サウンドストリートの思い出4



佐藤暢章さんの場合

 私もよくサウンドストリートを聞いていたので、どうしたら、DEMOTAPE特集で
紹介してもらえるのかと思い、当時、中学だった相棒と無い頭で考えた結果、
教授作曲の曲がいいだろうと思い、あんなひどい東風になってしまいました。

東風の曲の最後のフレーズにコズミックサーフィンの1フレーズ入れたアレンジが
自分たちではすごーくかっこよくできたのを覚えています。

 当時、もちろん楽器など買えるお金がなかったので、ドラムに使ったものは、
すべて家庭用雑貨品でした。ブリキ製のごみ箱シンバル、桶のタム、タッパのタム、
菜箸のスティック、フライパンの蓋にクリップを付けたシンバル、
段ボールのバスドラ、クッキーの入れ物の缶のスネアドラム、
鍋の底をくり抜いて下に筒をくっつけてその中に棒を入れ、
左足の甲でその棒を押し上げ下げして鍋の蓋が開くなどオープン可能な
ハイハットシンバル。
 全てティッシュペーパー、ガムテープ、布、綿、新聞紙などで音のチューニング
されていました。結構、自分では良いアイデアを出して作った、自慢のドラムでした。

 あと、シンセベースは、その辺で安く売っている、小さい鍵盤で子どもが遊びで
使うような、ちゃちいキーボードでした。まったくベースの音ではなく、ブラスみたいな音でした。
あとシンセのパートは、妹のエレクトーンを試行錯誤して使いました。

   一応、2人で演奏しているので多重録音もしていました。今の時代の様な安いMTR
もなく、お金もなかった時代だったので、1回、ラジカセでドラムを生録音
(このときに、頭の中でメロディーを口ずさんでドラムを叩かなければいけない)し、
次に、ドラムを録音したテープをラジカセで再生して、それに合わせてベースと
メロディーを演奏し、それを違うラジカセでまた生録音する。というものでした。
勿論、譜面もまともに読めなかったので、コード(バッキング)ものの音なんか
入ってません。まーそれでも本人たちは、最高の出来あがりだと思っていました。
それなのに教授のコメントときたら、(一番ひどい)との事。

中学生の私たちには結構ショックでした。教授メ〜!!って感じでした。

次の日、その話題で学校のクラス中で盛り上がったのは言うまでもありません。

 ちなみに、あの東風のカセットテープのB面にはさらにひどい、ソリッドステイド
サヴァイヴァーが録音されていたのです。さすがに教授もこちらの方はひどすぎて、
曲が分からないと思い、教授作曲の方の東風を紹介してくれたんだと思います。

譜面もほとんど読めなく読めても間違って弾いていた時代です。
すごーくなつかしいです。

 でもあの頃からずーっと音楽をやり続けて、幸福なのか、不幸なのかわかりませんが、
東京で、いまだに音楽の仕事しています。いろいろなマスコミメディアの作曲や編曲、
音響効果などの仕事をやっています。

 業界関係者で教授のサウンドストリートを聞いていた人も多かったみたいで、
話のきっかけとして、あのDEMOTAPE特集の東風の話をすると、あっあのひどかった
東風ね。とか言って、結構盛り上がれるんです。

 だからあの番組に感謝感激の雨霰ですよ。あ〜なつかし〜い!! (;_;)


From Sound Creator
           MITSUAKI SATO
       


佐藤暢章さんは、あの東風を演奏された方です。
教授の酷評(冗談でしょうけれど、中学生には堪えたでしょうね)が妙に心に残ります。
このアルコ堂HPを見てメールしたとのことでした。
今度、佐藤さんの仕事で作った音楽をじっくり聴かせていただきます。
きっと、あの東風の人が作った音楽なんだなぁと思い出すことでしょう。
メールありがとうございました。


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