「疑惑の総合商社」鈴木宗男衆院議員年表 | |||
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(凡例) | 本人及び関連の疑惑、問題行動、問題発言 | ||
太字は政治経歴、選挙歴及びキーマンの関係 | |||
(肩書きなどは当時のもの、敬称略) | |||
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1948年 | 1月31日 | 北海道足寄町生まれ | |
1966年 | 北海道立足寄高校卒業 | ||
1969年 | 中川一郎衆院議員秘書に就任 | ||
1970年 | 拓殖大学政経学部卒業 | ||
1973年 | 6月 | 中川事務所秘書の佐々木典子と結婚 | |
1974年 | 6月 | 長男・一郎誕生 | |
1977年 | 中川農水大臣秘書官就任 | ||
1980年 | 中川科技長官秘書官就任 | ||
1982年 | 11月24日 | 自民党総裁予備選 | |
11月28日 | 中川一郎の総裁予備選落選の慰労会。席上、鈴木を次期選挙に出す旨の話浮上 | ||
1983年 | 1月1日 | 中川一郎宅で殴打事件。派閥の7億7000万円巡るトラブルとされる | |
1月9日 | 未明、中川一郎の遺体が札幌市内のホテルで発見。病死と報道 | ||
1月11日 | 中川の死因が首吊り自殺と報道 | ||
12月18日 | 旧衆院北海道5区で初当選。定数6で5位、無所属 | ||
1985年 | 後の私設秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカ来日 | ||
1986年 | 7月6日 | 旧衆院北海道5区で2期目当選。定数5で4位。衆参同日選 | |
1988年 | 8月12日 | 兄・益夫死去。自殺、他殺の怪死説流れる | |
1989年 | 6月 | 防衛政務次官に就任 | |
1990年 | 沖縄・北方問題特別調査委員会で旧ソ連訪問。佐藤優(後の分析官)と出会う | ||
2月18日 | 旧衆院北海道5区で3期目当選。定数5で5位 | ||
12月 | 外務政務次官に就任 | ||
1991年 | ムルアカが秘書に就任 | ||
1992年 | 12月 | 自民党副幹事長に就任 | |
竹下派分裂後の小渕派参加 | |||
1993年 | ? | 駐日コンゴ大使館通商代表機関が鈴木系業者などの出資により設立 | |
*ムキシ前臨時大使の証言による(02年3月1日) | |||
1月 | 外務省に「支援委員会」設立。ソ連崩壊後の経済混乱から市民生活を支援する目的で日本と旧ソ連12カ 国が協定締結。ロシア側委員は97年以降空席 |
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6月 | 防衛政務次官に就任 | ||
7月18日 | 旧衆院北海道5区で4期目当選。定数5で4位 | ||
8月 | 自民党国防部会長に就任 | ||
1994年 | 9月 | 衆院沖縄・北方特別委員長就任 | |
1995年 | 4月1日 | 佐藤優が分析官就任 | |
5月 | 衆院沖縄・北方特別委で色丹島にプレハブ診療所建設要請。河野外相は難色 | ||
*翌日の朝食会で河野外相が着手約束 | |||
6月 | 外務省が建設決定 | ||
6月13日 | 西田恒夫欧亜局参事官を呼び、プレハブ診療所建設問題についてレク受け、以下の発言 「そもそも北方領土というのは国のメンツから領土返還を主張しているに過ぎず、実際には返還されても国と しては何の利益にもならない」など返還運動凍結と受け止められかねない内容 |
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*3月11日の証人喚問で上田清司衆院議員(民)の質問で暴露 | |||
9月 | 自民党副幹事長に就任 | ||
沖縄後援会発足 | |||
12月 | ケニア政府が「ソンドゥ・ミリウ水力発電計画」の円借款供与要請 | ||
1996年 | 自民党副幹事長に就任 | ||
3月 | 北海道開発庁所管の釧路合同庁舎建築工事入札を巡り、地元業者が参加できるよう基準緩和を開発庁担 当者に迫る |
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*02年3月12日、国交省調査結果報告書による | |||
5月 | 国後島訪問の際、桜植樹でロシア側要請の検疫証明書提出を外務省が拒否したことに激怒、帰途の船中で 外務省ロシア課長補佐に暴行。課長補佐は全治1週間のケガ |
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10月20日 | 衆院北海道13区で2位落選、比例復活当選。初の小選挙区比例代表並立制 | ||
衆院選初当選の橋本派議員らで「ムネムネ会」発足 | |||
12月 | 北海道江別市、南幌町、栗沢町内の野幌東地区「特定地域農用地整備事業」の一部凍結を北海道開発庁に 圧力 |
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*10月の衆院選北海道10区で自民党候補・渡辺省一が落選したことが背景とされる | |||
北海道・矢臼別演習場への米軍訓練移転移転を地元首長に強要 | |||
1997年 | 3月 | ソンドゥ・ミリウ発電第1期分69億円の円借款契約締結 | |
9月 | 北海道沖縄開発庁長官に就任 | ||
*97年、北海道開発庁発注工事受注1637社中275社が6484万円を鈴木政治団体に献金 | |||
10月 | 北海道・矢臼別演習場近くの米海兵隊歓迎夕食会開催 | ||
11月2日 | 橋本首相・エリツィン大統領のクラスノヤルスク首脳会談 | ||
12月11日 | 欧亜局関係者及び支援委員会事務局職員から、国後島住民向けの自航式はしけ「希望丸」進水式日程の説 明受け、直前まで説明がなかったことに「外務省は誠意がないよな」などと述べる。また、桟橋改修について 「自分が説得して、やっと実現したものだ。それを、できあがったら自分の手柄だなんて考えてもらっては困 る」と述べる。 さらに、改修工事について「以前から四島住民支援には根室等地元の企業を使えと何度も言ってきている。 それにもかかわらず、日本工営のような東京の大手コンサルタントを使うとはどういうことか」「こういう工事く らい地元企業に引き受けさせるぐらいの配慮があってもいいだろう」と、施工に地元業者を使うよう強く要請 |
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*「希望丸」は鈴木地元の造船会社「根室造船」が受注。根室造船社長は、政治資金管理団体「21世紀政 策研究会」根室支部代表で根室造船からこの年から6年間で240万円献金 |
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*02年3月13日、外務省は入札参加基準を緩和した内部部文書公表 | |||
12月12日 | 寒冷地港湾センター、日本工営、支援委事務局が会合。前日の鈴木要望について協議 | ||
12月15日 | 「希望丸」進水式 | ||
12月19日 | 12日と同様の三者協議で、業者側から入札参加資格を地元のみに縛ることは北海道開発局でも前例がなく、 不可能と思われるとの意見 |
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12月27日 | 閣僚として初のサハリン訪問 | ||
1998年 | 98年、北海道開発庁発注工事受注1734社中400社が8945万円を鈴木政治団体に献金 | ||
1月19日 | 欧亜局関係者から訪問受ける。入札参加資格として「施工現場での海域での豊富な施工経験を有する」「中 小企業者には3社以内のJVの結成を認める」「入札説明会は根室市内で行う」などが記載されたペーパーを 受け取り、了承する |
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1月30日 | 欧亜局関係者から訪問受ける。地元企業配慮を強調し「支援委事務局なり支援室なりが、融通の利かないう るさいことを言っているとしたら、我慢ならない」と非難 |
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3月6日 | 国後島桟橋改修工事を島田建設、真壁建設、濱谷建設のJV落札 | ||
4月 | 日ロ首脳会談で橋本首相が四島住民への電力分野協力表明 | ||
6月 | 閣僚として初の国後、択捉両島訪問 | ||
電力事情調査団顧問として派遣され、外務省が旅費として7万5000円支給 | |||
「ムネムネ会」が自由新報に紹介。1回生衆院議員による勉強会 | |||
7月1日 | 佐藤優氏が外務省国際情報局の主任分析官に就任 | ||
*鈴木の96年以降の海外出張に16回同行 | |||
7月30日 | 小渕内閣で官房副長官就任 | ||
9月 | 矢臼別演習場の米軍訓練で調達受注業者を防衛施設庁に説明させる | ||
11月13日 | 小渕首相・エリツィン大統領のモスクワ会談に同行 | ||
12月 | 秘書のジョン・ムウェテ・ムルアカが外交官ID発行を申請。中東アフリカ局長は拒否 | ||
*外務省報告より | |||
1999年 | 2月15日 | ダイオキシン風評被害にあった所沢産野菜について自衛隊買い上げなど救済策の考え示す | |
5月 | 色丹・択捉両島でディーゼル発電施設設置の政府現地調査 | ||
*入札説明会が公告わずか2〜3日後に開催。受注した三井物産は97〜00年度に8590万円を自民党政治 資金管理団体「国民政治研究会」に献金 |
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5月 | 外務省に「日ロ青年交流センター」設置 | ||
5月27日 | 国後島緊急避難所兼宿泊施設(通称ムネオハウス)建設の入札公示内容について、「入札参加資格を道内 に本社を有する者に限る点は規定路線」と相談され、根室管内に本社を有する者に改めるよう要請 |
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*02年2月13日衆院予算委で佐々木憲昭議員(共)が追及 | |||
6月 | ケルン・サミット。ケニアなど重債務国に対する先進国の債権放棄方針決定 | ||
6月3日 | 日揮、日本工営担当者が鈴木氏の釧路事務所に秘書を訪問。日揮担当者が渡辺建設工業、犬飼工務店の 両社長に案件説明 |
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6月12日 | 入札公示 | ||
7月7日 | 渡辺建設工業、犬飼工務店がJVを組み、日揮を下請けに応札。3回実施も落札せず。他の参加者なし | ||
*犬飼工務店から1995年から6年間で82万円の献金。渡辺工務店からパー券購入含め788万円の資金提供 | |||
7月14日 | 支援委員会と渡辺・犬飼JVが入札予定金額と同額で随意契約締結 | ||
*犬飼工務店社長は中標津後援会の会計責任者 | |||
7月24日 | 国後・色丹住民向けディーゼル燃料2,000d供与表明。燃料供給は石油販売業「ヒシサン」受注。同社の小 林正輔社長は、根室商工会議所会頭で有力後援者 |
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ソンドゥ・ミニア発電の第2期分債務削減についてケニア側の考え方を見極める必要が発生(外務省報告書) | |||
8月 | 東郷和彦が欧州局長就任(01年5月まで) | ||
ケニア訪問し、モイ大統領、ゴダナ外相と会談。ケニア側は債務削減要請の考えがないことを確認。「迅速な 検討」をケニア側に約束 |
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9月 | ソンドゥ・ミニア発電第2期分の円借款供与を事前通告 | ||
*JVで落札した鴻池組から50万円の献金。00年も同額 | |||
10月24日 | 国後島のムネオハウス竣工式典出席 | ||
国後島からの帰途の船内で、工事に従事している作業員に地元の者はほとんどいなかったことに激怒し、渡 辺建設社長や犬飼工務店社長から事情聴取するとともに、欧亜局関係者に、支援委員会事務局職員を来 させるよう指示した。鈴木氏は、支援委員会事務局職員と欧亜局関係者をどなりつけながら、事実関係を徹 底的に調べるよう命じた。 |
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11月 | 自民党総務局長に就任 | ||
11月2日 | 支援委員会が受注前の情報漏洩疑惑で関係者から聴取。外務省ロシア支援室首席秘書官同席 | ||
*外務省報告書によると10月下旬から11月上旬にかけて少なくとも7回にわたり調査 | |||
12月28日 | 日本工営が入札情報漏洩のおわび文書を支援委員会に提出 | ||
2000年 | 1月 | 自民党対外経済協力特別委員長 | |
タンザニアの中学校講堂(スズキホール)建設費に800万円寄付。資金管理団体から寄付と説明も政治資 金収支報告書に掲載なし。送金は外務省職員が代行 |
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自民党北海道連会長に就任 | |||
4月3〜6日 | 森首相特使として訪ロ。プーチン大統領と会談 | ||
4月 | ソンドゥ・ミリウ発電所工事で先行入札。鴻池組など応札 | ||
5月 | コンゴ民主共和国政府がヌガンバニ・ミゼレ臨時代理大使の後任にヌグウェイ・ダンボを任命 | ||
6月7日 | 沖縄県軍用地等地主会10人から名義貸しなど規正法違反で資金管理団体「21世紀研究会」に献金疑惑 | ||
6月25日 | 衆院比例北海道ブロックで当選 | ||
7月 | 沖縄サミット | ||
7月 | 野中広務幹事長が日ロ平和条約と北方領土問題の切り離し論に言及 | ||
8月 | NGOのジャパン・プラット・フォーム(JPF)が外務省、NGO、経団連などにより設立。相談なく激怒 | ||
8月2日 | 松岡利勝衆院議員ととともに代議士を囲む若手議員の会開催。橋本派11人、江藤・亀井派14人が参加。 俗に「鈴松会」誕生となる |
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8月 | 外務省中近東アフリカ局参事官にヌグウェイを「外交官としての経験も全くない若者と聞いており、適当だと 思わない」と発言 |
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? | 外務省がヌグウェイの外交官身分証明票(IDカード)発給申請を受理 | ||
? | 鈴木議員の秘書ジョン・ムウェテ・ムルアカがヌグウェイと面会した外務省担当者を激しく批判 | ||
10月 | 外務省にヌグウェイ受け入れを「適当ではない」と強い反応し、外交官IDカード発給遅らす | ||
中近東アフリカ局審議官がヌグウェイを臨時代理大使とするコンゴ政府方針を白紙撤回するよう首都・キ ンシャサ訪問。同政府は拒否 |
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10月29日 | 国後島ディーゼル発電施設完成式典に出席 | ||
11月 | 亀井静香政調会長がODA予算30%削減に言及 | ||
12月 | コンゴ政府はIDカード未発給のヌグウェイの大使活動終了を外務省に伝達 | ||
自民党外交関係合同部会。亀井静香政調会長提唱のODA予算30%削減阻止要請。3%削減にとどまる | |||
12月1日 | タンザニアの中学校施設建設費780万円の送金を外務省職員に代行させる | ||
*2月20日の参考人招致で「政治資金から出した」と説明したが政治資金報告書に記載なし | |||
*3月11日の証人喚問で、野中広務幹事長と会談、橋本派総会など、いわゆる「加藤政局」直後の揺れた 日で、現金授受の時間があったか疑問との指摘あり。福山哲郎(民)質問 |
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2001年 | ? | 自航式はしけ「友好丸」が色丹島に供与。地元の造船会社「根室造船」受注 | |
1月 | 自民党外交経済協力特別委員長就任 | ||
3月5日 | 日ロ首脳会談準備に来日していたロシュコフ外務次官と会談。歯舞・色丹の二島先行返還論を非公式打診 | ||
*02年3月18日、志位和夫委員長(共)宛てに匿名で届けられた外務省内部文書で判明 | |||
3月25日 | 森首相・プーチン大統領のイルクーツク会談に同行。歯舞・色丹返還と国後・択捉帰属問題を交渉する「並 行協議」論が浮上 |
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4月5日 | 桜田義孝外務政務官がケニア訪問しモイ大統領と会談。凍結されているソンドゥ・ミリウ発電第2期分につい て再開に前向き発言 |
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8月 | 「北方領土返還促進根室市民会議」発足。呼びかけ人は後援会幹部の自民党根室支部長。市内の漁協、 農協、建設業協会など11団体3個人参加で4島一括返還にこだわらない立場をとるとされる |
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8月 | タジキスタンへ20億円無償援助実施 | ||
8月31日 | 衆院外務委員の下村博文(自)、土肥隆一(民)、桑原豊(民)、土田龍司(由)とケニア訪問。ソンドゥ・ミニア 発電事業の現地視察、関係者ヒアリング、モイ大統領と懇談 |
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10月7〜8日 | 小泉首相特使としてタジキスタン、ウズベキスタン訪問 | ||
10月21日 | 小泉・プーチン会談(上海)で北方領土並行協議で基本合意 | ||
12月 | JPF主催でアフガン復興NGO会議(東京) | ||
12月 | 自民党外交部会で、上記会議のアフガンNGO出席者の渡航費をODAの「草の根無償資金」から支出され る予定であることに反対。結局、支出は中止に |
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12月11日 | 上記支出中止が毎日新聞に掲載されたことに激怒し、大西健丞PWJ統括責任者の携帯電話に「お前がリ ークしたんだろう」と激怒 |
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2002年 | 1月 | 衆院議運委員長就任 | |
8日 | 大西健丞PWJ統括責任者を呼び出し、アフガン会議でNGOに金を出さないと脅す | ||
1月13〜18日 | 小泉首相特使としてタジク訪問後、訪ロ | ||
*政府は3月1日、「タジク訪問は鈴木によ外務省欧州局への自薦で、同省も適切と判断し首相の了承を得 たとの答弁書決定。長妻昭衆院議員(民)の質問主意書への回答 |
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1月18日 | 朝日新聞「人」に大西健丞PWJ統括責任者の「お上のいうことはあまり信用しない」との発言掲載 | ||
1月19日 | 重家俊範中東アフリカ局長が大西健丞PWJ統括責任者に2度の電話。朝日新聞記事に対し、鈴木議員に謝 罪電話を入れるよう要請(外務省は否定) |
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1月20日未明 | 宮原信孝中東2課長から大西にアフガニスタン復興支援会議出席拒否の電話 | ||
1月20日 | 大西健丞PWJ統括責任者がNGO会議に参加拒否されたと発表 | ||
1月22日 | PWJの参加が一転認められる | ||
1月24日 | 衆院予算委で田中真紀子外相が「NGO排除問題で野上義二事務次官が鈴木議員の名を出した」と答弁 | ||
1月24日 | 松岡利勝衆院議員と小町恭士官房長、重家俊範中近東アフリカ局長が出席した会合に遅れて参加 | ||
*鈴木疑惑が国会で追及されている最中で、答弁すり合わせとの指摘 | |||
1月26日 | 北海道内の集会で「馬1頭の話」を出し男の涙演出 | ||
1月29日 | 小泉純一郎首相が田中真紀子外相、野上義二事務次官の更迭発表 | ||
1月29日 | 衆院議運委員長辞任の考え示す | ||
2月4日 | 衆院議運委員長辞任 | ||
2月13日 | 衆院予算委で「ムネオハウス」など受注企業と献金の関係が追及される。質問者は佐々木憲昭議員(共) | ||
2月15日 | 中山恭子駐ウズベク大使がタジキスタン訪問。9億5000万円の無償援助実施文書を交わす | ||
2月20日 | 衆議院集中審議で参考人招致 | ||
根室海上保安部が、北方4島周辺でタラ密漁をしたとして根室市内の漁業7人を道海面漁業調整規則違反 容疑で逮捕 |
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*逮捕者の主犯格とされる吉野吉政根室漁業協同組合理事(58)は自民党根室支部長を務め、鈴木とは 実懇の間柄という |
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2月26日 | ムネオハウス入札関与せずのコメント発表 | ||
3月1日 | 野党の外務省疑惑解明プロジェクトチームがコンゴ民主共和国のムキシ前駐日臨時代理大使から事 情聴取 |
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*ムキシはムルアカ秘書が代表と名乗る「駐日コンゴ民主共和国大使館通商代表機関」は「実質的に 鈴木が設立した」と発言 |
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3月4日 | 参院予算委で大西健丞PWJ統括責任者が参考人招致 | ||
*大西はNGO排除問題で重家局長から「鈴木氏に謝罪電話を入れるよう要請されたことに言及。鈴木 議員の圧力を認める |
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外務省が鈴木疑惑調査報告 | |||
3月11日 | 衆院予算委で証人喚問 | ||
3月12日 | 民主、自由、共産、社民の野党4党が衆院に議員辞職勧告決議案提出 | ||
外務省がムルアカ秘書所持の外交旅券は偽造したものと発表 | |||
3月13日 | 自民党政治倫理審査会(林義郎会長)初会合 | ||
96年国後島訪問の際、外務省職員に暴行を加えていた事実発覚(福田官房長官会見) | |||
3月15日 | 山崎拓幹事長に離党届提出 | ||
3月18日 | 民主、自由、共産、社民の野党4党が議院証言法違反(偽証)容疑で東京地検特捜部に刑事告発 | ||
3月20日 | 議員辞職勧告決議案本会議上程動議を否決(衆院議運委) | ||
4月30日 | ムネオハウス入札に絡む偽計業務妨害容疑で公設第1秘書・宮野明ら7人を逮捕(東京地検特捜部) | ||
5月10日 | 偽証罪告発動議を否決(衆院予算委) | ||
5月14日 | 佐藤優・前国際情報局主任分析官を背任容疑で逮捕(東京地検特捜部) | ||
議員辞職勧告決議案本会議上程動議を否決(衆院議運委)。2回目 | |||
5月23日 | 南青山の自宅、議員会館事務所など捜索(東京地検特捜部)。公設第1秘書・宮野明被告が政治団 体「北海道開発研究会」(01年2月解散)口座への総額1億円入金を政治資金収支報告書に記載していな かったという規正法違反容疑。 |
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6月16日 | 製材会社やまりん(帯広市)からの依頼で林野庁に働きかけ、見返りに現金500万円を受領したあっせん収賄 容疑が浮上し、本人から任意で聴取(東京地検特捜部) |
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6月17日 | 同上事件で東京地検特捜部が東京地裁に逮捕状請求。東京地裁はこれを受け、内閣に逮捕許諾要求書を 提出。さらに内閣が衆院議長に逮捕許諾請求 |
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6月18日 | 衆院議運委で逮捕許諾請求を審査。本人が出席し、全面否定の弁明 | ||
★ | 6月19日 | 衆院本会議で逮捕許諾を議決。東京地裁が逮捕状発付。東京地検特捜部が逮捕 | |
6月21日 | 衆院本会議で議員辞職勧告決議案を可決 | ||
林野庁口利き事件で多田淳政策秘書(50)をあっせん収賄容疑の共犯で逮捕(東京地検特捜部) | |||
7月9日 | やまりんあっせん収賄事件で松岡利勝、松下忠洋両衆院議員を参考人として事情聴取したこと判明 (東京地検特捜部) |
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7月10日 | やまりんあっせん収賄事件で起訴。多田政策秘書も起訴(東京地検特捜部) | ||
7月18日 | ムネオハウス入札妨害事件初公判。公設第1秘書の宮野明被告は起訴事実を否認。業者側5被告のうち4被 告は起訴事実認める(東京地裁) |
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7月23日 | 資金管理団体「21世紀政策研究会」の政治資金収支報告書に1億円の収入を記載せず、支出3600万円を除 外するなど政治資金規正法違反容疑で私設秘書・佐藤玲子(66)を逮捕、公設第1秘書・宮野明、政策秘書・ 多田淳を再逮捕(東京地検特捜部) |
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★ | 8月1日 | 北海道開発庁長官時代に島田建設(網走市)から請託を受け、身返りに600万円のわいろを受け取った受託 収賄容疑で再逮捕(東京地検特捜部) |
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8月21日 | 島田建設(網走市)からの600万円受託収賄罪で追起訴。多田政策秘書も(東京地検) | ||
8月22日 | やまりんあっせん収賄事件の初公判を11月11日に開くこと決定(東京地裁) | ||
9月5日 | 衆院予算委が、3月11日の証人喚問で偽証した疑いがあるとして告発することを議決 | ||
9月13日 | 3月の衆院予算委証人喚問での偽証罪、政治資金規正法違反罪で追起訴(東京地検特捜部) | ||