民主党東京都議会議員の土屋たかゆき氏からの苦言があった。 発端は民主党鹿児島県連の党大会における国旗の損壊問題で、「二枚の《日の丸》 を切り貼りして民主党のマークに加工」したものを壇上に掲げ、その写真を党HPにも掲載したことによる。 ■参照⇒【民主党鹿児島県連でのあるまじき行為】 この問題が発覚したのは今月17日であるが、翌日の土屋氏HPのタイトルには『国旗を刻んだ不逞の輩』と、非常に厳しい言葉が載った。本文から抜粋して引用しよう。 <引用はじめ> 何と、国旗を刻み、我が民主党の党旗を作成した国賊が出現した。当然、鳩山代表は陳謝し、候補者も陳謝したが、国旗を国旗と思わない人間が支援部隊にいると言う事は明らかだ。 ・・・(中略)・・・ 世界のどの国に、自国の国旗を侮辱する国があるか。以前書いたが、フランスなどでは、国旗侮辱罪がある。フランスがアフリカを植民地にしたからと言って、謝ったことなどないし、三色旗を「侵略のシンボルだ」と言う国賊的フランス人はいない。全世界約200カ国、自国の国旗に敬意を払っている。それが常識だ。 ・・・(中略)・・・ 大体、国旗を侮辱しておいて、謝罪で済むわけはない。そんな人間が候補者と言え国会議員になる可能性があるとは、そもそも心構えが間違っている。候補者を辞退し、謹慎するのが筋と言う者だ。 ・・・(中略)・・・ そもそも、民主党は国旗に賛成なのか、反対なのかこの際はっきりすべきだ。 代表の話からすると賛成のようだが、日教組などは反対。国旗に反対するよう世界にまれな、そして、北朝鮮を過去賛美して来た組織が政権の中に入るなど排除すべきだ。 ・・・(中略)・・・ 国旗は国の象徴。今、若者の間で戦国武将が人気だが、その家紋は武門の象徴。それを汚されたとなると刃傷になっても当然だ。 ・・・(中略)・・・ 「日の丸を押し付けるんですか」とか何とか無礼にも名前も名乗らず捨て台詞をはいた「おばさん」がいた。答えは簡単、「尊重するのは文化人として世界の常識だ」 ・・・(中略)・・・ 試しにアメリカに行ってみたらいい。息子の誕生日にも星条旗を掲げる。かつて、フィリッピンを侵略し、ハワイを侵略し、メキシコを侵略、わが国を戦争に追い込んだ国がだ。 もちろん、民主、共和党の大会に「赤旗」なんて、博物館にあるようなものはない。あるのは星条旗。 ・・・(中略)・・・ それが、「二大政党」の「政権交代」というものだと言うことを国民はしっかり認識すべきだ。 自国を愛せないものに、「愛」のある政策なんて とてもとても・・・でしょ! <引用終わり> ■参照⇒【国旗を刻んだ不逞の輩】 以上であるが、ややもすると非常に過激な内容とも受け取られ兼ねないが、自国の国旗に敬意を払うのは国際的な常識であることと、その心構えが無いまま国政に参加すべきではないことや、民主党としても「日の丸」への態度を明確にすべきことなど、信念を持って訴えている。 また米国を例に取り、与野党を問わず国旗を尊重し掲げる姿勢があってこそ、「二大政党」の「政権交代」となり得ることを、「国民もしっかり認識すべきである」と指摘している。 土屋たかゆき氏は、正直に自分の意見を言うことが政治家の務めだと断言する。 ■土屋たかゆきHP >【私の政治信条】 確かに、国旗は単なる布切れでは無く、国家の象徴そのものである。国旗に唾を吐きかければ、その国へ唾を吐きかけたと看做されるのが常識である以上、自国の国旗に対する侮辱は、そのまま自分自身への侮辱でもある。他国への敬意を忘れてはならないように、自国に対しても同じことが言えるだろう。私たち自身の暮らしをより良いものへとするための訴えも、それが無ければ破壊活動にしかならない。 国家の革命だとか転覆を目指すならともかく、自分が暮らす地域や国というコミュニティを大切に思う気持ちが無ければ、そこに敬意などは芽生えないし、良い政治も生まれるはずが無い。 子供たちに対しても、まずは自国の国旗と国歌を尊重し、敬意を払うことを私たち大人が示さねばならない。そうすることで、どこの国の人たちも「自国の国旗を大切に思っているのだ」と伝えることができるのだし、だからこそ互いに尊重しあい、敬意を払わねばならないことを伝えられるのだ。 国旗・国歌はその国の象徴であり、これを棄損しては平和を築くことはできない。 もし仮に、子供たちを教える教師の中に自国の国旗や国歌をないがしろにしたり、侮辱や棄損するような態度を取るだとか、認めないなどの行為ないし運動を行ったとしたら、その子供たちにどんな影響を与えるだろうか。子供たちは、「それでいいんだ」と理解してしまうだろう。 その結果、誰しもが国旗や国歌には敬意を払う必要はないと考えるようになるだろうし、尊重する心も育たないだけでなく、外国人も同じだと勘違いしたまま成長することになる。 十数年くらい前から「青年海外協力隊」などの活動が盛んになってきたが、参加国の国旗掲揚ならびに国歌斉唱の際に、起立どころか、動き回り雑談をするといった態度を取る日本人参加者が、現地の方々とトラブルになるといった話を耳にするし、近年はブログでも散見するようになった。 もし本当であれば恥ずかしいことであるし、情けない限りである。 こんなことで日本人の評価を落とされてはたまったものではないが、もし、その日本人参加者がきちんと教育を受けてなく、国際的ルールやマナーを知らなかったとしたならば、その責任は教師だけで無く私たち大人の日本人にもあるのだと認識しなければならない。 普段、国旗を掲揚する家庭は少なくなっただろうが、幸いなことに公式な場面において、国旗の掲揚と国歌斉唱が定められている式典がある。子供たちが参加できる式典の主なものは、やはり学校行事で、入学式から始まり、始業式、終業式、そして卒業式だ。節目節目において居住まいをただし、一緒に参加する大人たちが手本を示す。子供たちは普段の雰囲気とは違う親や教師を見て、「公共の場」という概念を肌で感じてくれるだろう。そこで、社会の常識を学ぶのである。 「国歌斉唱」とアナウンスがあれば、静かに起立する。「ご起立を…」なんてアナウンスが終わる頃には、大人はきちんと居住まいをただしている。伴奏が始まったならば、たとえ小さな声でもかまわないから「君が代」を斉唱する。そんな大人たちの態度を見て、子供たちは自然に学んでゆく。校歌を歌う際には起立をさせるのだから、国歌斉唱で起立できない理由などは無い。 明治の開国以降、私たちの国は国際社会とのかかわりの中で歩んできた。 納得しがたい慣習もあったろうが、欧米先進国が先に築いてきた国際標準や枠組み、ルールを批准する努力を積み重ねた結果により、日本は近代国家として生まれ変わることができたのではないか。であるならば、個人的な思想信条は自分の内心の問題であるから、それを子供たちに押し付けるようなことがあってはならない。 例えば、自分の家や親をバカにしたり、ルールやマナーといった約束事を守れない人間は、どこへ行っても信頼されないし信用を得ることもできないのと、本質は同じであろう。 また、将来的に子供たちが国際人として活躍できるよう願うなら、英語を教える前に、まずはそのルールやマナーを教えることで心構えを涵養することが重要だろう。そのためにも、まず最初に私たち大人が手本を示さねばならない。公共の場において守ることがあるのは、当たり前のことである。 ルールとマナーを棄損しては、平和も秩序も維持できない。 |
9月28日〜10月3日
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