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逆境を越えていこうとするときに輝く  ケータイ投稿記事

劣悪な環境の中で鍛えられ、何とかこの歌にー!と思い入れをもって行くから、魂の響きが歌に出るんです。
人間の魂の奥に響き来るものがあるのです。

すなわち、絶叫するような環境の中で、それを越えてやろうーというときに、人の魂に響くものが出てくるのですが、環境が恵まれすぎている人の歌を聴いても、感動しないものです。

逆境を越えていこうとするときに魂は輝くし、それが、人を感動させる力なのです。

だから、何らかの困難があるということは、素晴らしいこと。逆境を越えようとして、魂が輝くからです。
そしてもちろん、幸せなときも、より高い目標をもって向上に励むのです。

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黄金に値する人とは  ケータイ投稿記事

オリンピックで金メダルをとる人を見てごらんなさいよ。少しぐらい足が早くても、オリンピックには出れないのよ。

インターハイ、インターカレッジで一番で、国体で一番で、そしてオリンピック選手として選ばれていく。
そうしてきた選手たちが、世界中百何十ヵ国から来るのです。

その中で一番になろうと思ったら、どれだけ研究し、どれだけ工夫を凝らし、寝る間も惜しんで努力していることでしょうか。
常にそのことを思い続けて、世界一になろうと自分を磨いているでしょう。

一つのものを心がけたならば、そこまでの精進努力があって初めて、黄金を手にすることができるのよ。

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鏡のような心  ケータイ投稿記事

鏡というのは、悲しい時に鏡の前にいくと、鏡の中の自分は泣いている。嬉しい時に鏡の前にいくと、鏡の中の自分は喜んでいる。普通の時にいくと、普通の顔ですね。
しかし、対象物がなくなれば、鏡は元のようにキラキラ光っています。

このように、いつまでもとどめない、着さないことが大切です。
何があっても、すぐパッと切りかえて、一生懸命目の前のことをやる。
さらに、大きな目標に向かっていくことが大事なのです。

いつも元気で、いつも明るいのがいいとは限りません。
それでは、人間としての厚みがないですね。

憂い過ぎたり、悲しみ過ぎたりはいけませんが、憂いがあったり、悲しみがあったり、落ち込みがあった方がいいのです。
憂いや悲しみがなければ、悟りや文学性、芸術性を養うことはできませんから。

ただし、いつまでも憂えない。
いつまでも落ち込まない。
いつまでも悲しまないで、パッと切り替えていくことが肝心です。

悲しみや苦しみの中に、いつまでも埋没しないのです。
それを越えていく心のゆとり、そして、着さない心の切り換えができるのが、『鏡のような心』なのです。

人間には、いいことも、悪いこともやってきます。楽しいこと、あるいは辛いことがあった時に、そのつど素直に素朴にそれを感じていくのが普通です。

しかし、いつまでもそこに執着しないで、パッと切り替えて前向きに越えていくことが大切です。

そういうゆとりがあると、心の悲しみ、孤独、葛藤にも美が見い出せるのです。

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汝、己を限れり  ケータイ投稿記事

下村湖人の「論語物語」にはもっと詳しく描写されていますが、孔子と最近入門したばかりの弟子とのやり取りです。

「私は孔子先生のおっしゃる仁義礼智信の礼楽の尊さや、聖人に至る道に生きる君子の道の尊さ、また大切さは充分にわかります。しかし、私には到底不可能です。やれません。」と言ったところ、孔子は「汝、己を限れり」と言ったのです。

まだやってもいないのに、やれるかどうか解るはずがない。話だけ聞いてできないと言うのは、「自分で自分の可能性に限界をつけ、自分でできなくしてしまっているだけだ。」という意味です。

本当にできない人は、やっている途中で行き倒れるもので、全てはやってみるまでは解らないもの。もし、たとえ行き倒れても、その行き倒れるまでに得たものは、永遠の自分の宝物であるということなのです。

学問や信仰や芸術やスポーツなど、無形の道に生きる精進とは、全てがそういうものなのです。

これを王陽明は、「聖人に至る道を極め、聖人になることは、志がある間は必ず成就できるもの。志が立たなくなった時に、その人の限界が来てできなくなる」と言います。
つまり、志を持ち続け、己を限らなければ、いかなる人も必ず聖人になれるのだと断言しているのです。

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まず学ぶ所から全てが始まる  ケータイ投稿記事

勉強をしたら、今やっていることの意義がわかります。
ところが、それをしていないから、今やっていることの意義が今一つわからないのです。

世の中には、仕事もあるし、家庭もあるし、遊びもあります。やることは沢山あります。皆、忙しいのです。その中で、何を優先して生きていくのか。その価値基準を正しく設けるには、やはり知識が必要です。

そして、その知識はどうやったら身に付くかと言えば、とにかく、無理矢理でもいいから勉強することです。勉強しなければ、知識が身に付くことは絶対にないのです。

道元禅師は、『仏様の慈悲とか人に対する慈悲とか、よくわかりません。こんな人間が仏道を修行しても、しょうがないのではないでしょうか?』と言う人に対して、このように答えました。

『慈悲などわからなくて結構だ。まず学道である。道を学びなさい。そうすると、お釈迦様がどれだけ慈悲の深い方だったのかがわかるだろう。
歴代の禅僧、仏道に帰依した人達が、どれだけ民を思い修行してきたか。御仏のため、世のために尽くしてきたかがわかるであろう。
すなわち、人々に対する慈悲心はすべて、学道、道を学ぶことから生まれてくるのである。
だから、慈悲など始めからわからなくても結構だ。まず、道を学びなさい。』

これが道元禅師の言っていたことです。
まず、学ぶ所から全てが始まるのです。学んでいけば、神の慈悲や世の中に対する使命感など、いろいろなことが段々わかってきて、なるほどそうなのかと自分で実感できるようになるのです。

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