判決後、記者会見で語る宮崎駿監督=1日午後、東京都小金井市のスタジオジブリ、広津興一撮影
◇判決は今後の日本を考える大きな一歩
とても良い判決がでて、これは鞆の浦という問題だけでなく、今後の日本をどういうふうにしてくかというときに非常に大きないい一歩を踏み出したんじゃないかな、と。判決を聞いて、細かくは僕は分かりませんが、大変な文化財を破壊するにしては、あまりにも準備も計画もずさんであるという判決は非常に的を射ているんじゃないかと僕は思います。
地域的な高齢化とか、過疎化はもう現実に虫食い状態に、40年前に開発された首都圏のあちこちで発生しているんでね。その地域に住んでいる人間にとってはもう本当に、むしろ鞆の浦のように昔からのお祭りとか共同体とかのお年寄りよりも、もっと孤立して高齢化社会を迎えようとしている現実がありますから。都会がいいけど、田舎は過疎に苦しんでいるというだけじゃなくて、都会に出てきた人間もまた、同じような問題に遭遇している。そうするときに、この国をどういう方向で希望のあるものにしていくかを考えると、判決が出て勝ったとか負けたとかということじゃなくて、首都圏に過度に集中しているこの状態とか、一方、空っぽになっていくことをどういうふうにすればいいのかということを、もっと大きな、哲学的な意味も含めた、文化的な同時に政治的な発言をですね、一番えらい人たちに考えてやってもらわなければいけない。こっちのが得するとか損するとかじゃなくて、いまは損するかもしれないけど、このほうがいいから、と言ってくれる人たちが政府の中心になってくれないかな、と前から夢見ているんです。そんなことで、質問があったらお答えします。
◇鞆の浦に滞在して良かったこと
(記者)鞆の浦の良さはどのようなとこにあると思いますか?
鞆の浦の町を残していこう人たちには申し訳ないんだけど、ぼくは町を出て、昔は全部段々畑で、サツマイモ畑だったところが森にかえろうとしているんで、その道を歩くと途中で誰にも会わない。林の下のほうに見える燧灘(ひうちなだ)を走っている船の音が聞こえるだけで、あとはウグイスがものすごい数いましたね。そういうところを毎日散歩できることが良かったんです。町の小さなお店を回って、生活は十分できました。古本屋さんはなかったですけども、隣の福山市までバスで乗って行けば、十分良い古本屋さんもありましたから。そういう、要するに何でもない生活をしたんです。
立派な蔵や古い町家もあります。もちろん見ましたけど、それより鞆の浦からどっかへ歩いてたんです。そこがとても良かった。