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航空史探検博物館機名別索引

 

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 必読 日替わりメモ 

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメール( sa@axisz.jp 冒頭にkをつける)でお寄せください。

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。気付いての修正がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
 
日替わりメモ091007

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N680 ニュースフラッシュ 2009/10/04 第37回木更津航空祭
N679 ニュースフラッシュ 2009/10/04 海上自衛隊岩国航空基地祭 飛行及び地上展示を追加

○ 続 海上自衛隊岩国航空基地祭

 やっと、飛行展示と地上展示を加えました。時間切れのため、第31整備補給隊のもっと詳しい展示状況とその他会場風景などを後日に譲ります。特に標的の整備など、書籍では殆ど紹介されない部署の隊員が質問に懇切丁寧に答えてくれていたのが印象的で、会話に夢中になって肝心の撮影を忘れたものがかなりありますが、ぼつぼつということで。


 そういうことで、先日来多くの方から古い貴重な写真などを送って頂いていますが、ニュースに手を取られてなかなか紹介できません。もう少しお待ちください。といっても、昔のアルバムにおっ!というものを見つけたら必ず送っておいてくださいね。

 それから、画像送付にそえて「毎日楽しませて貰っている」や「体に気をつけて永く続けてくれ」というお言葉を頂きながら、メールにお礼の返事が出来ていません。ありがたく、かつ、申し訳ないの気持で一杯ながら手が回りませんので、どうか察してくださるようお願いいたします。

 

日替わりメモ091006

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N678
「表紙絵49 無 題] 撮影nagm12002
ニュースフラッシュ 2009/10/03 小月航空基地を飛びだしたYS-11M (事故発生は2009/09/28)
N679 ニュースフラッシュ 2009/10/04 海上自衛隊岩国航空基地祭

○ 表紙絵を‥ 

 「無題」としましたのは、小月のYS-11M事故現場が観光スポットになっていると書くと気を悪くする方々がいるでしょうから、制作者も気をつかっているわけです。プロペラが曲がり、3脚は全部折れているということなので、羽田に海保機などのストックがあるとはいうものの、底面などを修理して後何年もつのかとなると廃棄の方を選ぶことになるのでしょうね。

 戦前の話になりますが、上海でオーバンランして土手に突っ込んだダグラスDC-2を、電気もない所なので第一番にディーゼルエンジンから準備して、発電機を回してエアコンプレッサーから電気ドリル、ニューマチックハンマーなどを動か して見事修理をした航空機関士がいます。(航空史の思い出ダグラスDC-2 J-BBOT 阿蘇号の事故) 

 それに較べたら、小月の事故処理などは朝飯前みたいなものです。海上自衛隊の腕利きの整備士を集めて、最前線における軍用機の再生訓練の実施など如何なものですかな。フライアブルで小月基地内に保管すれば、丈夫で長持ちのYS-11の歴史的声価を更にたかめることになって一石二鳥と思いますがね。


○ 海上自衛隊岩国航空基地祭

 大量の写真を前にして、編集方針を決めかねていたところへグライダーマンの古谷さんから格好の手記が届き、また、幸運にも新鋭US-2の体験搭乗に当選したにがうりさんから機内の様子の写真を頂きました。今朝はとりあえずこの2本で基地祭レポートをスタートさせました。

 

日替わりメモ091005

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A3001 航空史探検博物館 日本の風景 飛行場空撮 百里基地 2009/09/20の撮影
A4401 航空史探検博物館 航空自衛隊岐阜基地 展示場のF-104再塗装ほぼ完了 F-86D撤去中の写真

○ 飛行場空撮 百里基地 (おまけ ハバロフスクの飛行場)

 赤字必至の難題をかかえたまま建設が進む茨城空港(百里基地)の滑走路を、飛行浪人さんがパリ帰りの上空から捉えました。朝7時なので何やら一帯が青っぽい色調です。基地はともかくとして民間空港の青息吐息を暗示しているような。

 その1時間40分ほど前のハバロフスク上空 からの撮影、冷戦中なら彼は即逮捕シベリア刑務所送りでした。いい世の中になったものです。
・ 民間空港の真上で滑走路の一部と、隣の小型機用の滑走路


・ 次の飛行場は若干南側で輸送機の基地らしい。なおハバロフスクには左右行ったり来たりで四か所の飛行場を確認できたそうです。

 

○ 岐阜基地のF-104JとF-86D

 岐阜基地のF-104Jの再塗装が完了しました。細かなステンシルも丁寧に復元してあるそうで、12日の航空祭が楽しみですね。併せて、7月15日に展示場から牽引されて出ていくF-86Dの写真も発表しました。岐阜基地と小山さんに感謝します。


▽ 多忙故

 多忙といっても、一昨日は山内秀樹さんの航空軍事学の講義に約5時間付き合って、最後の方は当方のアルコール混合とはなりましたが、びっしりと勉強し、昨日は、雲ひとつない晴天の下、岩国航空基地に約6時間、というような訳でして、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新がはかどりません。たくさんの情報を送って頂いている皆さん、今週一杯かけて必ず発表しますのでご了解ください。

▽ H-101の話題

 岩国のシラセ飛行科でお聞きしたところでは、2機のCH-101は、明日6日に出発して、徳島で給油し、館山に向います。そして10日には館山沖で二代目しらせに塔載するそうです。10、11日のヘリコプターフェスティバルで披露してあげればと思うのですが、南極への出港スケジュールから逆算すると、訓練や艦内で防錆(防塩)塗装などするためにやむをえないとのこと。ペンギンマークはまだ描いておらず、これはマグネット板をポンと貼り付けるだけのことになるそうです。

 51空のMCH-101の方は、部品供給が遅れているそうで、昨日は第三格納庫にローターを外され埃をかぶっておりました。これじゃ本格部隊配置は計画よりも数年遅れそうです。 

▽ 岩国航空基地史料館

 基地ホームページには「開館日 平日 9:00〜16:00  休館日 土日、祝祭日、年末年始」と10年前から変わっていません。しかし、去年は、沖展のシーレーン管制塔近くの小さなプレハブに移転し、見学はほぼ不能でした。今年はというと、そのプレハブもつぶされて、米軍区域内にある海自宿泊施設の中の倉庫みたいな部屋押し込められ、とても見学できる状態ではないそうです。ホームページよ、市民を騙すなと言っておきましょう。そして、貴重な史資料が移動のたびに壊れたり紛失したりするのではないかと心が痛みます

 

日替わりメモ091003

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Y-6
 
「表紙絵48] 727ファンにはわるいですが、ターミナルビル屋上のYS-11に注目してください
調査研究コーナー 国産旅客機YS-11特集
[6] 技術 その他
 再編集 1 02号疲労試験機の生涯  2 YS-11の脚ダウンロック表示について

○ YS-11 02号疲労試験機の生涯

 ボーイング727が駆けあがる素晴らしいショットを表紙絵に採用しましたが、残念ながら727が主題ではなく、その脚下の向こうに見えるYS-11がテーマです。その当時、旅行客も空港で働く人もカメラをもったマニアすらも、ターミナルビルのYS-11展示を当り前のこととして注目していなかったのは羽田七不思議のひとつにしてもいいと、航空史探検博物館制作者は考えています。

 JA8611なる量産1号機のナンバーを書いてはいるが、実は破壊用の02号疲労試験機だと分かったのが3年前でしたし、TDAカラーのしれとこ号の塗装が最後なのか、ビルから降ろされたのが何年なのかは、いまだに分からないのであります。

 今朝の写真で、展示の位置がはっきりしました。手前のE番スポットに駐機している727に較べてみてもかなり大きいし、相当に目立つ存在だと思います。整備場側からBランをはさんでの撮影なので、残念ながら塗装がはっきりしませんが、多分JA8611 PROP JET と表示していたのでしょう。

 この写真を頂いたので、YS-11特集を再編集して、新たに02号疲労試験機の項目を立てました。調布で外からの水圧、内からの水圧で6倍の荷重に耐え、丈夫で長持ちのYSを成功させた上に、羽田やTDAの巨大な広告塔として貢献した飛ばない機体の歴史を記憶にとどめましょう。

 さて、ボーイング727ファンのためにも一言
 にがうりさんによると、
旧Bラン22の離陸と04着陸は、川崎市街地上空を低空通過するので危険と騒音公害から禁止されたので、この写真は、それ以前の、しかもまだスモキー・エンジン(黒煙を吐くエンジン)で離陸しているということです。良し悪しは別として727が大威張りで飛びまわっていた時代の一断面です。

 

日替わりメモ091002

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T48 図書室 書 評 CHECKER TAIL 4 在日アメリカ海軍機写真集
    追加 CHECKER TAIL 4に印刷できなかった写真を航空ファン誌が取りあげる 

○ 三たび CHECKER TAIL 4 在日アメリカ海軍機写真集について

 090929「航空ファン11月号は売り切れ」と書きましたら、Mさんが気の毒に思ったのかわざわざ送ってきてくれました。それも10月号を添えて。居ながらにして2冊の航空ファンから最新の情報を採取できるとは、感謝感激このうえございません。ありがとうございました。

 たまたま、この両号には ATSUGI'50s としてCHECKER TAIL4に印刷できなかった写真と解説が載っています。印刷できなかったというよりも、ボリュームの関係から涙を飲んで落さざるを得なかったショットのたぐいです。したがって、両者は補完関係にあり、AGCの編集者と文林堂の編集者の息がぴたりと合った日本の航空ジャーナル界においては画期的な出来事であると評価しておきましょう。佐伯のくだらない評論よりも航空ファン編集人三井一郎さんの編集後記を読んで貰えば、その意味がわかると思います。

 現代の軍用機を理解するためには、初期ジェット軍用機を知る必要があります。その上に機種や機体や武装と並んで、テイルレターなど人々を惹きつけてやまないカラフルな装いの米海軍、海兵隊機は、マニアにとって永遠の女神みたいなものでしょうから、同好の士には取り揃えておくように勧めます。

 さて、航空ファン誌を、これだけで買っておく価値があると主張するつもりはありません。

 前期ファントム世代の老人が、虫眼鏡片手にすべてに目を通してしまった11月号の「特集日本のファントム」ほかお奨め記事はたくさんあります。全部は紹介しきれないので「特集日本のファントム」だけ、個人としての感想を書いておきましょう。

 私から言わせれば、ニュータ、ヒャクリ、ギフに展開してF-4を取材してきた編集部員たちは、F-4部隊の司令らと同年配、つまりはファントム無頼などの漫画に興奮していた中期ファントム世代であります。よってかゆいところに手が届くよな取材で、ニッポンファントムの現状がよくわかりました。こういう地に足がついた取材ができる立場・情熱・知識をとてもうらやましく思います。

 百里航空祭でRF-4の用廃機がずらっと並んでいる光景にショックを受けたばかりですが、新田原においても銀色のF-4用廃が並んでいる写真(p6)に、おおー、ここもかと溜息がでました。ファントム全体では1/3に減勢していると書いてあります。
 もうそんなにもと驚きましたが、その用廃の中味というのは、1機まるごと廃棄する基準がどこにあるのか、骨格など重要部分の痛み具合から判断するのか、そのあたりの解説がないので、前期ファントム世代にやや欲求不満が残るのが残念です。

 090929に潜水艦のデジタル潜望鏡のことを書きました。しかし、航空自衛隊の偵察ファントムは当り前ながら未だにフイルムカメラという紹介、現像から解析まで初期とは比べ物にならないほどスピードアップされたとはいうものの、模型飛行機ですらデジタルで画像を送ってくる時代に物悲しい話です。百里へ行くと、501部隊のファントムが302部隊のF-4をしのぐ機動飛行を見せてくれたりするそうで、それは、偵察型だって負けていないぞというパイロット達の無言の意思なのでしょう。そんな匂いが誌面から感じられました。

 長くなるので、このあたりで終わります。

 おっと、忘れるところでした。11月号にはサンダーバーズ来日記念・別冊付録というのがついています。これが売切れ書店続出の原因かもしれませんね。


○ 誉エンジンは大阪の交通科学博物館にあるようです F-BLHQさんからメール

091001に「万世橋の交通博物館3階にあった誉など超貴重タイプの数々が今どこにあるのか知りませんが、」とありますが、誉は大阪の交通科学博物館にあるようです。次をご覧ください。
http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174082_799.html

 佐伯から : そうですか。大阪へ移動していましたか。一応は安心ですね。ご連絡ありがとうございました。
 大阪の方、是非とも
交通科学博物館へ行ってチェックしてきてください。

 

日替わりメモ091001

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A3630
A3630
航空史探検博物館 東京都台東区 国立科学博物館  1989年当時展示のアル―エトU、ライトR3350など追加
零式艦上戦闘機21型 日本での修復、展示変遷、各部詳細に1989年当時の説明板を追加

○ 20年前の上野の国立科学博物館

 20年前の科博に、航空史探検博物館発表済みの零戦、海上保安庁のシコルスキーS-58、陸軍モ式六型と共に、東邦航空のアル―エトU、ライトR3350、金星、サルムソンの各エンジンも記録できました。

 完全な姿の三菱金星エンジン(初期型か?)とサルムソンエンジンは、恐らくここだけにあったものと思います。また、マーチンP5M哨戒飛行艇に搭載されていたと説明付きのライトR3350は、究極のレシプロ航空エンジンといわれるターボコンパウンド型で、日本では鹿屋航空基地とここの2基だけです。

 これらが、系統的なコンセプトで収集されたものではないにしても、貴重な展示でした。今は零戦を除いては、剣と一緒に筑波に保管されているものと思います。何とか陽の目を見るようにしてもらいたいものです。エンジンといえば万世橋の交通博物館3階にあった誉など超貴重タイプの数々が今どこにあるのか知りませんが、これらを一堂に集めめることができないでしょうかね。

 総選挙前に文科省から駆け込み天下った国立科学博物館の新館長さん、心あらば高い給料や予定されている再退職金を割いて、National Museum of Nature and Scienceにふさわしい航空科学技術の充実に布石を打って下さいな。

 

日替わりメモ090930

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HOME N676 「表紙絵47] ちゃんぽんにチャッポーン 長崎空港空の日
ニュースフラッシュ 2009/09/26 長崎空港 2009空の日
N677 ニュースフラッシュ 2009/09/26 大刀洗平和祈念館 開館に先立って零戦の贈呈式挙行
N675 ニュースフラッシュ 2009/09/27 航空自衛隊 芦屋基地航空祭
A3608  航空史探検博物館 東京都 福生市 横田基地の剣の発掘写真

○ ちゃんぽんにチャッポーン

 毎年の空の日の行事に、いかにして多くの人に来てもらうか腐心している空港協議会もあれば、例年ルーチンでお茶を濁すところもあるようです。

 長崎空港の空の日がどっちだったのかはしりませんが、大型旅客機の消火実演もさることながら、ロビーのカステラとちゃんぽんが意表をつくアイデアで、大変面白く、表紙絵に採用しました。あかちゃんを飛行場へ連れてきて大やけどを負わせた(まさか!)撮影者は、この子をヒコーキマニアの後継者に育てるつもりなのか?

○ 大刀洗平和祈念館

 いよいよ3日(土曜日)にオープンですね。九州旅行の楽しみがまた一つ増えました。

○ 芦屋基地航空祭

 昨日お願いした隼レプリカをはじめ、飛行展示などたくさんの写真を追加しました。教育資料館に人が多くて写真が撮れなかった時間をはずすと、自由に写せるという夢みたいな画像紹介です。ちなみにMAVERICさんは2時15分ごろに入館しています。

○ 剣の発掘写真

 栃木の杉山さんが、また剣の写真を入手しました。米兵個人のアルバムから流出したものでしょうか、コックピットに入って、どうだというような顔を見せています。風防を閉めると頭のてっぺんが支えてしまいそうな気がするのも愛嬌です。

 撮影時期を、日本航空協会に委ねて日比谷公園で航空50年展が開かれる前と推定しましたが、このあたりから剣流転の人生が始まります。今は筑波の倉庫で、エンジンだけは整備された状態らしいですが、胴体や翼はぼろぼろのままで眠っているのではないでしょうか。大刀洗の零戦がうらやましいことでしょう。

 

日替わりメモ090929

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N675 ニュースフラッシュ 2009/09/27 航空自衛隊 芦屋基地航空祭
A3606  航空史探検博物館 東京都立航空高等専門学校(現都立産業技術高専)  警視庁ベル204BとF-86Dの現役写真追加

○  芦屋基地航空祭

 他サイトによると前日のブール―インパルス予行は、青空の中で素晴らしいものでした。本番の日曜日には動きだした途端に大粒の雨、でも飛びました。女心と秋の空、管制官の心も休まる時がないでしょうな。地上では、実機のパネルを外しての展示や、術科学校でパワーシャベルの体験操縦など例年芦屋独特の催しで楽しませてくれますし、常設展示機の塗装がくるくる変わっているのもここの特徴といえましょうか。尾翼マーク無塗装だったハチロクに何んと黒と黄色の碁盤縞が塗ってあります。一見第1航空団のマークですが、40年ほど前の実機と比べますと、最上段の黒が9から7に、最下段の黒が11から8に減っているのが(しっかり確かめたわけではありませんが)愛嬌なのか手抜きなのか‥

 なお、航空史探検博物館として期待していた隼レプリカの写真が人混みが多くて写せなかったそうです。どなたか撮っていませんか。証拠写真程度でも結構です。


○ 海上自衛隊YS-11Mのオーバーラン

 田んぼへ機首から突っ込んだYS-11の映像から、ああ稲は黄金色に実っているなあと妙なところで感心したりしました。9044号機は製造番号2182 つまり生産最終号機なのです。大きな事故にならなくてよかったと思うと同時に、取り入れの稲穂とともに生涯を終えさせてやればと思いました。来月11日のすうえるフェスタでは小月に留め置かれた姿がみられるのではないでしょうか。

 なお、このYS-11M生産最終号機の搭乗記がYS-11のさまざまな思い出Y-4の中にあります 。


○ 書店にて

 ボケを意識せざるを得ないのでありますが、シャネルを一代で築きあげた女性の映画の札をもらったので、市内中央部まで自転車で出かけ、有料駐輪場に預けて出た途端にそのチケットを忘れてきたことに気付きました。すぐに自転車をだすのも業腹なので、この際本屋へでもと、市内電車で広島駅前のじゅんく堂書店へ行き、ここは、座っての品定めができるので、2時間ほど費やしました。

・ 航フ売切 航情入荷せず
  当方の趣味関係でいうと、航空ファン11月号は売り切れ、航空情報11月号は「入荷していません」との店員の調査結果です。お目当てがないので、世界の艦船11月号の新型潜水艦そうりゅうの特集記事をじっくりと拝見しました。

・ 世界の艦船にみる潜水艦技術
 潜水艦の技術は、飛行機の技術のはるか上を行っているなあというのが、素人の率直な感想です。スターリングエンジンという液体酸素とケロシンを燃料とする駆動装置のおかげで、シュノーケルもいらないし、浮上してディーゼルエンジンで発電し蓄電池に充電しておく手間を軽減、一瞬のうちに360度をテレビに映し出してくれる何とか潜望鏡、艦体表面は指で押すとへこむらしい柔構造でステレス効果をだしているとか、このあたり勉強不足で不正確ですが、驚きの連続です。

 だいたい 〜〜しおという海自潜水艦の命名をやめてそうりゅう(蒼龍)、次はうんりゅう(雲)だそうですから、T-7とかF-2とか冴えない名前で済ませている航空機にくらべて、よほどマニア請けしますわなあ。先日はテツヤに鞍替えしたいとかきましたが、フネヤへ行く方が面白いようですよ。

・ 展示機リスト
 もう1冊、イカロスのJ-Wing11月号の自衛隊機保存展示リストも少し丁寧に見てみました。佐藤正孝さん作成で、さる著名記録派マニア氏から、自分のリストをこれと付き合わせて正確を期すというメールを頂いているので、恐らく日本で最も信頼できるのでしょう。航空史探検博物館として心穏やかでありませんが、既に撤去済みのものなど明らかに違っているものもあるように感じました。

 恐縮ですが、11月号を購入した方でお志があれば、頁をコピーして送ってくださると感謝です。

 なお、記事コラムの中で8月23日の普天間基地航空祭について、カメラはコンパクトカメラしか持ち込みを認められなかったとあります。なぜレンズ交換式カメラがいけないのか理由は不明だそうです。というわけでコンデジで克明に写してくれたFalconさんのレポートN667は貴重な記録となっています。

 

日替わりメモ090928

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A3606  航空史探検博物館 東京都立航空高等専門学校(現都立産業技術高専) KM-2を追加

○ 東京都立航空高等専門学校のKM-2

 今は、かかみがはら博物館の倉庫に収納され、時折公開されている富士KM-2 6255の都立航専時代の写真を追加しました。各務原で常時公開されないのなら、そのまま東京で展示しておけばいいものをと思いますが、両者に何か事情があるのでしょうかね。

 併せて、都立航専のノースアメリカンF-86D 84-8117の現役時の写真を載せておきました。航空自衛隊の撮影で、セイバードッグが日本で一番活躍していた1960年代中期、小牧基地で写されたものと思います。


○ 英語版 CHECKER TAIL4 から思うこと

 CHECKER TAIL4  在日アメリカ海軍機写真集の書評T48末尾に「厚木に無縁の人には、これでもかこれでもかと書かれる描写にやや食傷気味」と書きましたが、英語版CHECKER TAIL4の「Weekly Photos Archives」は、厚木人のノスタルジアが取り除かれた解説になっています。海外でも玄人筋に好評だそうです。例えば、1957年に撮影されたマクダネルF3H-2Nデモン136982の解説はこんな具合です。

Broad band across the vertical fin and wing tips were trimmed in International Orange. Light blue painted training missile of Sidewinder is mounted under the starboard inner launcher. VF-122/CVG-9[NG] was the second squadron deployed to West Pac with F3H-2N Demon aboard USS Ticonderoga 16SEP57-25APR58, following VF-124/CVG-12[D] which deployed 19APR-17OCT57 aboard CVA-16 USS Lexington.

 筆者の山内さんによると、この飛行機の誕生から消滅までと空母搭載時期などのすべての日付まで知った上での記述だそうです。なぜそこまで調べあげられるのかというと、CHECKER TAILにも写真がたくさん採用されているH.G.さんが取り寄せていた米海軍の個別機体記録の膨大なマイクロフイルムが基礎資料になっています。それを丹念に解読しながら、他の公刊資料や部隊OBが発行したアルバムなどと付き合わせて修整リストが作られています。1日15時間マイクロフイルムとパソコンと格闘しながら、解読はまだ道半ばという気の遠くなる作業だそうで、米海軍海兵隊機でこれほどのリストを作っているのはマニア多しと言えども大阪の山内さん、日本飛来機に限って言えばGO NAVY!の広江さんくらいのものでしょう。(H.G.さんは惜しくも去年亡くなりました)

 分野が違うし、レベルが段違いに低いとはいえ、趣旨としては航空史探検博物館の各種リストづくりも同じです。日本には米海軍機のマイクロフイルム記録のようなものが公式に全く整備されていないので、数十年前のことになると航空局へいっても防衛省へいっても資料の探しようがないという状況ですから、マニアがこつこつと当っていくほかないわけです。

 その意味で航空史探検博物館が現世後世の史家の研究の糸口になるデータベースになるようにしたいと考えている次第です。 

 

日替わりメモ090927

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HOME 「表紙絵46] 空母に陸自機着艦???  geta-oさんの写真にちょっといたずらをしてみました (お許しを)
A3661 航空史探検博物館 思い出 西武スカイステーションで行われた行事から
       (1) 写生大会
       
 (2) 空の日関連行事か? H-19C飛来
       (3) F-86Fのガンベイパネルをはずして展示

○  続 西武スカイステーション開港

A3661へ転記 

 し尿専用貨物列車で思い出しましたが、調布で使用事業の免許第1号を取った青木航空の青木春男さんは、翼をもがれていた時期に汚わい屋をやっていたんだと、オールド航空人から聞きました。でも、世に欠かせない立派な職業であり、そこで得た資金があったればこその青木航空ですよねえ。

 

日替わりメモ090926

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A3661 航空史探検博物館 思い出 1959年西武池袋本店のヘリポート 西武スカイステーション開港
航空史探検博物館 思い出 付 ヘリポートで写生大会

○  西武スカイステーション開港

A3661へ転記

 

日替わりメモ090925

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A2302 航空史探検博物館 思い出 1964年の松島基地航空祭 F-101からFー104など

○  センチュリーシリーズが揃った頃の航空祭

 F-101、F-102、F-104、F-105とセンチュリーシリーズが揃い踏みという航空祭はそれだけでも豪華版です。航空自衛隊のF-104は就役後、横田のF-105もF-100と交替後それぞれ間もなくという時期ですし、この年の厚木と岩国にはF-4がお目見えしています。次から次へと新鋭機が現れて、ヒコーキマニアのすそ野が加速度的に広がりはじめた時期でもありました。

 さて、45年前の松島基地航空祭を振り返りながら、いよいよ明日の徳島航空基地を皮切りに、27日芦屋基地、10月4日岩国航空基地、11日館山、下総、小月各航空基地、12日岐阜基地、17日八戸航空基地、18日三沢基地とオープンハウスの目白押しに、今年はどんな趣向が現れるのか胸が鳴りますね。加えてサンダーバード曲技チームが15日千歳、17日浜松と回ります。

 ニュースフラッシュへ的確に航空祭風景を捉えた投稿を期待しています。

 

○  続々 教えてください

 「西武グループの歴史 http://www.k2.dion.ne.jp/~hkg/index.html 」管理人の福山弘人さんから次のとおり情報を頂きました。

池袋西武屋上のヘリポートについては以下のとおりです。

1959年(昭和34年)7月 西武が朝日ヘリコプターに資本参加・・・朝日航洋50年史
1959
年(昭和34年)912日 池袋西武百貨店屋上に世界最大級の屋上ヘリポート「西武スカイステーション」開港・・・社内報西武
1963
年(昭和38年)8月 池袋西武百貨店屋上ヘリポート閉鎖・・・朝日航洋50年史
ヘリポートは有名だったので、他にも「セゾンの歴史」、「各新聞縮刷版」に記述はあると思います。
残念ながら「写生大会」のことはわかりません。

 福山さん、ありがとうございました。世界最大級のヘリポートということで、知る人ぞ知るの存在だったようです。航空ファン1959年11月号に、そのオープンの模様が出ています。それらを含めて、改めてこのヘリポーの記録をたどりたいと思っています。

 

日替わりメモ090924

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番外 ニュースフラッシュ 2009/09/23 秋分の日の呉市 日本海軍と海上自衛隊
N673 ニュースフラッシュ 2009/09/23 広島空港のエーデルワイスA330

○  ニュースフラッシュ番外編

 航空機は全く出てきませんが、海上自衛隊の基地、呉ならではの映像で遊ばせていただきます。

○  続 教えてください

   昨日発表の写生大会は、1961年池袋西武デパート屋上と判明しました。驚いたことに、この百貨店屋上をヘリポートにしていたらしいのですが、詳しくは調査中です。

 

日替わりメモ090923

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HOME A3673 「表紙絵45] 教えてください 1961年頃、デパート屋上の航空展 写生大会
航空史探検博物館 東京都 
思い出 教えてください 1961年頃、デパート屋上の航空展 写生大会 

○  教えてください

 飛行場周辺や航空祭で写した写真は、量もあるし仲間うちの情報交換もあって割と整理がなされますが、その昔、百貨店などの行事の際に写した航空機写真が出てくると、どうも記憶が呼び戻せないという経験はありませんか。本日発表の写真もそのひとつです。

 写真自体は、よくぞ陽の目を浴びさせてくれたと喜んでいるでしょうから、何か覚えている人は断片的なことでも教えてください。

 私は、1961(昭和36)年の夏休みの行事ではなかったかと推理してみました。新聞の都内版に開催デパートの広告が出ていれば、一発正解となります。だれか日比谷図書館へ行ってくれませんかな。

 写生している子どもの中に私がいますよと、名乗り出てくる人があればサイコーですけどね。

 

日替わりメモ090922

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A4540
RS-2
航空史探検博物館 浜松市西区 舘山寺パルパル (現浜名湖パルパル)のT-1AとH-19
調査研究コーナー 富士T-1A/B研究 3号機の舘山寺パルパル展示写真
A8716 航空史探検博物館 鹿児島県指宿市 指宿ヘルスセンター にあったF-86D

○ 舘山寺パルパルのT-1AとH-19

 富士T-1A 試作3号機(95-5803) が1968年に用途廃止してから20年後の写真が届きました。浜名湖に面する舘山寺パルパルに展示してあったもので す。塗装は、実験航空隊時代の全面銀地の状態でした。

 現在は、西へ約30キロの愛知県小坂井町の電機工作屋さんA4612にありますが、こ こでは、入間の稲荷山公園に展示されていた試作2号機(85-5802) の後部胴体と合体させたものではないかとも言われています。

 2号機の機首部分は、入間基地近くの民家で確認されています 。3号機の後部胴体がまだあるとすれば、かかみがはら博物館 保管中の1号機とともに曲がりなりにも試作3機が揃います。1号機がT1F2の形跡を残したままT1F1に改造されたように、2号機も3号機もいろいろなテスト の結果で機体をいじった痕が残っているのではないかと想像されます。3機を一堂に集めて、日本で初めてジェット機を量産するにあたっての技術試行錯誤を後世に伝えられたら素晴らしいことだと思います。

 なお、調査研究コーナー富士T-1A/B研究の[2 全機リスト]の引渡日と用途廃止日の記録があいまいでしたので、この際、下郷松郎さん作成の国産機プロダクションリスト(2009/09/11版)を拝借して全機訂正をしておきました。下郷さんのご労作に改めてお礼を申し上げます。

○ 指宿ヘルスセンターにあったF-86D

 2枚揃った写真とを見ますとH o r n e tさんの1973年撮影分は指宿ヘルスセンターに展示されて数年後のもの、コナミさんのは樹木の様子や機体の汚れから見て開聞岳自然公園での撮影ではないかと思われます。手持資料では次のようになっていますが、指宿ヘルスセンター(指宿ジャングル温泉か?)もわくわくらんどというのも既に消滅しているみたいです。いずれにしても1990年代までF-86D 04-8195があったことは確かです。会社旅行でかの有名な混浴の指宿ジャングル温泉を楽しんだ人、夫婦で開聞岳を観光した人、写真を探してみてくださいな。

・ 航空情報1970年1月号 保存機リスト第3回
    F-86D 04-8195 指宿市の観光ホテル・ヘルスセンター前広場に展示。
・ 翼1979年 あの飛行機は今どこに
    F-86D 04-8195 亜熱帯植物果樹園 鹿児島県指宿郡開聞町
・ スカいスポーツ増刊 1992Winter・Spring にっぽん全国展示・保存ヒコーキ・ガイド ’92 JARG
    F-86D 04-8195 開聞岳山麓大自然公園わくわくらんど 鹿児島県指宿郡開聞町川尻

 

日替わりメモ090921

本日のページ更新

N672 ニュースフラッシュ 2009/09/19 Indy Japan決勝の日で見かけた航空機等
A4401
SNの謎
航空史探検博物館 岐阜基地 常設展示場から撤去され処分を待つF-86Dの写真  F-104は再塗装中
調査研究 岐阜基地展示場のF-86D-40について 04-8182と04-8209の疑問
リンク リンク  英語版 CHECKER TAIL4 在日アメリカ海軍機写真集

 済みません、今朝は、各ページ更新に手一杯、コメントまで頭が回りませんので失礼します。

 

日替わりメモ090920

本日のページ更新は日替わりメモだけです

   

○ T48 CHECKER TAIL 4 在日アメリカ海軍機写真集 問合せの電子メールアドレス訂正 

 b5p1129@hotmail.comの冒頭にsnを付けてください 。昨日は指摘されるまでsnbと書いていました。正しくはsnなのでお間違いの無いように。このように文字を分離して紹介するのはSPAM(迷惑メール)防止のためですのでご了解ください。

・ 在日アメリカ海軍機写真集から拾ったエピソード
 日航の経営危機が、地方空港の廃港にまで及ぶという暗い報道がありますが、日本にはいったん閉じた後に再開した飛行場がありました。ほかならぬ厚木基地であります。本書のNAS ATSUGI HISTORYという6ページにわたる記事で知りました。

 マッカーサー司令官が降りた厚木飛行場では、その翌年、滑走路を2本にして日本最大の基地にする計画がスタートし、まず航空機を横田へ移動させて測量など始めたそうですが、同時に計画された鹿屋の拡張が優先され、そもそも相模台地の地盤がB-29の着陸に適さない等の理由で中止になり、1949年には基地閉鎖、陸軍資材置き場になってしまいました。

 それが息を吹き返したのは、1950年朝鮮戦争の勃発でした。一夜にして朝鮮への輸送基地と化したうえに、日本に航空基地を持っていなかったアメリカ海軍が目を付けて使い始めたというわけです。NAVAL AIR STATION ATSUGIの歴史の始まりでした。

 1969年(ベトナム戦争の泥沼化に嫌気がさした)ニクソン大統領による自国は自国の軍隊で守れという有名なニクソンドクトリンのあおりを受けてNAVAL AIR STATION ATSUGIの縮小が決まり、下総にあった海上自衛隊航空の主力が厚木に移駐するとともに、NAVAL AIR STATIONは、NAVAL AIR FACILITY(海軍航空施設という訳のわからない)名称に格下げ(?)されて日米共同使用が始まりました。

 今は、1973年に空母ミッドウエイが横須賀港を母港として以来、CVW-5艦載機の重要な整備訓練基地となっていますが、それが岩国に移ればNAVAL AIR FACILITY(という訳のわからない)名称にふさわしい飛行場になるのでしょうか。

 廃港から蘇った飛行場の運命、歴史を紐解くと事実は小説より奇なりを実感しますね。

 

○ 090913番  時代の移り変わり その2日本航空新聞社の廃刊に「デジタル化普及による人々の活字離れに対応できなくなったことや、」と書きましたが、それよりも後継者に恵まれなかった事が主因だということです。佐藤さんは、高齢でも文筆を続けられるそうですから間接的にその活躍が見られるかもしれません。ご健勝を祈ります。

 

日替わりメモ090919

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T48 図書室 書 評 CHECKER TAIL 4 在日アメリカ海軍機写真集

○ CHECKER TAIL 4 在日アメリカ海軍機写真集

 3年前の在日アメリカ空軍機写真に次いでの発刊です。A4からB5に戻りましたが、同じ172ページにびっしりと写真が載り、或いは第一表紙と第四表紙が折り曲げで、大判写真や海軍機側面カラーイラスト14機というような大サービスです。

 内容紹介と当方のコメントは、図書室を見て頂くとして、個人的にはこういうことが出来る編集人の赤塚薫君と佐藤雅三君に実にうらやましく、嫉妬さえ感じることを告白しておきます。もし、首都圏に居住していたら私も編集の仲間に入れてもらって下働きくらいはできただろうにと、かって機関誌の広島航空クラブニュース、ヒコーキ雲、CONTRAILを発行していた経験から、更にはこのインターネット航空雑誌ヒコーキ雲を制作しながら思うのであります。

 それはともかく、こんな立派な書籍を世に出した皆さんのご苦労に心から敬意を表します。聞くところでは、既に外国から10冊単位で注文がきているとか。多くの人の座右の書となるよう期待しています。

 

日替わりメモ090917

本日のページ更新

RS-4 調査研究コーナー 国産旅客機 YS-11特集 [1] JAC、CAB 、JCG機退役前後のスナップ 
                        旧整備場の海上保安庁機 (ニュースフラッシュから転記)

○ 東京国際空港旧整備場の海上保安庁機 (ニュースフラッシュから転記)

 ちょうど3年前から羽田の旧整備場エプロンに留め置かれるようになったYS-11は、まずJAC機がフィリピンへ売られ(部品取りなど)、ついでCAB機がJAXAでの研究材料や防衛省の部品取り機となり姿を消しました。(防衛省移管のJA8709は、まだ羽田で部品取りされているのかもしれません。)

 かわって、海上保安庁那覇航空基地でDHC-8と交替したJA8780、8791(しゅうれい1,2号)がエプロンにストアされていますが、ニュースフラッシュで報じたように文字がすべて消されてしまったので、登録も抹消されたのではないかと思われます。

 としますと、残る海保のYS-11は、羽田航空基地のJA8701(ブルーイレブン1号)と千歳航空基地のJA8702、8782(おじろ1,2号)となりますが、まだ飛んでいるのでしょうか。そのうち、旧整備場に留め置かれるようになるのかどうか、ここは、民間登録記号のYS-11の終章を見届ける大切な場所になりましたね。


○ 間違いを指摘  T.Tさんからメール

 ニュースフラッシュ670に記述されている第501戦術偵察航空隊はどこの国の部隊ですか? 日本の航空自衛隊には偵察航空隊第501飛行隊という部隊は存在しますが・・・
佐伯から : 恐れ入ります。モニュメント表示のTactical Reconnaissance SQを直訳したら第501戦術偵察航空隊となってしまいました。Tactical は自称なのでしょうか?
拡大


○ 続 日本航空株式会社の危機

 1年前の昨日、リーマンブラザースショックで株が大暴落したのをチャンスとばかり、日航株を220円で買った人がいました。1年後の昨日の終値が167円。大暴落という言葉の上を行く表現が見つかりません。首をくくりたい心境でしょう。全日空株も似たような動きですから、航空関係は悲惨を極めているとしか言いようがありません。

 マニア的には、もうヒコーキからテツヤかフネヤに鞍替えして、ローカル列車の懐かしい響きや大海原のロマンを求めたくなってきますな。ちなみに、前原国土交通大臣は鉄道おたくだそうです。

 政治の歴史的転換の日を迎えて、秘かに佐伯の毒舌評論を期待している向きが居られますが、政治向きの発言には厭気がさして逃げていくマニアが増えるだけだからやめろと忠告されていますので、控えております。あしからず。

 

日替わりメモ090916

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HOME 「表紙絵44] ちょっとお目にかかれない角度のブルーインパルス 
    防府基地の北約6キロにある右田ケ岳(標高426メートル)から  2009/05/31 撮影中山万須美さん
A2302 航空史探検博物館 航空自衛隊松島基地 特別寄稿 松心塔跡 に寄せて 松島基地の三代目管制塔

○ 表紙絵

  ちょっとお目にかかれない角度のブルーインパルスというコメント付きで頂いた写真です。まさにコメントどおりですね。ブルーの5番機と6番機は、約1000フィートの高度で山を回り込み、南の防府北基地上空での次の演技に向っているところのようです。

 防府航空祭では北基地の東西の外でカメラを構えているマニアがたくさんいますが、ブルーインパルスに限ればここ右田ケ岳も面白いポイントになりそうです。ただし、標高は大したことはありませんが、急峻な崖などを登るので、重いカメラ機材を担ぐ皆さんは十分に足腰を鍛えてからにしてくださいね。

○ 松島基地の三代目管制塔

 090830松島基地の三代目管制塔の写真をお願いしておきましたが、場所がエプロンから遠く離れているために、展示機の向こうに小さく写っている程度のものしかお持ちでないようです。しびれを切らして戸田さん本人が手持ちの写真を探してくれました。二代目と三代目のカラー写真を追加しました。

 二代目の写真は、C-130のバックに格納庫上のタワーが写っています。それも貴重ではありますが、戸田さん独特のローアングルからのハ―キュリーズ、見物人が搭乗する列、その人たちが(多分、離陸機を見るために)一斉に振り向いている情景、それらを捉えた構図とピントと色彩の見事さにはうなります。

 なお、ピントの甘い表紙絵の方は、登山のついでに撮られた素人写真ですので、腕の比較はしないでくださいね。


○ 日本航空株式会社の危機

昨日のJALのホームページ
当社と海外航空会社との提携および資金調達等に係る報道がなされておりますが、この報道は当社が発表したものではなく、現時点で決定しているものではございません。今後もお客さまに安心してご利用いただけるフライトを提供して参ります。

 平静を装った広報ですが、6800人もの人員削減を行うと公表した昨日の国土交通省の有識者会議なるものの内容をもっと知りたいところです。社員の14パーセントを整理するというのですから、これは大変なことです。

 そこで、真っ先に槍玉にあげてもらいたいのが日航安全啓発センターです。JALグループの安全運航の原点とするなどとうたいながら、実は御巣鷹山事故についてボーイング社の責任に全く触れない自社自虐展示の場所に過ぎないことは、既に何度も指摘しました。(Z20参照、090909で紹介した高知新聞空の隙間連載も参照してください)

 羽田の旧整備場の貸しビル2階の賃料、残骸やさまざまな作成資料の維持管理費、そして常駐執行役員以下の人件費は年間相当のお金になるでしょう。安全を軽視しろとは言いませんが、JALの技術職員が、なぜボーイングの責任に触れないのかと自虐展示に不信感を抱いて会場を去るような施設は、一部うるさい遺族やマスコミにアピールするだけの高価な無駄なもの、と私は思います。

 安全啓発センターは廃止して、そのお金をより実効ある安全投資にあてるよう提言いたします。 

 

日替わりメモ090915

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N671 ニュースフラッシュ 2009/09/13 空の日 東京国際空港
     新 その1
 ミニ羽田航空宇宙科学館  ジェット・エンジンの系譜−初代から現代へ−  
        その2 東京国際空港にストアされている退役機 

○  東京国際空港の空の日の‥
行事の一環である「ミニ羽田航空宇宙科学館」は、館の具体化に先駆けて2002年より航空イベントとして開催するもので、今年で8回目。同博物館の建設構想を支援する航空ファンらが貴重な資料や情報に直接触れようと毎年、開場時間の前から会場前に列を作る人気の企画となっている。‥と羽田経済新聞なるミニコミ紙が報じています。

 今年も開場時間の前から列ができたのかどうかは知りませんが、ジェット・エンジンの系譜というのは少し地味な企画でしたね。それも大切な歴史であり、川重やJAXAの珍しい出品など労を多としますが、ややお気の毒な気がしないでもありません。ミニの積み重ねこそが本物になっていくであろうという期待をもって毎年参加しているのでしょうか。そのうち経年疲労を起こさなければいいのですが‥。

 麻生政権は、漫画やアニメの国立メディア芸術総合センター建設に117億円もの補正予算を組んで国民の大失笑を買いました。推進会議の皆さんはよそ事と見ていたのでしょうか。
 絶好のチャンス到来とばかりマスコミを呼んで会長声明を出すくらいの蛮勇がないとだめですね。アニメよりも先にやることがあるだろうと‥!


○  航空自衛隊築城基地にF-15Jのモニュメント

 築城基地にF-15Jの垂直尾翼を台座に据えたモニュメントが出来たそうです。多分、去年の9月に日本海に墜落した304飛行隊の72-8833機ではないかと思います。部分的とは言え、F-15Jイーグルの本邦初展示です。写真提供を待ちます。

 なお、岐阜基地常設展示のF-104 36-8540が再塗装に入ったそうです。10月の航空祭にはきれいな姿でお目にかかりそうです。

 

日替わりメモ090914

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N671 ニュースフラッシュ 2009/09/13 空の日 東京国際空港で見た退役機
N670 ニュースフラッシュ 2009/09/13 航空自衛隊百里基地第26回航空祭

○  空の日の羽田と百里の航空祭については、一般的な展示風景を避けた写真を頂きました。もっと紹介すべき画像があるよと思われる方は遠慮なく送ってください。

 百里のスクラップヤードに並ぶRF-4EJとF-4EJの姿は、YS45さんが言うようにF-4世代の人には胸がつまる思いでしょう。「改」を受けたファントムは、ウッドペッカーも尾白鷲も当分は活躍しそうですが、それがいつまで続くのか、エンジンやノーズレーダーを外された機体が少しずつ廃棄場に増えていくのは間違いありません。

 その廃棄群の中に47-650*と読める尾翼がありますが、手持ちのリストには6500番台のナンバーのF-4は見つかりません。偵察機の中の特殊用途の機体か何かだったのでしょうか。詳しい方のご教示を待ちます。
 

 

日替わりメモ090913

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A3006 航空史探検博物館 茨城県小美玉市 小川B&G海洋センター UH-1HとOH-6Jの扉の変化

○  UH-1HとOH-6Jの扉の変化

 可動部が壊されるのは屋外展示機の宿命ともいえますが、小川B&G海洋センターのUH-1HとOH-6Jも扉が壊されました。今は、修理されて開けられないように鉄線でガードしてあります。

 その状況の写真を見ますと、UH-1Hの方は、霞ヶ浦駐屯地に展示したあったUH-1Hのドアに取り換えてあることが、そのナンバーから確認できます。

 OH-6Jの方も、壊され方が無理にこじ開けようとしたものらしいので、多分、他の用廃機のドアと取り換えたのであろうと想像されます。

 ここは陸上自衛隊関東補給処のお膝元です。霞ヶ浦駐屯地展示場のUH-1Jのテールブームの合体メカA3003などの例を紹介しているように、さすがに陸自展示機の部品交換は朝飯前のようです。できれば、全国の壊れた展示機体を調べて必要な部品交換をしてあげれば、皆さんに喜ばれるし、資源の有効利用と一石二鳥になると思うんですが、そういうことができる熱心なマニアもおられることだし、補給処長さん如何でしょうか。


○ 日曜随想    佐伯邦昭  

 時代の移り変わり その1

 日本航空がデルタ航空から500億円、エールフランスKLMから数十億円の資本援助を受ける話が進んでいるというニュースには驚きました。

 田舎者にとっては、古き概念とは言えナショナルフラッグを掲げてきた日航が外国航空会社の援助を受けなければならないほど落ちぶれてしまっているのかという驚き、ついこの間まで破産寸前にあったデルタ航空がいつのまにかノースウエストを併合して世界最大の航空会社になっていることの驚き、ノースウエストが席巻していたはずの太平洋アジア路線を日航との提携で更に拡大しようとしていることの驚き、エールフランスとオランダのKLMが統合していたのかという驚き等々、唖然とするのみです。

 更には、この資本提携は国交省の役人が橋渡しをしているという一部ニュースにはもっと驚き、腹も立ちました。

 田舎者にしてみれば、運輸省(国交省)は、日航設立以来この会社を庇護し続け、何かにつけて自分たちの利権の巣とし、そのことが日航のトップから末端従業員にいたるまで親方日の丸無責任体制を増長させ、今日の苦境を招かせてしまったことの反省がひとつもないように思えるのであります。
 たしかに大企業が国境を越えて提携するのは時代の流れです。とはいえ、甘えさせてきた企業の救済を外国に持ちかけて、我が事成れりとする役人の根性は言語道断と思うのです。

 まずは、日本航空に天下りした役人や銀行員全員を洗い出して責任を取らせましょう。死んだ人がいれば遺族からも退職金相当分を吐き出させましょう。それくらいのお金ではもちろん足りませんから、その上で日本航空株式会社を清算してしまいましょう。

 日本経済に深刻な影響が出ようとも、それで銀行の一つ二つつぶれようとも、長い目で見ればよほど国益に適うものと考えます。

 信長流の荒療治をしなければ、社員も国交省も銀行も真から目が覚めないのです。外国資本を渡りに舟とするような解決策は、国を滅ぼす道になるのではないかと田舎者は大変な危機感を抱くのであります。

 

 時代の移り変わり その2

 昨日、航空業界の方々100名以上が集まって、廃業した日本航空新聞社の代表取締役社長佐藤隆さんを励ます会が行われたそうです。参加した阿部さんから「日本の航空100年を前にして、ひとつの時代の終わりというか、時代の流れというか何か寂しいものを感じました」とのメールを頂きました。私も同感です。

 

 昭和28年から約55年の歴史を有する航空出版の老舗のひとつであり、各界から惜しまれての廃業です。昭和28年というと民営の日本航空が行き詰まり、国が10億円を出資して新会社を設立させた年です。ずっと国の庇護を受けてきた日航は、社員の親方日の丸意識が倒産寸前の危機を招きましたが、日本航空新聞社の方は、放漫経営ではなく、デジタル化普及による人々の活字離れに対応できなくなったことや、関係者の高齢化などが原因とお察しします。

 共に時代の移り変わりを身に沁みて感じます。

 生者必滅 会者定離(しょうじゃひつめつ えしゃじょうり)は葬式で坊さんの話を上の空で聞くだけではないのであります。

                                                 日曜随想 失礼しました


お願い : たいら あおばさん 去年秋のPCトラブルで、2008/05/10の霞ヶ浦駐屯地の写真とメールアドレスを失ったままです。再送していただくとうれしいです。

 

日替わりメモ090912

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HOME  いま軍用機マニアの間で最も熱い場所 航空自衛隊百里基地 撮影2009/09/09

○  茨城空港建設工事のお陰で滑走路に接近して写真が撮れる、あるいは、そんなにいつまでも飛ぶとは思われないマクダネルF-4ファントムがバンバン飛ぶ、しかも、北海道と沖縄を守ってきた尾白鷲が首都圏で最後のご奉公をしている、加えて梅組のイーグルが激しい機動飛行を繰り返すとあって、もう数か月前から百里基地周辺は大変なラッシュだそうです。

 13日の航空祭も大いににぎあうことでしょうが、一足先に百里のド迫力を表紙絵で紹介いたしました。

 

日替わりメモ090911

本日のページ更新は日替わりメモのみです

   

○  「未来につなぐ人類の技8 航空機遺産の保存と活用」書評に関して  佐伯邦昭

 図書室47へ転記

 

日替わりメモ090910

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Z15 ヒコーキマニア人生録その15 《 もの申します》 間違いだらけの説明板を正す対症療法 
                           
新 航空自衛隊千歳基地航空祭の例

○ 間違いだらけの説明板

 OLD CAR CENTERA2602にある海上自衛隊OH-6Jの説明板の備考に「7.62mm機銃とロケット弾」と書いてあることに、撮影者は納得できないと言っています。ご承知のようにOH-6は、Light Observation Helicopterの範疇ながら護衛や攻撃の任務も要求され、米陸軍仕様のOH-6Aは、機銃とロケット弾はもとより小型ミサイルまで携行できました。同型機を日本に導入するに当たっては、例の政治的配慮で「観測オンリー、武器は使いません」となっているものであります。

 OLD CAR CENTERの他の説明板を見ますと、T-33Aの備考にも「12.7o機関銃×2装備可能」とあります。間違いではありません。海自OH-6Jの説明板の写真で隠れている部分にも「装備可能」という文字があれば間違いではないと思います。そういえば、航空祭でのOH-6の実に軽やかな機動飛行ぶりからして武装ヘリとして役に立ちそうではあります。

 しかし、海自と陸自のOH-6、空自のT-33Aの武装なんて日本国民の誰も夢にも思わないことでしょうから、明らかに誤解を生む説明なんですが‥ ここは民間施設ですから目をつむりましょう。

  話は変わりますが、某歴史協会のK.A.さんから「千歳航空祭の一般客パンフレットの記事Z24はお見事でした。ああいう事の指摘は必要だと思います。」とのメールを頂きました。
 その調子に乗りまして、今日は、千歳航空祭の説明板 を「間違いだらけの説明板」に取りあげました。民間施設の模範となるべき自衛隊や公的博物館のなどのいい加減な仕事に対して 、率直に意見を述べる国民が一人やふたりいてもいいと思っておりますので。


○  国書刊行会「ふるさとの思い出写真集」に献納機情報   古谷さんからメール

 周南市立新南陽図書館で、所用のついでに国書刊行会昭和55111日発行の「ふるさとの思い出写真集」を閲覧していましたら、「新南陽」77ページ、「徳山」 128ページに報国号が掲載されていました。いずれも主輪部分は大幅な修正がされたと思われる写真です。

    @ 報国第2570号 福川町民 愛知99式艦上爆撃機
    A 報国第1377号 徳山号  同上

 Aについては献納式の日時は昭和18912日、徳山国民学校講堂で行われ、海軍大臣代理として、呉鎮守府、南雲長官が出席しています。この時の感謝状。
     今次大東亜戦争ニ際シ国防ノ充実ノ趣旨ニ依リ献金ヲ全ウシ感謝ニ堪ヘス
     茲ニ深甚ナル謝意ヲ表ス
                      昭和189月 海軍大臣 嶋田繁太郎
     徳山市民一同代表 市長 羽仁 潔殿

 また、別の資料「激動の二十年 山口県の戦後史」マツノ書店復刻版には、山本五十六の死を悼み、戸数わずかに298戸の豊浦郡角島村(現下関市角島町)が、これまたわずか一週間で、村民全体で借金までして、元帥国葬の日に報国角島号、機種不明なるも重爆撃機を献納と記載されています。さらには、豊浦郡豊北町神玉(現下関市)でも数日で10数万円を集め不足分は自分が出して艦上爆撃機「神玉号」を。さらに、隣の神田村でも機種不明なるも献納。

 山口県下では50数機。献納日の明確なものは、(いずれも昭和18)

  報国「美祢」号   625
  愛国「山口市民」号 92
  報国「山口市民」号 92
  報国「豊浦」号   926
  愛国「豊浦」号   103
  愛国「光」号    101
  愛国「熊毛」号   1015
  報国「大津郡民」号 1016
  愛国「下松」号   115
  報国「熊毛」号   1115

だそうです。このスケジュールで陸海軍大臣が献納式に出席できるはずもなく、まだ呉鎮司令官ならまだしも、終わり頃はかなり位の低い人が代理を勤めたことでしょう。小月の土地収用の際の事例からの推測です。
 国書刊行会のそれぞれの地域のものを調べればかなりの献納機が判明すると思いました。


佐伯から :
 090902の「零戦がベールを脱いだ時期 再々考 横川裕一さんからメール 」に続けて書こうと思ったのですが、愛国号も報国号も献納の式典の実情がよくわかりました。私が、実機の前での式典にこだわったのは、幼時の記憶によります。愛国婦人会の役員をしていた母に連れられて満洲は奉天北飛行場で、神式の式典と、恐らく九七式戦闘機だったでしょうが、急降下のような低空飛行に肝をつぶしたおぼろげな思い出からであります。

 

日替わりメモ090909

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Z33 
A3902
ヒコーキマニア人生録 番外編 日本航空学園山梨校見学記 付 思い出 1983年10月10日学園祭での撮影
航空史探検博物館  山梨県甲斐市 日本航空学園山梨校 2009年の展示保存機 

○ 日本航空学園山梨校

 ヒコーキマニア人生録 番外編に日本航空学園の千歳校に続いて山梨校の見学記を発表しました。あわせて同校の現有展示機を航空史探検博物館山梨県の方に掲載しました。頂いた写真を単純に並べるのは能がないというので、見学記と展示機を分け、かつ山梨校のページを全面的に見直して編集しました。あちこち飛んで見づらくなったかもしれませんが、後々の記録参照のためにすることなのでご了承ください。

 山梨校は、戦前にサルムソン練習機を飛ばして飛行士を養成した古い歴史を有し、日本航空学園の発祥の地です。石川校(能登)が出来るまでは、自衛隊払下げ機や民間小型機がたくさんありましたが、この8月の状況は、エアロコマンダーやマルヨンなど数機と非常に淋しくなっています。甲子園出場の日本航空学園高校はたしか山梨県代表でしたが、今夏は石川県代表でした。噂によると、英語教育が充実しているので大学進学目的で山梨校を選ぶ中学生もいるとか。時代は確実に変わりつつあります。


○ Cabin Attendantの定数について  にがうりさんからメール

 昨日のCAの定数についてですが、どの機種でも50人に1人とは決まってません。というかCAの仕事は飲食サービスだけでは決してなく、乗務の最大目的は緊急時の乗客避難誘導です。航空法では90秒以内に乗客全員を機外に避難誘導せねばならないと規定しています。よって機体設計では乗員乗客避難のための非常脱出口の大きさ、設置場所、数量と乗客全員の避難誘導に必要なCA数は重要なテーマになります。 

 ただしCAの数を航空法で決めているのではなく、90秒脱出に必要なCA数をエアライン毎に決めています。同じ機種でも乗客数は機内クラス仕様によって会社毎に違うわけです。 平均的には乗客40〜50人に1人のCAになっているようですが、厳密にいえばエアライン機種仕様によって必要CA数が変わります。計算上は端数切り上げのCA数になります。

 初めての巨大旅客機ジャンボ試作時代は、ボーイング社員を満席に座らせ緊急脱出させ所要時間を実測したりしました。最新のA380でも、エアバス社が乗客役853名と乗員20名で実際にA380を使って90秒脱出テストをしています。http://finesky1.jugem.jp/?eid=70参照


○ 高知新聞の「空の隙間」第3部開始

 高知新聞社は、2007年3月13日、ボンバルディアQ400の前車輪引込着陸事故について、カナダはもとより各方面に本格的な調査取材を行って、「空の隙間」という連載論評を第1部「実録3・13」を本年1月〜2月、第2部「巨大メーカーの実像」を4月に発表しました。そして、第3部「事故調 原因と責任のジレンマ」がこの7日から始まりました。

 しょっぱなで、御巣鷹山事故の調査に当った調査官がボーイング社の不誠実な対応は、今回のボンバルディア社も全く同じであると悲憤慷慨し、現役の調査室長は、その限界を認めながらも我々の報告は正しいものであると公式な答弁を行っているという、或る意味では非常にショッキングな情けない実情が書かれています。

 私は、日航が、ボーイング社の責任そっちのけで御巣鷹山事故残骸を展示して自社の安全に対する反省をアピールするという自虐的行為をヒコーキマニア人生録で批判しました。
 高知新聞が事故調にどういうメスを入れるのかは予測できませんし、一方的評論を鵜呑みにしていいかの問題はありますが、外国政府やメーカーに対して、あるいは事故調査官の前で肝心なものをすべて押えてしまう警察のあり方に対して、私の主張が裏付られるのではないかと思っています。

 事故調といえども霞が関の限界の中にあります。時あたかも官僚主導を変えていこうと喧伝される中、外国対応などは、政治に大いに力を発揮して貰いたいものであります。坂本竜馬たらんとする高知新聞社の取材グループに声援を送ります。

 高知新聞ホームページトップページ左下の「おすすめトピックス」→「闇を撃つ」の2段目「ボンバル機胴体着陸」より

 


 

日替わりメモ090616

○  佐伯さんへ     Fさんからメール

 日替わりメモ 090613番の「私事」を読んで少々心配になりました。大丈夫ですか。というのも、文面がいつになく弱気に感じられたからです。

 佐伯さんのすごいところは、毎日欠かさず、寄せられる多くの情報の中から取捨選択して興味ある記事を書き続けられておられる点です。たぶん、その背景知識、そして意欲ともに他の追従を許すものではないでしょう。ときに暴走があっても、十分に許容範囲と私は思っています。それが魅力でもあります。ともかく毎日書き続けるご苦労には本当に頭が下がります。

 多くの読者が、ここに情報を送ろうと思い、採用されれば嬉しく思っているはずです。ただし、送り手側は、これはという情報があったときのみの話ですから気楽なものです。一方で発信側の佐伯さんが毎日毎日書き続けることのご苦労は、文章を本格的に書いている人にしか分からぬことかもしれません。

  「文章は私の生命の一部」と言われる佐伯さん。身内の入院とありますが、あまり無理をなさらないで下さい。と言って、書くことを中断されることは、佐伯さんにとっては、命の一部をもぎ取られることに等しいわけで、安易な慰めは無益なことかも知れませんが、少々のミスなど気にされない方が良いと思います。おっしゃっているように、月刊誌と異なりミスの訂正はいつでもできるのですし、それがインターネットの強みのはずです。

 精一杯努力してみますのでどうかご容認くださいますようお願いします。という言葉には、何か悲壮感のようなものさえ感じてしまいました。読者の大部分は、少々のミスで佐伯さんの揚げ足を取るような人ではないと思っています。そして時には「本日休館」もあって良いのではないでしょうか。お大事に。

佐伯から : 一読 涙しました。ありがとうございます。私の主張に対して反応がないと、糠に釘の心境になって弱気になり、もうやめてしまおうかと一瞬思ったりします。しかし、こうして、しっかりと受け止めてくださる人がいることを知ると、涙が出て、また頑張ろうと気を取り直します。ただ、年齢や周囲の事情などからは、ぼつぼつ終わりの初めを検討しなければならないなという状況になりつつあることを告白しておきます。
 なお、長期を覚悟していた身内の入院はとりあえず短期で済むことになりました。昔の手術しか知らない者は最新医学の進歩に日々驚嘆しております。

日替わりメモ090613

私事 : 最近、あとで読み返してみると誤表記が目立つようになりました。また、皆さまからのメールの文章をしっかり読んでいないことによるミスも多発し大変申し訳ないと思っております。文章は、私の生命の一部なので実に情けない次第です。身内の入院等で疲れ気味のためかもしれませんが、精一杯努力してみますのでどうかご容認くださいますようお願いします。

 

○ 呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義が完了しました。お暇な時にじっくり読んでいただいて感想をお聞かせください。

第1章 零式艦上戦闘機に関する疑義
第2章 呉市側から仕掛けてきた戦艦大和の歴史捏造問題に関する疑義
第3章 戦艦大和以外のもろもろ
第4章 呉市役所の体質など
   

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