代表的な反論(4)


便衣兵と国際法(1)
間諜の処刑とハーグ条約(2)
代表的な反論(3)
代表的な反論(4)
信夫学説の解説(5)
軍律についての解説(6)

祖国を防衛は犯罪か?

 
代表的な反論(2)

 1874年のブラッセル会議で、ロシアが提案した便衣兵即決処刑案が条文として採用されなかったということは、当時の国際会議で、便衣兵の処罰に裁判が義務という国際合意が為されたと考えられ、1874年以降、国際慣習法として便衣兵の処罰に裁判が義務という慣習法が成立したと考えられる。 


国際法論として論外な理由
 
 上の主張は国際法論としては論外なものです。

(1)ある提案が条約化されなかったことで「合意」がなされたとはみなされません。なぜならば合意が得られているならその場で条約化が可能だからです。具体的に説明すると、各国の合意があるならば、便衣兵の処罰には裁判を義務とするという条文の作成が可能だったことになります。実際には条文は作成されていませんから、即決処刑を認める見解と認めない見解の両方が存在したままということになります。

(2)また各国の「国家実行」なしで慣習法が成立することはありません。実際の国家実行についてはすでに引用した通りです。

(3)そもそもブラッセル(案)は国際条約として発効しておらず、国際法を考える上での重要な基準にはなりますが、そのまま国際法として拘束力を持ちうるものではありません。


具体例の説明(戦時復仇)

  ある規定が条約化されなかったということでその概念が否定されたということにはならず、条文化することにより発生する弊害(条約の拡大解釈から発生する権利の乱用)を避ける為、条文化しないという場合もありえるわけです。その例の一つに「戦時復仇」があります。

戦時復仇
『戦時国際法論』P35 立作太郎
 ハーグの陸戦条規においては、戦時復仇を公然認めるは、これが乱用を致す所にてと為して、これを条文中に掲げなかったのであるが、慣習国際法上において明らかに認められ来つた所である。


 「戦時復仇」とは、相手側の違法行為に違法行為をもって報復する権利ですが、これは歯止めをかけるのが非常に難しく、泥沼状態に陥ることが多い。そういう事情を勘案した結果、条約とはしなかったが、条約にならなかったという理由で、その存在が否定されたわけではありません。


  
具体例の説明(投降兵の処遇)

 もう一つ、「削除された条文案」が、必ずしも否定されたわけではないという例を検証してみます。論点は陸戦法規の禁止事項として「捕虜にしない(降伏・投降を受け付けない)という宣言すること」についての条約案で、ハーグ法規ではこのようになりました。
 
第23条(二) 「助命せざることを宣言すること」
  

『戦時国際法提要』(上)P563 信夫淳平

 1874年のブリュッセル会議において討議せる際の原案は『交戦者は敵を助命せざることを宣言するの権利無きものとす。但し、敵のとりし過酷の行為に対する報復として、もしくは味方の廃滅を防ぐ不可避的手段として、の場合に限りこれを為すことを得。敵を助命せざる軍隊は己の助命を要求する権利無きものとす』というのであったが、この例外的許容の文字は削られて、大体現行の本両号となったものである。しかしながら現行規定の下にありてとも、ある場合は不助命の宣言に例外を認めぬではない。

 当初は、助命しなくてもよい例外の規定が盛り込まれていましたが、その例外規定の部分は削除された訳です。しかしながら、削除された例外についても完全に否定されたということでもなく、国際法上は認められていると説明されています。





まとめ

 例えば「助命しなくてもよい」例外を条約化すると、それを拡大解釈することにより投降兵を保護するという条文の目的が薄れてしまう可能性がありますね。

 便衣兵の処刑について即決処刑を条約化すると、拡大解釈による即決処刑が多発する可能性があるので、これを条約化することは適当ではないかもしれません。然しながら、「裁判が義務」という条約を作成することについては、なんら問題はありません。現実にハーグ法規では「間諜の処罰には裁判が義務」という条約が作成されています。

 事実関係として、「便衣兵処罰に裁判が義務」という条約が作成されなかったということは、各国の同意が得られていなかったと考えられます。これは各国の国家実行が証明しているでしょう。

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