産業革命前の多産多死から産業革命後かなりの期間は、死亡率が一方的に下がり続けて多産少死となり、結果として人口が急増したのである。さらに時が経つと、西欧では19世紀末ごろから出生率が下がり始め、20世紀半ばまで低下し続けた。結果として少産少死になり、人口が次第に安定化した。
その後も出生率は漸減を続け、20世紀末にはOECD諸国のほとんどでは、人口が漸減し始めて現在に至っている。産業革命発祥の地、英国では死亡率が世界に先駆けて18世紀後半に明確に低下し始め、20世紀半ばまで低下し続けた。出生率は死亡率に100年以上遅れて19世紀末に低下し始め、20世紀末まで続いた。
日本の場合は、死亡率が英国より100年遅れて19世紀後半から低下し始め、20世紀末まで下がり続けている。出生率は、英国より20年程度遅れて20世紀初頭より低下し始めて1930年代末まで続くが、一旦、軍国主義時代の「産めよ、増やせよ」政策と太平洋戦争敗戦後のベビーブームで跳ね上がり、その後再び急減して、現在に至っている。
この結果、日本の人口は、明治維新時に約3300万人であったのが、1920年代には6000万人以上に倍増しており、20世紀末には4倍の1億2000万人を超過した。
この工業化社会への移行に伴う、多産多死から多産少死、さらに少産少死への転換というのは、「人口転換理論」として、人口学の唯一最大の理論とも言われており、ほとんどすべての工業化に成功した国・地域で経験されている。
なぜ、死亡率の低下が起きたのか?
では、なぜ産業革命後、始めに出生率の低下ではなく死亡率が大きく低下したのかという、根源的な問いがわいてくる。通常、要因としてイメージされるのが、医療の発達ということだろうが、これは間違いではないにしても、医療に対する過大評価だろう。現在でも、医療で明らかに救える病気というのは、細菌感染症が中心であり、ガンやウイルス性疾患、自己免疫疾患など、多くの病気に対する医療の治療効果は限定的である。
死亡率低下の一番本質的な要因は、医療というよりも工業化による民衆の「暖衣飽食」と「公衆衛生」の徹底であると考えられる。これはどういうことか。
まず、産業革命によって、鉄製品が廉価で大量に供給されるようになると、効率的な農機具の普及と、水利施設等の農業土木工事が進み、農業自体の技術革新と相まって、食料生産が増大し、相対価格が低下する。人々はたっぷり食べられるようになり、体力が大いに増した。
また、鉄道網や汽船の発達で、ひどい不作の年でも、遠方から不足食糧を簡単に調達できるようになり、体力も低下しないし、餓死者も出ない。遠方から食料を購入するだけの水準に民衆の所得も向上した。だから、この時代以降、工業化された国では飢饉は全く発生していない。