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【ノモンハン 70年後の教訓】(上)物量軽視が招いた敗北 暴かれる日ソ衝突の秘密 (4/4ページ)
軍には、ソ連軍増強の情報が入っていた。だが、軍は情報より作戦を重視し、「結果さえ良ければ何をやってもいい」という雰囲気があったという。
戸部教授は「日本には当時、まだ力があり、ソ連と戦わずに別の選択肢を選んでいたら、別の歴史がつくられていたはずだ。なぜ、他の道を選ばなかったのかを知ることが、われわれ歴史家の役目であり、現代への教訓につながる」と強調した。
■生かされぬ反省
元日本共産党員(除籍)で、軍事評論家の古是(ふるぜ)三春(みつはる)氏(49)はこの9月に出版した著書「ノモンハンの真実 日ソ戦車戦の実相」(産経新聞出版)で、ソ連軍がノモンハンでの苦戦の反省からすぐに新型戦車の開発に着手。その後、ドイツ軍を苦しめた当時世界最強の戦車T34を完成させたエピソードなどを紹介している。
古是氏は「日本は、自らの弱点を知ることに一生懸命にならなかった。指導部は責任回避や失敗のなすりつけ合いに必死だった。日本は、自らの力の限界を見極めて現実的な戦いを挑むべきだったが、それができなかったことが第二次大戦の悲劇を招いた。そこには指導部のおごりや高ぶりもあった。ノモンハンは現代に通じる重要な分岐点といえる」と指摘する。
ノモンハン研究のさらなる進展が待たれている。
■ノモンハン事件 1939年5月、ソ連の影響下にあったモンゴルと、日本の傀儡(かいらい)だった満州国(32〜45年まで存在)の国境をめぐる衝突から発展した大規模戦闘。関東軍は大本営の戦闘不拡大方針に反し攻勢をかけたが、ソ連軍の総攻撃の前に大敗を喫した。同年9月に停戦が成立。死傷者は日本側約2万人、ソ連側約2万6千人とされる。日本で対ソ開戦論が後退、南進論が優勢となる契機になった。
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