余録

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余録:鞆の浦景観判決

 瀬戸内海の島々を心に浮かべ「春の海」を作曲した箏曲家の宮城道雄は、両親の育った広島県鞆(とも)を戦後になって訪れた。幼い時に失明した宮城は、肌に触れる空気と音を通して父祖の故郷のたたずまいに心を奪われた▲「朝の清らかな海の風が時々微(かす)かに吹いてくる。波の音は、耳を澄まさなければ聞こえないくらいであった。宿の主人がよって来られて、今、沖の方に打瀬舟(うたせぶね)がたくさん帆をかけて並んでいて、それに朝日が美しく照り映えていると云(い)った。私はそれを聞いてドビッシーの曲の『海』が耳に浮かんで来た」(古巣乃梅)▲きっと目に映る光景ばかりが「景観」ではないのに違いない。心の中に音楽となって立ち上がる風や波の音、受け継がれてきた人の暮らし、古い伝説や歌や史跡、それらが一体となったたたずまいが形作るその土地の「景観」なのであろう▲古代からの潮待ちの港として万葉集に歌われた鞆の浦だ。歴史的伝承も多く、港の遺構も残る。そんな歴史と文化に根ざす景観は「国民の財産」だと広島地裁は判決した。景観という公益の保護のため、計画中の埋め立てを差し止めたのだ▲訴えは埋め立てと架橋に反対する住民が起こしていたものだ。だが、地元では架橋は生活に必須だとする計画推進派が多数を占めている。なかには「国民の財産」のためになぜ地元民が暮らしを犠牲にせねばならないのかとの反発もあろう▲ただ計画推進派もその価値は認めるこの地の景観だ。一方で住民の生き生きとした暮らしにこそ宿る歴史と文化である。そのすべてが国民全体の父祖からの預かりものというところから地域の明日の構想を立て直せぬものか。

毎日新聞 2009年10月2日 0時04分

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