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◆プロボクシング WBA世界フライ級タイトルマッチ ▽12回戦 王者デンカオセーン・カオウィチット 判定2―0 同級11位亀田大毅(6日・大阪市中央体育館)挑戦者の同級11位・亀田大毅(20)=亀田=が再び世界の壁にはね返された。王者デンカオセーン・カオウィチット(33)=タイ=の老かいなボクシングの前に0―2の判定負けを喫し王座奪取に失敗。07年10月、WBC王者・内藤大助(35)=宮田=に反則を繰り返し、大差判定で敗れて以来、2度目の世界挑戦だったが、成長ぶりを結果で示すことはできなかった。亀田の戦績は15勝11KO2敗。王者は2度目の防衛となった。
必死の形相で大毅が前に出た。最終12回。デンカオセーンを追いつめたが、手が出ない。少し間を置いて手を出すと王者がクリンチ…。最後まで決定打を与えられないまま、2度目の世界挑戦終了のゴングを聞いた。無念の0―2判定負け。花道を下を向いたまま引き揚げると「悔しいな…」。真っ赤な目でつぶやいた。
王者の老かいさにやられた。序盤からボディー攻撃に得意の左でカウンターを浴びせた。これがヒット、さらには連打を浴びせ会場を沸かせる場面もあったが、中盤以降は相手のクリンチワークに苦しんだ。接近戦でクリンチされ何度も首をひねり、強烈な右ボディーを被弾すると距離を取られた。レフェリーが再三、注意した反則スレスレの“技”と手数の少なさで、奪えるはずのポイントを取られた。「王者が苦しいのは分かっていたけど、だけどオレが(前に)行かれへんかった。(クリンチは)減点されてないし、それもテクニック」と悔しさを押し殺した。
初めての世界挑戦だった07年10月の内藤戦は、敗れた上に再三の反則行為で1年間のライセンス停止処分を受けた。目標を見失い、練習にも身が入らない。家族からのアドバイスや激励も上の空だった頃、「夢をかなえるゾウ」という本を読んだ。どこにでもいるサラリーマンが日常生活で神様が与えた試練を次々にクリアしながら夢へ近づく物語。「靴を磨くとかそんな当たり前のことなんやけど、一歩一歩進まなアカンと思ったよ」。バッシングのショックから前に進めなかった自分に別れを告げた。「結局、勝負は勝たなイカン。ファンにありがとうと言いたい」。試合終了の瞬間、王者と抱き合って健闘をたたえ合った。負けても潔かったのは、精神面で成長した証しだった。
真の意味での再起を期して敗れたショックは大きいが「おれにはボクシングしかないから」と前を向いた。“三度目の正直”を実現させるためにどうキャリアを積んでいくか。足りないピースを埋めていく戦いは、もう始まっている。
◆亀田大毅(かめだ・だいき)1989年1月6日、大阪市西成区生まれ。20歳。04年5月、史上最年少の15歳4か月で全日本実業団バンタム級優勝。アマ戦績は10勝(3KO・RSC)2敗。06年2月26日、1回KO勝ちでプロデビュー。07年10月にWBC世界フライ級王者・内藤大助に挑戦も0―3の大差判定負け。反則行為で1年間のライセンス停止処分を下される。身長167.9センチの右ファイター。愛称は「浪速の弁慶」。
(2009年10月7日10時46分 スポーツ報知)