「鳩山民主党」に欠落する「政治的リアリズム」
2009年9月28日 フォーサイト
圧倒的勝利で誕生した民主党政権だが、日本の抱える課題が減ったわけでも、無くなったわけでもない。外交に経済、政治改革。鳩山民主党に必要なものとは――。民主党政権の誕生に、虚ろな大騒ぎが起きている。財政の裏付けのない大盤振る舞い、方向感の定まらぬアジア主義、内容空疎な友愛の標語。民意は民主党に投じたのではない。腐り切った自民党政治に対し、暴力的に不信任票を行使したのだ。
見逃せないのは、日本の政局が米国の後を追う「写真相場」である点だ。ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領が退陣させられた一九七四年に、金脈問題で田中角栄首相が引責辞任し、七六年に米国発のロッキード事件で逮捕された。九三年発足のビル・クリントン政権と宮沢喜一首相は反りが合わず、この年の総選挙で自民党は下野した。
小沢一郎が牛耳った細川護ひろ政権は、九四年の日米首脳会談でクリントン大統領と衝突。後を継いだ羽田孜首相は、ジミー・カーター元大統領の訪朝で梯子を外され、政権を失った。
九七年以降の金融危機に際して、橋本龍太郎首相がクリントン政権から肘鉄を食わされ、九八年の参院選惨敗で退陣させられたのは、十年ちょっと前の話だ。九七年六月、デンバー・サミットの後、コロンビア大学での講演で「米国債を売りたいという衝動に駆られたことがある」と語ったことが、ロバート・ルービン財務長官の逆鱗に触れた。
対する小泉純一郎首相はジョージ・W・ブッシュ大統領と兄弟仁義を結び、イラクに旗を立て(ショウ・ザ・フラッグ)、大地を踏みしめた(ブーツ・オン・ザ・グラウンド)。
その見返りに、構造改革路線に全面的な支持を得た。二〇〇五年の郵政選挙での自民党圧勝は、その産物でもある。その伝でいえば、今回の鳩山民主党は、バラク・オバマ政権の誕生で弾みを得たに違いない。
自民党は参院選でも負ける
市場任せから、政府の関与へ。小さな政府から、大きな政府へ。八〇年代のレーガン革命以降支配的だったパラダイム(舞台装置)は、ケインジアン・モデルへと大きく転換した。オバマ大統領の率いる新たなニューディールは、米国民の多数派を形成するのに成功した。野党共和党は次期大統領候補が立て続けに政界失楽園で自滅するなど、有力政治家が軒並み失墜した。サラ・ペイリン前アラスカ州知事では話にならず、来年の中間選挙の展望さえ開けない。
自民党も然り。安倍晋三首相が郵政造反組の政治家の復党を許した時点で、小泉改革の約束を裏切り、浮揚力を失った。
皮肉にも、その後の事態の推移は、「蟹工船」ブームに象徴される格差の拡大が特筆され、改革は忌み言葉になった。麻生太郎首相が「市場原理主義の克服」を唱えたのも、その流れを映している。だが、その標語は民主党のものだった。
現状批判を競い合うなら、野党の方が強いに決まっている。大きな政府を競うにしても、財源の裏付けに悩まされることの少ない民主党の方が、大盤振る舞いの手形を切ることができた。
かくて、経済政策の対立軸が失われた結果、格差と失業、景気悪化に不満を持つ層が、雪崩を打って民主党に投票した。
「三十代の当選者は四人。二十代はたった一人ですよ」。閣僚経験者は、惨憺たる選挙結果に肩を落としていた。小泉改革は幕を引かれた。小泉チルドレンの象徴である片山さつき、佐藤ゆかり前議員の落選や小池百合子の小選挙区での敗退はすべてを物語る。
むろん、反小泉改革の標語も民意をつかめなかった。郵政民営化反対を唱えた野田聖子の小選挙区での落選は象徴的である。世界史が世界法廷であるとすれば、今回の総選挙は自民党体制に対する掛け値なしの民意の審判だったのだ。
予算編成と補助金の配分を権力の源泉にしていた自民党は、野党に転落した途端、加速度的に影響力を失うだろう。民主党は、自民党の自壊にも助けられて、来年の参院選でも有利に戦いを進めるだろう。
民主党は自民党を見限った参院議員を一本釣りすればよいのだから、圧倒的に有利な立場にある。勝負はあった。
民主党政策の危うさ
自民党体制の崩壊に米欧のメディアは溜飲を下げている。ネオコンの意見を代表する米紙『ウォールストリート・ジャーナル』(八月三十一日)しかり。ポスト小泉の自民党政権が指導力を失い、迷走し続けたことに、米国の保守派もいい加減、痺れを切らしていたのだ。英紙『フィナンシャル・タイムズ』(同)は日本の言い換えとして、死語になりつつある「世界第二の経済大国」という表現を多用するが、しゃがみ込む経済への皮肉に他ならない。
「戦後最大の変革」という表現を米紙『ニューヨーク・タイムズ』(同)などは繰り返す。その表現は、オバマ革命が日本でも起きたことへの祝福である。その視線に小躍りするようなら、甘すぎる。
日本の政治の評価軸は、政局から政策に移る。ならば、民主党の政策をどう評価すべきか。総選挙の投票日直前の英誌『エコノミスト』(八月二十八日ネット版)が、危うさを見事に喝破している。
1.「アメリカ主導の『市場原理主義』に反対し、友愛と称する漠然とした概念を好む鳩山代表」――友愛は自民党の創設者のひとりである祖父、鳩山一郎首相の標語である。鳩山一郎は吉田茂首相の後を襲ったが、その交代劇は不思議なほど吉田の孫、麻生太郎から由紀夫への政権交代に重なり合う。対米「従属」から対米「自主外交」が半世紀余りを経て、再現される。
2.「既に過度に保護されている農業についても、『グローバリズムの波のなすがままに』放置しないという積極介入主義」――市場原理主義への批判は市場原理への疑問にもなりかねない。「友愛」が「もたれ合い」に帰結しかねないリスクは、過保護とされる農業への戸別所得補償という追加保護策が象徴する。
3.「製造業における臨時雇用の禁止や最低賃金の引き上げといった、より労働者寄りの政策を約束していることへの産業界の危惧」――安い労働コストで日本と同じ品質の製品を供給するアジアの新興国の台頭に対処するための政策が、労働市場の規制緩和だった。要素価格均等化、つまり同じモノは同じ値段になるという当たり前の原理に反するような雇用保護策がもたらすのは、製造業を筆頭とする産業の日本脱出の加速であり、九〇年代に起きた空洞化の新たな波だろう。
4.「米国との緊密な外交関係を緩めるとの約束」――アジア主義や対米自主外交は確かに気持ちがいい。非核三原則に反する核持ち込みを暴くのも壮快だろう。だが北朝鮮の核武装という顕在的な危機に対して、米国の核の傘なしにどうやって「生存と安全を保持」(日本国憲法前文)するのだろう。
新首相はかつて「日本列島は日本人だけの所有物ではない」と述べた。評論家の発言ならいざ知らず、日本国民に最終責任を負うべき政治家の言葉なのか、不安に思う国民も多いだろう。
欧州の一部で実施された外国人参政権を論ずるのはいいが、鳩山流の発言はトロイの木馬を通じて日本列島を外国勢力のフリーハンドに委ねる結果にならないだろうか。何しろ中国大陸や朝鮮半島北部を支配しているのは独裁政権なのである。北朝鮮の友党だった社会党の末裔、社民党と連立を組むだけに、肌に粟する思いがする。
ご祝儀気分なのだろうか。日本のメディアの多くは、例えば新聞の一面の論説でこうした論点を正面から取り上げない。興味深いことに、左派系の『ニューヨーク・タイムズ』の方が日米同盟に及ぼす波紋について、まず言及している。
『エコノミスト』が1.から3.で論じた市場原理からの逸脱に対しては、『フィナンシャル・タイムズ』が空想的社会主義ならぬ空想的ばら撒きの問題点を鋭く指摘している。
中学生まで子供一人に月二万六千円の小遣いを支給する子ども手当や後期高齢者医療制度の廃止、農家の所得補償制度から高速道路無料化まで、民主党は十六兆八千億円相当の手形を切った。その手形を落とすには、配偶者控除や扶養控除の廃止など朝三暮四まがいの国民負担を求めざるを得ない。意味のない補助金や公共投資の廃止は大賛成だが、その半面で潰れる企業や職を失う働き手への保障という新たな負担が生じる。
二つの試金石
安倍元首相を持ち上げた著名ストラテジストは、今や民主党政権の生活者重視を持ち上げるのに忙しい。だが、ばら撒き政策をどうやってファイナンス(埋め合わせ)するのかの見取り図が描けなければ、国民の不安は解消すまい。民主党が真剣に政策を考えているかどうかの試金石を二つだけ挙げておこう。まず、官公労や日教組にどのような姿勢で臨むか。公務員削減の公約を言うはやさしい。問題は組合に反してまで、それを実現できるかだ。
各党のなかでこの点に真剣なのは、渡辺喜美代表の率いる「みんなの党」くらいだろう。国家公務員の一部を地方公務員に切り替えて、人件費削減を実施したという類のまやかしはご免こうむりたい。教員免許更新制の廃止を訴えるに至っては、何をかいわんやである。
もっとも、新たな政権獲得には意味もある。自民党政権時代の「官の支配」のカラクリを暴くということへの、有権者の期待は大きい。行政の在り方を見直す行政刷新会議を通じて、特殊法人や天下りの実態や予算執行の無駄を暴けば、国民は拍手喝采するだろう。
次に、国民に負担をどう訴えるか。ばら撒きを重ねつつ、向こう四年間、消費税を据え置くといった芸当が可能なら、電信柱に花が咲く。民主党には実現可能な成長戦略が見事に欠落している。
民主党の後見人であるはずの『朝日新聞』が社説で高速道路無料化や消費税据え置きに苦言を呈したのも、民主党政権が公約不履行で早期に崩壊しないための親心だろう。
税収が四十兆円前後に落ち込むなか、百兆円予算を組み続ける。そんな事態を一瞥しただけで、ばら撒き政策が持続可能ではないことは明らかだ。大規模な国債発行でしのぐほかない。
民間の資金需要がないなかで、その矛盾は直ちに表面化しないにせよ、大きな政府路線はいずれ財政破綻か大規模増税に帰着せざるを得ない。
空前の大敗を喫した自民党に求められるのは、健全な反対党として民主党に対する現実的な牽制役になることだ。むろん、その道は茨の道だろう。何よりも、冷戦終焉を機に失ったアイデンティティー(自己同一性)をどう取り戻すのか。
こと経済政策については、反構造改革が自民党議員のなかで支配的なように見受けられるが、それでは民主党に対する独自性は主張できない。何よりも、予算編成権を失った今となっては、大きな政府や優しい政府の公約を実現しようにも、民主党に手柄をさらわれるばかりだろう。
それが分かっていても、自民党はなかなか方向転換できない公算が大きい。小選挙区制の下で、議員後援会という中小企業を存続させるために、世襲議員の比重が高くなり過ぎてしまったからだ。
さしたる敗北体験もないこれらの議員たちが、あるいは落選した議員たちが、野党の立場に辛抱できるとは考えにくい。かくて参院を中心に自民再分裂が予想される。
そうしたなか、学ぶべきものは長期にわたる野党生活に耐え復活を果たした小沢一郎のサバイバル(生存)能力だ。小沢にそれが可能だったのは、主張内容こそ変化したとはいえ、その都度の自らの主張を貫き通したためだろう。
ならば、民主党に対する自民党の独自性とは何か。それは「自由」民主党である点だ。自由の意味は二つある。政治的自由と経済的自由だ。
共産主義者以外はすべて飲み込んだ幅の広さに、政治的自由は体現される。党再建を巡っても大いに議論を重ねたらいい。何しろ野党時代は少なくとも四年は続くだろうから。経済的自由を巡っては、市場原理に則った自由競争を措いて復活の道はないだろう。それは今や希少価値だ。英国の保守党、米国の共和党と同様に、どれだけ筋を通せるかですべてが決まる。
「日々の仕事」を乗り切るには
総選挙の宴が終わった今、国民は「日々の仕事」に戻らなければならない。米証券リーマン・ブラザーズの破綻から一年、米景気は底入れしつつあり、日本も最悪期を脱した。だが、金融機関が大量の不良資産を抱え、家計が雇用調整と過剰債務にあえぐ米経済が、住宅と証券化のバブルが崩壊する前の成長軌道に戻るとは考えにくい。世界経済の牽引役を標榜する中国も、高成長は景気刺激策によるステロイドの産物だ。
日本は企業がリストラを急ぎ、景気の底割れを防いだが、その先の展望がつかめない。政府が七月に見直した〇九年度の経済見通し。実質成長率は前年度比マイナス三・三%と据え置きだったものの、個人消費や設備投資は下方修正された。
外需の落ち込みの縮小が経済を支えるとの見立てだが、政府も企業も自信はあるまい。トヨタ自動車が一段の減産に踏み切ったことは、外需頼みの経営の先行き不安を物語る。
民主党の掲げる消費者重視の路線が、内需テコ入れの決め手になれば良い。だが、既に触れたように朝三暮四や将来の潜在的な負担懸念は、見えざる重圧になるだろう。最低賃金引き上げや派遣労働規制など、口当たりの良い政策も、成長戦略を伴わなければ、実質賃金の高止まりによって失業問題の深刻化を招きかねまい。
もうひとつ、鳩山政権には発足直後、大きな外交日程が控えている。国連総会に加えて、米ピッツバーグでG20(金融サミット)に出席する新首相が、どのような自己主張を展開するか。民主党が党内調整にかまけていたうちに、九月の国際会議の日程は容赦なく進行している。
普天間基地移転、インド洋上の給油など外交・安全保障問題に加え、リーマン後の金融秩序を描く通貨外交にどう臨むのか。幼稚園の遊戯のように、友愛を唱えるだけでは誰も相手にしてくれない。
米国はもはやスーパー・パワー(唯一の超大国)ではない。鳩山はそう繰り返すが、オバマ政権下でも米国は世界の指導者であり続ける権力意思を放棄していない。むしろ、核なき世界や宗教の宥和などの修辞を、新たな武器にしようとしている。
鳩山がアジア主義のパートナーと期待する中国が、新たな覇権国を志向しているのは、言わずもがな。剣呑な世界にあって、日本が生き残るために欠かせないのは、「政治的リアリズム」でこそあれ、「空想的アイデアリズム」ではあり得ない。(敬称略)
筆者/ジャーナリスト・小田博利 Oda Hirotoshi
フォーサイト2009年10月号より
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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