レッサーパンダの風太では無い話 (復元記事)
テーマ:社会生活レッサーパンダ男と言っても、もう皆は忘れているだろう。浅草で、女子大生を殺してしまった男である。彼は、自閉症で、且つ家庭環境にも恵まれず、家に居るぐらいなら、放浪の旅をしていた方が、心休まる環境だった。やはり、自閉症らしく、ぷいと家を出てしまう。家族はその間、心配はしても特別な手立てはしない。彼が、帰ってきた時に、怒鳴りつけ、なにがしかの金を与えるだけである。彼は、弾みにしろ、何にしろ、女の子を刺して殺してしまった。彼は、刑務所の中だ。しかし、どうも彼にしてみれば、実は刑務所の中が、一番安心出来る場所の様な気がする。無用の刺激を受けず、刑務官の言う通り、ただひたすら同じ毎日を過ごす。定形発達の人間からすれば、最も苦痛と思われがちだが、結構自閉症者には、向いた生活環境なんだよね。こんなところも、自閉症と思われる犯罪者が、犯罪を重ね、刑務所に定着する原因と、私は考えて居る。
【この頃は、「この子が自閉症?」と思いながらも、未だ、マスコミを信じていた。事件としては、他の子供達の事件の様に、同感、通じるモノが無く、しかし、大きく「自閉症裁判」としている事を、不思議に感じていた。今になると、出版の取材、ドキュメンタリーの取材が、マルチメディアとして、一緒に共同して行われ、テレビ取材と、書籍の同行取材であった事。周辺の証言はあっても、医師の証言が一切無かった事。レッサーパンダ男が、熱烈な創価学会信者で、女の子を殺す前夜にも、お題目をあげていた事。等から、「ピン!」と来なきゃいけなかったんだな。何故、彼を無理矢理「自閉症」にしなければ、いけなかったのだろうか。知恵遅れの、恵まれない青年の事件ではいけなかったのだろうか。何故殊更に「自閉症裁判」と大げさに宣伝しなければいけなかったのか。私の裁判と同じで、私には意味が分からないが、其処には、隠された、強い意図 があるのだろう。 ああそうか!今分かった。自閉症の子供を持つ家族が、自閉症という言葉を嫌いになって、「自閉症」→「発達障害」と名前を変更するのを、望む様にする、活動の一環か。呼び方が変われば、書籍、官公庁、すべての出版物の、呼称の書き換えが必要となり、そうなると、膨大な冊子の刷り直しが必要だもんな。今の、一連の社会の流れに沿っているんだな。では、現場の、自閉症の子供達はどうなる。せっかく、自閉症の名前と、症状の認知が進んだのに、またミソクソ一緒の「発達障害」。大体日本自閉症協会が、自閉症を標榜しながら、ホームページ上で、自閉症の事を「発達障害」と呼び出している。自閉症児の為の集まりじゃ無くなってる。JDDはその受け皿か。そのうち、JDDの自閉症部会になるんだな。この流れは、止まらず、自閉症はまた、障害者施設、学校のお荷物。鬼っ子に戻るのか。よく言うよ。自閉症の理解の為なんて。】
2007/11/4(日)のブログ 復元記事