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機関紙『SENKI』発行の歩み
 
ブント・
ワークショップから
ブント(BUND)とは
──公正と正義にみちた社会の実現がブントの目的です── 

 ブントは、同盟、盟約を意味するドイツ語です。ブントの前身は、共産主義者同盟ですが、私たちはもはや共産主義では世界の矛盾を止揚することはできないと考えています。
 
●定常状態の社会をめざして

 私たちはマルクスと同時代の経済学者、ジョン・スチュアート・ミルなどが「定常状態の社会」と述べた、持続可能な社会の成立においてこそ人間的自由は実現できるのではないかと捉えています。
 20世紀の欧米物質文明は未曾有の大衆消費社会を現出させました。大量生産は同時に大量廃棄や資源の枯渇などを意味します。また発ガン、ホルモン異常などを伴い生態系を汚染しています。第3世界の人口爆発などとともに展開されているこれらの事態、人口と資本の幾何級数的成長とこれにともなう汚染の幾何級数的成長という負荷に地球は耐えられません。70年代初頭ローマ・クラブの『成長の限界』は、物質文明が人間の生存、地球の存続というもっとも基本的なことさえ危機に陥れてしまったことに警鐘をならしました。まさに現代における正義とは経済成長主義からの脱却の方途を考えることであり、生産力のこれ以上の発展を追求することではありません。
 
●左翼思想のパラダイム・チェンジ

 89年以降、ソ連・東欧のスターリン主義は崩壊しました。ブントは当初、スターリン主義が破産したのは、「本当のマルクス主義」ではなかったからだと対象化しました。しかしさらに検証をふかめていく中で、マルクスも含め共産主義が価値としてきた計画経済と生産力主義では、20世紀文明のうみ出した矛盾を解決できないのではないかと問題を立て直しました。
 80年代にソ連はアメリカ資本主義と軍備拡大や経済成長をめぐり競争しました。しかしアメリカの圧倒的な生産力とハイテクノロジーの技術革新のまえに、結局はソ連自身が資本主義化を選択することになりました。ソ連の経済的骨格であった計画経済(設計主義的な社会変革)の無理がその根っこにあったことです。
 その事実からブントは自生的秩序である市場経済を否定するのではなく、そこで起こるさまざまな不正に対し、倫理的規制を加えるシステムをつくることこそが課題であると考えるに至りました。
 さらに重要な点は、ソ連の生産力主義・経済成長主義の破産です。そもそも資本主義と経済成長をきそいあうことでソ連・東欧圏には多大な環境破壊がもたらされていました。ソ連共産党の思想のもともとの原点であるエンゲルスの革命論は、生産力の拡大を最高の善・正義とし、その富を貧しい人々に平等に分配することを基調としていました。しかしそれは、「最大多数の最大幸福」という功利主義的な資本主義と同じパラダイムでしかありません。
 
●自由主義の下での社会変革の道を

 スターリン主義の破産から私たちブントは、全体主義の害悪にとどまらない教訓を学びました。それはブントのみならず反体制運動総体に問われている課題だと思います。
 ブントにイデオロギー的影響をあたえた世界的哲学者・廣松渉は「哲学者たる者は、正義の実現を志向するかぎり現体制の批判者たり、革命的変革の志向者たらざるをえない」(『新哲学入門』岩波新書)といいました。計画経済の破産があきらかになった以上、現代における「革命的変革」は、社会主義革命を絶対視することからは実現できません。ましてや新左翼の一部のように自分たちが「階級敵」と規定した勢力の殲滅とか解体といったものに血道をあげ、権力奪取を自己目的にすることによっては、とうてい無理な話です。私たちは現実の矛盾を解決する現実的なルールを創りだすことが大切だと考えます。
 
●可能性の中の最善の選択

 ロシア・マルクス主義の「前衛―大衆」図式には、ヘーゲルに代表されるドイツ観念論が色濃く影響していました。へーゲルは歴史の背後には絶対者の意志が働いていると考えました。それと同じように人間の行動は歴史の発展法則に従って動いている、法則を理解しそれに合わせなければならないとレーニン・スターリンらは考えました。こうして共産党は法則を理解する絶対者となったのです。一方的な絶対者のモノローグ(独言)が展開していきました。
 これに対し、正義は人間の間の取り決めのうちに定められるもの(共同主観性)であり、背後から規定する絶対的なものの存在はないというのが、J・S・ミルらイギリス経験論の系譜でいわれていたことです。また公正・正義を洞察することは、自分の意見にたいする反論を想定したものでなければならないこともおさえられていました。ここから欧米では現実の矛盾を解決するには、可能なもののなかからの最善の選択が必要という倫理学の考え方が提起されてきたのです。私たちはスターリン主義をこえる政治を実現するという問題意識から、この考え方に学びました。
 
 以上から、私たちは97年、共産主義者同盟の名称をブント(BUND)に変更しました。環境革命派の社会変革運動を創建するべく多くの若者たちが活動しています。
 

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