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幸せで心地よく楽しいもの  ケータイ投稿記事

富があっても、富に使われると心が真っ黒になっていくぞと。純粋で輝く心があって、富をはじめて活かすことができる。すなわち事なかれ主義ではなく、世にあらゆるものを活かそうとする心です。

事なかれ主義の人というのは、心にどこか汚い、ダーティなところがあるから、事なかれ主義で良しとしているのです。

辛いとか苦しいとか嫌だと思っているうちは本当じゃない。
その渦中に飛び込んでいったら、ドロドロでも、水に手をつっこんでも、非常に楽しく心地よく、充実して幸せなのです。

冷たい、辛い、だるい、眠たい。そう思いながら辛抱する事ではなく、辛抱に立ち向かっていって、幸せで心地よく楽しくなるものです。

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物事を続けていくには  ケータイ投稿記事

たとえ当面の目標がなくても、精進努力自体を自分の目標とすればいくらでも物事は続けられるんだ。

現実的な目標も確かに大切だ。

しかし練習を重ねる事、つまり練習自体がそのまま目標になっているんだよ。

こういう内面性をもてば、現実的なつらさやむなしさを感じることもなく、何事も続けていけるものなんだ。

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世のため人のために役に立つ人物  ケータイ投稿記事

明治維新で活躍した人々は、下級武士がほとんどでしたが、皆学問を積み、時代を理解し、国の将来を憂えた人々でした。
九州の鹿児島である薩摩藩の人々が、山口県である長州の人々と協力し、高知県である土佐の人々などを巻き込んで、明治維新をやり遂げました。

それは、島津斉彬という学問と人格と先見性に秀でた藩主のいたおかげです。
西郷どんや大久保どんも、そのおかげで才能が見出され、ある程度の自由も許されて出世できたのです。

これら全ての人々は、その日暮らしの、明るくて人のいい漁民や農民、また樵(きこり)ではなかったのです。
つまり、身分に高低はあっても武士であり、子供の頃からしっかりと学問を積んだ人々だったのです。

また、農民、漁民、樵ではあっても、義民として民のために戦った人には、皆それなりに学問があり、社会性への理解や使命感があった人々でした。

つまり、何らかのプロセスで学問を積み、学問を通して社会性を認識し、その中で自分の人生の価値観を確立する人こそが、世のため人のために役立つ人なのです。

そして、世のため人のため役立つ人こそが、人間というものの最上位にランクされるのです。

だから、一定レベル以上に向上させていくためには、どうしても社会性の認識から始まる使命感や、世のため人のために役立とうとする志が必要なのです。
そうでなければ、永遠に頭打ち状態なのです。

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自ら学んでいく  ケータイ投稿記事

90年代にだんだんゆとり教育の要素が始まり、日本人の子供は本当に勉強をしなくなりました。
今や、先進国の中でもっとも勉強時間が少なく、テレビやゲームを見る時間が長いのが、日本人の小中学生なのです。
勉強時間はロシアの3分の1、イタリアの2分の1、韓国の2分1しかないのです。

また、学生でもなく就職もしていないニートと言われる人が、全国に68万人もいます。
これは、実に憂うべき事態であり、何とかしなければ日本の未来はないと言う識者も沢山います。 

すなわち、感性のまにまに流され、学ぶことを喜び、理性で己を律することをしない若者が、ますます増えているのです。

だからこそ、まず自ら学んでいく、また逆に、人を育てていく必要がありましょう。
「学び」や「育成」は、このような日本の若者の、末期的状態を打ち破るためでもあるのです。

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“結婚”の縁結び  ケータイ投稿記事

結婚の縁というのは難しいのです。なぜなら、良い縁か悪い縁かと言うより、自分の好みに合うか合わないかという事で選ぶからです。
あまり考えないで、一生懸命真心を尽くして人に接触していると、しばらく時間が経ったら『この人、すごくいい人だな』と、自然に良い縁が結ばれる。自分の好みは考えない方がいいです。
自分の好みがハッキリしすぎているために、縁が潰れた人っていっぱいいますね。自分の好みの人じゃないとイヤだという人は、どんなに縁を結んでも、自分で潰すから、やりようがない。『こういう人じゃないとイヤだ』と本人が言っても、相手にも選ぶ権利がありますからね。
好みと好みがバッチリ合って結婚したらどうかというと、だいたい性質や習慣が合わなくて、すぐに別れてしまう事も多い。好みが合うのが理想の結婚じゃないんです。人生観が違う、価値観が違う、理想や趣味が違うと、なかなか長い間一緒にいるのは難しい。長い間一緒にいる伴侶というのは、兄妹や姉弟や親類、うまの合う友人のようなものですね。そういう関係が、ずっと長続きする。これが成熟した結婚観というものです。
結局、どの程度成熟した考え方ができるかという事です。結婚観も、男女観も、生活観も。しかし、あまりにも成熟していると、お互い年を取り過ぎていて、今さらあえて結婚というゴールに突き進もうという気になり難いものです。ここが難しいところです。
だから、結婚には、必ず妥協が必要です。妥協がイヤだったら結婚しない方がいい。適当に恋人を作って、適当に楽しむ他ありません。だから、その結果欧米ではシングルマザーが増えているのです。年とってから『一人で寂しいなあ』と思っても、それが自分の選んだ道だから仕方ない。それを受容して、前向きに生きればいいのです。それが、決して不幸ではないのですから。
ところが、自分の選んだ道なんだけど、人様と同じようなものがないと寂しいわけです。あれもほしい、全部ほしい、皆と同じでなければイヤ。しかし、人とは違ったところも欲しい。これが、人間の勝手な願いというものです。
若い頃に妥協して結婚しなかった結果だし、結婚しても妥協して辛抱せず、離婚を決意した結果ですから、仕方ない。自分で決めて、自分で選び、自分が過ぎてきた道ですから、何も悔やむことはない。全てを肯定して明るく、元気で、幸せに生きる努力をし、自分の人生を大切にすべきだと思うのです。
しかし、どうしても、他人と同じでない事が気になるものです。そんな自分に、喝を入れて敢然と生きていくべきです。
そういう自分勝手な全部欲しいという願いは、叶うとは限らないのです。叶う事が、本当にその人にとって幸せとは限らないでしょう。
また、叶えているのに幸せと感じてもらっていない事も多い。それは、あまりにも本人の考え方が未熟なわけで、そこで、人の口を通して、『結婚とはこういうものだよ、人生とはこういうものだよ、職業とはこういうものだよ』、と成熟した考えを知らせてくれる。それで、『ああ、そういうものなんだ』と分かって成熟して行くわけです。
結婚観も男女観も、職業観も金銭観も人生観も、すべて未熟という人には、1から10まで足してあげなければならないから、時間がかかるのです。
そういう場合は、例えばお父さんが『いい加減に、そのふしだらな生活態度はやめろ! 性格をあらためろ!』と怒ったりする。それが答えなんだけど、『またお父さんに迫害を受けたー』(笑)。
『だから、答えているじゃないか。お前の性格が問題なんだ。性格を直せばうまくいくんだ』
仕方がないから、しばらく見捨てますよ。遠くの方に行ってしまう。それは他でもない、自分が遠ざけたのです。遠のいた感じがする時というのは、実はこういう理由なのです。
その、未熟な自分が成長していくプロセスが修業になるのです。
結婚観、男女観、生活観、宗教観、職業観、死生観。こういうものが少しずつ成熟していって初めて分かる。
最初のうちは、解らないながらも一生懸命やっていくのですが、謙虚に、物事を学んで、成長して行くという心を持って行けば、次第に概要が解ってきます。
そういう事で、自分の思いとか観念とか、そこをきれいにしていただかないと、結果が出にくいのですね。

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