長妻厚労大臣は、国民の低所得者層の割合を示す「貧困率」について、臨時国会前までに初めて基準を作って調査を行い、公表する考えを示しました。
「生活保護も含めたですね、実態は具体的にどうなってるのかという新しい指標を検討できないかということを指示しまして」(長妻厚労相)
OECDの「貧困率」は、全世帯を所得の順に並べて中央の所得の半分に満たない世帯の割合です。日本はこの「貧困率」が14.9%で、メキシコ、トルコ、アメリカに次ぐ4位ですが、日本政府による調査はこれまで行われていません。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4251955.html
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話「マッチ売りの少女」を読んだことがあると思います。今から約160年前にデンマークで書かれた話です。
皆さんは、マッチ売りの少女というとどのようなイメージの少女を思い浮かべますか。私もそうでしたが、ほおが赤く、ふっくらとした女の子、赤い頭巾に青いスカートをはいた少女をイメージしていました。
最近、「世界一幸福な国 デンマークでの暮らし方」という本を読んで、はじめて「マッチ売りの少女」という話の本当の意味が分かりました。正直ショックを受けました。だまされていたと思いました。
著者によると、デンマークのアンデルセン博物館の「マッチ売りの少女」の絵は、「ほおがこけた浮浪者のような汚い恰好をした少女の姿」が描かれているそうです。靴もはいていません。
少女は、家が貧しかったからこそ、裸足でマッチを売り歩いていたのであり、マッチが売れなかったから家に帰れず、凍えそうになったからマッチを擦ったのです。
日本では「赤いほおして微笑みながら天に召された」と脚色されていますが違います。夢に見ていた豊かで幸せな生活は叶わずに、とうとう凍死してしまうという悲しい話が「マッチ売りの少女」の話なのです。
この本の著者は、この章を「マッチ売りの少女を幸せにするためには―貧困を考える」と題しています。アンデルセン自身も貧しい家庭に生まれ、貧しい少年時代を過ごしたとも書かれています。
翻って、私たち日本人は、この貧困について考えるべき話を、何か「美談」のような話に作り替えています。160年前の著作物であり、著作権は発生しないとしても、あまりにも著作者と読者を愚弄していないでしょうか。
なぜ、このように脚色するのでしょうか。答えは簡単です。貧困問題がテーマであるならば、絶対に売れないからです。売れるためには、かわいい女の子の「涙を誘う美談」にしなくてはならないからです。
この例が示すように、売らんがためにはだましてもいい、何をしてもいい。この思想が結果的に競争社会、格差社会を築き上げて来たのです。
日本の貧困問題を考えるとき、絶対に忘れてはいけないのは、すべての言行の基となる思想、哲学のあり方です。すべての言行は思想、哲学から生まれます。ぬか床と同じです。腐ったぬか床からは腐ったものしか出てきません。
「自己責任論」の強い読売新聞や経団連などは、「マッチ売りの少女」も自己責任と考えるのでしょうか。
世界中の人々の中に「マッチ売りの少女」を自己責任と考える人がどれだけいるでしょうか。
政権交替とは、ぬか床交替を意味します。古く腐った「守旧ぬか床」は捨て去る、友愛社会を築き上げるには、勇気を持って「守旧派の抵抗勢力」を捨て去るしかない、私はそう確信します。
最後に、貧困問題について書いた過去のブログと「マッチ売りの少女」の絵を紹介します。
「最後のパレード」で伝えたかったこと
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13444273.html
wikipediaより
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Little_Match_Girl
アンデルセン博物館のサイトより(最後のThe Little Match Girl )