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(273)2009年9月30日

『KODAMA REPORTについて』

広島市公共工事詐欺事件の真相について、我が会派の児玉光禎議員が『KODAMA REPORT』としてまとめられましたので、ご本人の了解を得た上で掲載させていただきます。

何故、慎重な秋葉市長が私印を用いて被害届を出したのか大きな謎ですが、いずれにしてもこれにより職員が萎縮し、意欲を持って仕事をしようという気持ちを阻害したのは確かです。今の市役所内の暗い雰囲気の根源を垣間見る気持ちになるのですが、皆さんはどう思われますか。




(※追伸(多選制限について))

今から2ヶ月ほど前、「横浜市の中田市長辞任」というニュースがありました。「任期途中で投げ出した」という批判もあり、それに対する反論もなされていましたが、もともと中田前市長は「3選見送り」の意向を示しており、多選の弊害を主張されていたのは確かなようです。

多選への批判が強まっていたのは、官製談合や裏金問題などが相次いで発覚する中、これらの大きな原因として権力の集中が問われていたからです。中田前市長も、この点についていえば正しい判断をされていたのです。

確かに、いかに人格、識見とも高く、判断力の優れたリーダーであっても、組織のトップには権力が集中してきます。自らは権力とは思っていなくても、政策の方向に異を唱えるものがいれば、その者は次第に疎外され、黙ってついてくる者だけで権力の象徴を築き上げてしまいます。影では批判していても、面と向かっては何も言えず、結局は服従の姿勢を示すイエスマンばかりになるのです。

私も大きな組織のトップは多選制限が必要だと思います。しかし、これは自らが判断しなければなりません。あれこれ理由を見つけて言い訳をしながら権力の持続を模索してしまうことに、組織の停滞と腐敗が起こります。

権力の集中を排除してこそ組織の力が増大し活性化するのではないでしょうか。そうでなければ、独裁的傾向が強くなり、側近政治が横行するばかりです。私的関係が濃い人物ばかりの登用により、安定しすぎた地位となり、トップのバランス感覚も失われます。

広島市は、現在の体制が既に10年以上継続しました。今さら、リスクを犯して面と向かって批判しようという人はいないでしょう。また、仮にそういう人がいたとしても、聞き入れる人ではありません。国政は大きな『チェンジ』なされました。広島市こそ『チェンジ』しなければならないと思うのですが、皆さんはいかが思われますか。