判決後、記者会見で語る宮崎駿監督=1日午後、東京都小金井市のスタジオジブリ、広津興一撮影
(記者)ほとんど車を使わないで生活なさったということで?
車を持っていかなかったですし、歩いてました、毎日。貸していただいた家から、ずっと歩いてたんです。非常に多くの努力の痕跡があってね。人を呼びたいとか、散歩道にしようとか、それで木の立派なベンチをつくったけど朽ちているとか、そういうのもずいぶん見ました。観光道路をつくったのが、今はほとんど車が通らなくて、そこを散歩すると、外の景色が良いんですよね。車は全然通らないんです。これはいったいどういうことなんだろう?というところがいっぱいありまして。
近所の町に行くと、本当に古い良い町だったんだけど、橋をかけたために人が来なくなってしまって、全部、頭の上の橋を通っていくというふうになってしまったところとかね。その橋を歩く人はほとんどいないんですけど、ものすごく景色がいいもんですから歩くのを僕はとても楽しみにしていたんです。橋が生活を変えるんだなあと思うと同時に、それによって希望が生まれる訳じゃないと思いますけどね。僕は住んでいる訳じゃないから、いろんな機微が分かりません。とにかく毎日散歩していただけなんで、えらそうなことは言うまいと思っています。
◇開発で解決する時代は終わった
言うまいと思っていますが、僕の、いま所沢ですけども、住んでいる路地でいうとですね。そこに立派な道路をつくってもうるさくなるだけで、僕らの路地の問題は何も解決しません。要するに、開発で何かけりがつく時代はもう終わったんですよね。どういう生活の質をつくっていくかということの方が大きな課題になっているじゃないかと思うんです。
たくさん人がいるから、にぎやかでいいというわけではなくて、たくさん人がいるからものすごく孤独であるという状態が僕らの日常ですから、そういうことから考えると、はたから見ていると鞆の浦のお年寄りのほうが、僕はのんびりしてるなと思いました。
(開発推進派が)子どもが(鞆に)帰ってこないといいますけど、帰ってきませんよ僕のところだって。同じだと思うんですよね。