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大毅、大人になった…涙の判定負け

 7回、デンカオセーンに右ストレートを決める亀田大毅=大阪市中央体育館
 7回、デンカオセーンに右ストレートを決める亀田大毅=大阪市中央体育館

 「WBA世界フライ級タイトルマッチ」(6日、大阪中央体育館)

 大毅、涙の敗戦!!挑戦者・亀田大毅(20)=亀田=が、王者デンカオセーン・カオウィチット(33)=タイ=に0-2の小差判定で敗れ、王座獲得に失敗した。序盤から激しいボディーの打ち合いとなり、一進一退の攻防が展開された。大毅は終盤勝負に出たがポイントでわずかに及ばず、兄弟世界王者誕生はならなかった。07年10月の内藤戦に続き2敗目を喫した大毅は今後、デンカオセーンとのリマッチを視野に再起を目指す。

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 あと一歩及ばなかった。目を真っ赤にさせ、会見場に姿を見せた大毅はギュッと唇をかみしめながら言った。「悔しいですね」。視線を下にやり、大きく息をつき「初めは硬かったけど、思った通りにできた。(王者は)思った通り1ラウンドから…、思った通りに…」と必死に言葉を続けようとしたが、語尾は弱々しく途切れた。

 王者の老かいなテクニックに屈した。序盤から得意の左ボディーを打ち込んだが、打ってはクリンチを繰り返す王者を攻略できなかった。6回にはリング中央で打ち合い、連打をヒットさせた。王者のスタミナが切れた11回、12回は左ボディーで王者の足を止めた。だが決定打を欠き、形勢を逆転するには至らなかった。

 2年前の大毅ではなかった。07年10月の世界初挑戦では劣勢だった終盤、試合を放棄するように反則行為を繰り返し、醜態をさらした。だがこの日は最後まであきらめなかった。技術でも精神力でも王者に肉薄した。1人のジャッジが引き分け、残り2人が2ポイント差をつけた事実が、大毅の成長ぶりを証明した。

 天国の恩人のためにも勝ちたかった。10月1日、大毅のもとに悲報が届いた。この春まで亀田プロモーションに勤めていた男性マネジャーが53歳の若さで、肺がんで亡くなった。亀田家が東京に拠点を移してから4年間、ずっと亀田家を支えてきた人だった。独立して事業を興すため亀田プロモーションを退社したが、試合会場には毎回足を運んでいた。

 男性が最もかわいがっていたのが大毅だった。家に引きこもりがちの大毅に「東京で友達ができるか心配」とこぼしていた。入院中も大毅の世界戦のことを気にかけ、最後まで心配していたという。そんな恩人の墓前に世界のベルトを持って行くことが最大のモチベーションとなっていた。

 今後に関して問われると「このためだけにやってきたし。俺には家族もおるし。ボクシングしかないし」とこらえきれず大粒の涙を流した。ライセンス停止処分から2年を経て、2度目の世界戦でも悲願は達成できなかった。だが、この日は大きな可能性を残しての敗戦だった。目指すべき頂点がはっきり見えた。

(2009年10月7日)
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