本当に、結婚はひとくくりには言えないものです。
それでお互いが納得し、幸せならいいのです。
そうして、しっかりしたスタートをするカップルは、しっかりとした家庭を築き、しっかりした生き方をしています。
そういうカップルは、お互いの役割を分担し、感情のもつれや行き違いがあっても、理性と話し合いで解決します。
これらは全て、人間としての「心の教養」の問題です。
学歴に関係ありません。高学歴の人でも、全く「心の教養」のない人も多いのです。「心の教養」とは、生まれ育った家庭のしつけや環境、また子供の頃から読み重ねた読書の厚み、そして、みずから心掛けた修養の成果です。
この「心の教養」が、人格の基礎となり、根幹を支える「人間性の柱」だと言えます。
そして、「心の教養」を輝かせ、現代世相や若者気風に流されない、毅然とした自分を確立すべきです。
岬めぐりのような男めぐりの女性。港めぐりのような女めぐりの男性。
少しはあっても人間の彩(いろど)りや魅力ですが、過度になると、「心の教養」が壊れて荒(すさ)びます。
それで、自分も人も不幸になる場合が多いのです。
異性の煩悩を操(あやつ)る技に秀でても、異性の人格を尊重できなくなります。
「しょせん男って、こんなものよ」「しょせん女って、こんなもんさ」。これが、ケガレの実体です。
しかし、反対に異性の人格を過度に尊重しすぎると、今度はマザコン、ファザコンになり、まともな交際ができなくなります。
何事も、ほどほどにして、人間としての「心の教養」の本性に帰すべきです。
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