メモリアル6
サウンドストリートの思い出



井上 晃さんの場合

あのころは、やっと高校生だった私にもサンプリング機能の付いたデジタルディレイに
手が届いたという時代で、当時の雑誌に載っていたチベタンダンスの楽譜を4トラックの
MTRでこつこつと手弾きで録音したものを何気なくサンプリングして作ったものが
Untitledでした。
DEMOTAPE1には井上望と書かれていますが、晃の誤植です...
(昔いたアイドルじゃないんだから!)

たしか1時間たらずで作ったものなので(だから無題-Untitled)、
「こんなのが放送されてしまっていいのか?」というのが本当の気持ちだったのです
が、若かった私は、いい気になってしまいその年の秋にもう1本のテープを送ってしまったのです。

ただその時は、当時デザインの勉強をしていた兄(和彦)とのピクトグラムというユ
ニットでの投稿だったはずなのですが...。
事実、この時に送ったカセットのラベルは兄のデザインによるものだったと思います。
この時に送ったHe found this という曲はドイツのアタタックレーベルあたりを意識
して作ったものだったので「ドラムが少し弱い」と言われても
逆にそこが色のつもりだったので、理解してもらえなかったみたいですね。

その後、何年かの間 ピクトグラムはビデオ作品をつくったり実験的な音楽を作った
りしていたのですが、2人が就職した後は仕事に追われてピクトグラムとしては活動
しなくなり、私はゲームメーカーで作曲や効果音・音楽のプログラムを3年やった後、
(多いですねデモテープ特集で放送された人で音楽の仕事を続けている人、私が放送
後知り合った、土井直哉さんもその1人)フリーでゲームやテーマパークや
放送関係などの作編曲の仕事を続けていました。

それが、インターネットが一般的になり誰でも簡単に表現を公開出来るようになった
ことで、ピクトグラムの2人に再び火が付き96年の春からSTUDIO HEATと名前を変えて音と映像で表現 した。
ホームページを作り始め、今はウェブデザイン・CD-ROM制作・音楽制作・デザインを
仕事として2人でやっています。まだまだ、これからです。

この番組がきっかけで人生変わっちゃったって感じです。

音楽?...今年からはバンドがんばろうと思ってます。(テクノじゃないですけど)


井上さんの作品は1985.6.41985.11.26で放送されています。
それにしても、当時デモテープを作っていた方で現在音楽業界の方って実に多いですね。
(もともと、デモテープを作るくらい音楽が好きな方たちですので当然といえば当然ですけれど)
井上さんも書かれていましたが、いっそ、デモテープ特集同窓会と題して、今作っている音楽と、
当時放送されたものとオムニバス形式で作ったら面白いものができるかも知れません。
タイトルはもちろんデモテープ2ですね(笑)。
監修はもちろん、矢野顕子+坂本龍一です。

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