「脱常識の世界史」

脱常識の世界史

2009年10月8日(木)

エネルギーの爆食がもたらした2度目の人口増

産業革命を可能にした石炭と「エントロピー排出」の問題

2/4ページ

印刷ページ

 産業革命前の多産多死から産業革命後かなりの期間は、死亡率が一方的に下がり続けて多産少死となり、結果として人口が急増したのである。さらに時が経つと、西欧では19世紀末ごろから出生率が下がり始め、20世紀半ばまで低下し続けた。結果として少産少死になり、人口が次第に安定化した。

 その後も出生率は漸減を続け、20世紀末にはOECD諸国のほとんどでは、人口が漸減し始めて現在に至っている。産業革命発祥の地、英国では死亡率が世界に先駆けて18世紀後半に明確に低下し始め、20世紀半ばまで低下し続けた。出生率は死亡率に100年以上遅れて19世紀末に低下し始め、20世紀末まで続いた。

 日本の場合は、死亡率が英国より100年遅れて19世紀後半から低下し始め、20世紀末まで下がり続けている。出生率は、英国より20年程度遅れて20世紀初頭より低下し始めて1930年代末まで続くが、一旦、軍国主義時代の「産めよ、増やせよ」政策と太平洋戦争敗戦後のベビーブームで跳ね上がり、その後再び急減して、現在に至っている。

 この結果、日本の人口は、明治維新時に約3300万人であったのが、1920年代には6000万人以上に倍増しており、20世紀末には4倍の1億2000万人を超過した。

 この工業化社会への移行に伴う、多産多死から多産少死、さらに少産少死への転換というのは、「人口転換理論」として、人口学の唯一最大の理論とも言われており、ほとんどすべての工業化に成功した国・地域で経験されている。

なぜ、死亡率の低下が起きたのか?

 では、なぜ産業革命後、始めに出生率の低下ではなく死亡率が大きく低下したのかという、根源的な問いがわいてくる。通常、要因としてイメージされるのが、医療の発達ということだろうが、これは間違いではないにしても、医療に対する過大評価だろう。現在でも、医療で明らかに救える病気というのは、細菌感染症が中心であり、ガンやウイルス性疾患、自己免疫疾患など、多くの病気に対する医療の治療効果は限定的である。

 死亡率低下の一番本質的な要因は、医療というよりも工業化による民衆の「暖衣飽食」と「公衆衛生」の徹底であると考えられる。これはどういうことか。

 まず、産業革命によって、鉄製品が廉価で大量に供給されるようになると、効率的な農機具の普及と、水利施設等の農業土木工事が進み、農業自体の技術革新と相まって、食料生産が増大し、相対価格が低下する。人々はたっぷり食べられるようになり、体力が大いに増した。

 また、鉄道網や汽船の発達で、ひどい不作の年でも、遠方から不足食糧を簡単に調達できるようになり、体力も低下しないし、餓死者も出ない。遠方から食料を購入するだけの水準に民衆の所得も向上した。だから、この時代以降、工業化された国では飢饉は全く発生していない。





Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)


Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
内容は…
この記事は…
コメント4 件(コメントを読む)
トラックバック

著者プロフィール

石井 彰(いしい・あきら)

石油天然ガス・金属鉱物資源機構首席エコノミスト(石油・天然ガス)。1974年上智大学法学部卒業。日本経済新聞社を経て、石油公団にて1970年代後半から石油・天然ガス(LNG)開発関連業務、1980年代末から国際石油・天然ガス動向調査・分析に従事。その間、ハーバード大学国際問題研究所客員、パリ事務所長などを歴任。著書に『世界を動かす石油戦略』、『21世紀のエネルギー・ベストミックス』、『エネルギー:今そこにある危機』、『石油 もう一つの危機』、『天然ガスが日本を救う 知られざる資源の政治経済学』ほか。


このコラムについて

脱常識の世界史

人類の歴史は、究極的に人口とエネルギー源という、2つの要素の変動に駆動されているのではないか。産業革命も、その後の経済成長・変動も、戦争や革命や自爆テロも、人口とエネルギー源の量的・質的変動の観点から見てみると、通常学校で習ったり、新聞・テレビ等で解説されたりする姿と随分と違って見える。人口動態とエネルギー源の変遷が、どのように世界史の動きに絡んでいるのか。これは新たな視点の文明理解、歴史解釈であり、地球環境問題が深刻化している現在、一石を投じる意味があるものと確信している。

⇒ 記事一覧

ページトップへ日経ビジネスオンライントップページへ

記事を探す

  • 全文検索
  • コラム名で探す
  • 記事タイトルで探す

編集部よりお知らせ

日経ビジネスからのご案内