画像の上にレイヤーで被せましょう。 被せたレイヤーの階調を反転してみましょう。ほんで、元画像のレイヤーと「スクリーン」やら何でもいいので塩梅ええのんで適当にマージしちゃいましょう。マージするときに適当にパーセンテージをいじってくださいな。 マージしただけだと、シアンに全体的に傾いてたので、特定色域(シアン)を抜きます。 こんな感じでシアンを抜きます。 このままでもいいっちゃいいんだけど、シアンを抜くとイエロー&グリーン側に今度は転ぶので、テキトーにトーンカーブなどで色味を整えます。ここでは俺の好みのコダックのポジフィルム調に。 あい。出来上がり。あんま気になんないでしょ? 俺はこの程度ならいいかなあ。 なんちゃって、じゃなくて、本格的にやるのも基本的には流れ的に一緒。全てのツメのレベルが違うだけ。 色転びを騒ぐ人達を別に批判してるっちゅうわけでは全然無くて、高い銭払うんだから色々と何がどうなってこうなる的な話は探ると楽しいじゃない?・・という話。そもそもそんな高い銭払うんだからちゃんとしとけ! なんて言われてしまえば身も蓋もないねんけど(^^;) たださ、批判すると、あんまり機構を知らない人からすればわかんないから、それに巻き込まれちゃうじゃない? 少なくとも批判するならするで、自分なりの私見を記すこと。そこがないと何を基準点としての論評かわかんないし、すぐさま額面通りには信頼に値しないよね。俺が今書いてる内容だって人によって立ち位置違うわけで、全てじゃないわけだから。 ま、俺なりの私見を記すとやね。。。 28mm以上の広角で君、何撮んねんっと。そない簡単に使いこなせるような画角ちゃうぞと。ややもするとレンズに振り回されて終わりで、ほんでお前、何が写ってんのかと。そもそもパースもボケも確認できずに視差もあって、そのうえ28mm以上になったら外付けファインダーのお世話になるわけで、撮るのも大変だし、レンズ取り付けてノーファインダーで撮ってるのにある種近いわけやん。でだ、その上で撮れる画がどうなんよって話やん。脳裏に画角が染みついて、自分のモノになってりゃ、これほどコンパクトなパッケージングはなくてそれはそれは便利だと思うけれども。・・・たとえばカメラのポテンシャルやカメラそのものを愛でるってな話もありでしょう。特にデジタルになってから、ただ単に写ってその場で見られるという喜びみたいなもんがあるよね。それはそれで新しく生まれた楽しみで、ま〜ったく否定はせん。俺もR-D1やM8が出てきたとき嬉々としてレンズとっかえひっかえして楽しんだもの。写ってるモノはさておき(笑) しかし、相変わらずカメラってのは写真を撮る道具であるわけで。さらに、カメラ・レンズ・感材・後のハンドリングと全てを含めての道具であるし、それを用いる目的はそれぞれまたあるわけだ。少なくとも論評するってのは、全てに対してある程度は自分の私見を巡らせるべきでね。何でもかんでも無象にコピペ的なムーブメント。少なくとも有象無象の有象になるべく吐こうぜ。無象だったら自分の中で念仏唱えてりゃええやん。少なくとも努めて吐いてる連中は、無象の話に対してフィルターが働くと思うけれどね。 最後に特定の誰かを否定するわけではない。ま、プロセスの一つだと思うし、誰しも通っていくんではないでしょか。以上、山盛り上から目線なエントリーでございました。失敬。 by damelux | 2009-10-08 22:32 | Comments(0)
| |||