トップページへ戻る

小泉構造改革の大犯罪
               日本の経済成長率大幅下落    2009年2月23日付

 昨年10〜12月期日本の経済成長率(GDP=国内総生産の伸び率)が前期に比べて3・3%減、年率換算で12・7%も落ち込んだ。第1次石油危機当時(1974年)以来、約35年ぶりの急落で、麻生政府も「戦後最悪の経済危機」と認めざるをえなくなっている。他方、アメリカでは同期の成長率(年率換算)は3・8%減、欧州(ユーロ圏)も5・7%減であった。昨年来の金融恐慌の震源地であるアメリカよりも、日本経済の落ち込みが急角度であるのはなぜか、考えてみた。

 自動車等、対米輸出は13・9%減
 昨年10〜12月期の実質GDPを需要項目別に見ると、個人消費はリストラ・首切りや賃金の減少などにより、前期比0・4%減。設備投資は輸出関連企業を中心に抑制・凍結の動きが見られ、前期比5・3%減となった。輸出は前期に続き自動車、電子・通信機器などが落ち込み、前期比13・9%減と過去最大のマイナス幅となった。
 経済成長率3・3%減のうち3%分は外需、つまり輸出の大幅減で、内需(国内市場)の減少は0・3%分にすぎなかった。
 日本の輸出の6割は自動車、電機、一般機械の3つの産業が占めている。その輸出先の20%がアメリカ市場である。また、アメリカ向けの商品生産基地となっている中国や東南アジア向けの日本の輸出も、実は対米迂回輸出であり、アメリカ市場への依存度はきわめて高い。
 そのアメリカで住宅バブルがはじけたため、10〜12月期の対米輸出は前期比で13・9%も減り、連動して同期の鉱工業生産も11%減となった。
 自動車の対米輸出は年率で三割、4割と減っており、自動車独占企業は軒並み減産に拍車をかけている。現時点で全体の減産台数は、海外生産拠点を含め400万台にのぼる。国内での1年間の販売台数の8割にあたる市場が消えたことになる。
 トヨタのアメリカでの1月の新車販売台数は前年同月比32%減となり、在庫は販売量の3・4倍にふくれあがった。対米輸出拠点となっているトヨタ自動車九州を中心に、5割減産に入り何千人もの期間工や派遣労働者を解雇した。
 電機も同様である。1月中旬、全米2位の家電量販店サーキット・シティが会社清算を発表。日本から輸出される薄型テレビやデジタルカメラをはじめ年間117億j(約1兆円)もの電器製品の売上が消えることになった。対米輸出の急減でパナソニックは子会社鳥栖工場の閉鎖や薄型テレビのパネル工場の建設延期と、1万5000人の首切りをうち出した。売上高の8割を海外にすがるソニーが1万6000人、NECも2万人の人員削減を発表した。
 自動車や電機など消費財生産部門が生産や設備投資を減らせば、鉄鋼や石油、機械など生産財生産部門も影響を免れない。
 昨年11月の普通鋼鋼材受注量は449万dと前年同月比で33・4%も減り、1971年11月以来の500万d割れとなった。新日鉄が君津製鉄所の高炉休止を検討、JFEは岡山県の西日本製鉄所の第3高炉を休止した。このため今年1〜3月の粗鋼生産は、前年同期比32%減となった。
 このほか、国内エチレンプラントの稼働率も、昨年11月時点で80・6%に落ち、過去最大規模の減産となっている。機械メーカー280社の機械受注は、昨年11月に前月比で16・2%も減り、21年ぶりの低水準となった。

 首切り増で内需も縮小
 独占企業は生産の縮小・停止、設備投資のうち切りなどによって、下請の中小零細企業を大量に倒産させ、労働者にリストラ・首切り、賃金引き下げなどを押しつけている。
 08年の全国の企業倒産は負債総額1000万円以上に限っても前年比11%増の1万5646件と、5年ぶりの高水準となった。なかでもトヨタなど自動車工場の多い愛知が16%増、三重が18%増など東海地方の増え方が激しかった。また上場企業の倒産が33社と戦後最高を記録したが、負債額で上位3社をリーマン・ブラザーズ関連会社が占めるなど、アメリカのバブル崩壊の犠牲転嫁を浮かび上がらせた。
 トヨタやキヤノンが先頭に立って派遣労働者や期間工の首を切った。その数は08年10月から09年3月までに、労働局や職業安定所の調査でも約8万5000人に達するという。
 そのうえ独占資本は、正社員・本工に首切り、賃下げを広げ始めた。正社員削減では、日本IBMや日興コーディアル証券などアメリカ系資本が先陣を切った。企業が、労働者30人以上をいっぺんに解雇した件数は、昨年4〜11月の8カ月間に1882件にのぼった。
 自動車や電機の独占企業は真っ先に、賃下げをやり始めた。トヨタは2、3月の操業停止11日間のうち、2日分の2割賃金カットをうち出した。三菱自動車は1月、5工場の休業にともない社員6000人の15%賃金カットを表明した。モーター製造最大手の日本電産は社員1万人に2月から5%の賃金カットを押しつけようとしている。
 こうして所得が減れば内需は縮小し、経済のマイナス成長に拍車がかかるのは必然である。個人消費は08年7〜9月期に0・3%増と、かろうじてプラスとなったが、10〜12月期は前期比0・4%減となった。それは所得が減少したからで、08年の雇用者報酬は実質0・2%減と04年以来の減少となった。その直接の要因は、輸出主力の自動車・電機などの大企業で派遣・期間工の首切り競争がおこなわれたことだった。
 奪われた経済主権 80年代に始まる新自由主義・従米構造強化
 日本の経済成長率がアメリカの3倍以上も落ち込んだという現状は、日本が80年代に始まる新自由主義と市場万能主義の方向でアメリカから「規制緩和を軸にした構造改革」を押しつけられ、経済主権を失うほどにアメリカ経済に従属する構造にされたからである。
 アメリカは71年、金・ドル交換停止に追い込まれ、ベトナム戦争の惨敗で深刻なドル危機におちいり、75年の世界同時恐慌に見舞われた。80年代、ときのレーガン政府は「小さな政府」を標ぼうし、貿易・財政の「双子の赤字」に象徴されるアメリカの危機を日本の富を徹底的に収奪することで打開しようとした。
 まず、日本の金融・資本市場の自由化と対外開放を要求し、アメリカの証券、生命保険などを日本市場に乗り込ませた。85年のプラザ合意によって日本に円高・低金利を押しつけ、日本が貿易で得たドルをアメリカに還流させ、為替差損を日本に押しつけてアメリカの対日負債を大幅に減らした。
 ついで「日米構造協議」を日本に受け入れさせ規制緩和と対外開放の構造転換を要求した。高い地価、複雑な流通構造・商慣行、資本系列など、外国資本が日本市場に参入するうえでのさまざまな障害をとり払い国内市場を全面的にアメリカ資本に明け渡させようとした。眼目は、アメリカの産業構造のもとに日本の産業構造を改変しつつさらに深く組み込み、日本の経済力を徹底的に利用できるようにすることであった。
 マルチメディアなどで強い競争力を持つアメリカのAT&Tが日本の情報通信市場に参入してきた。大型店舗法の廃止によって、玩具安売り資本トイザらスや安売りスーパー・ウォルマートなどアメリカの流通独占も日本に進出してきた。
 80年代後半に日本で起こった株や土地のバブルが破たんし、空前の過剰生産恐慌と金融恐慌に襲われると、アメリカは日本の金融機関を弱めるための大がかりな仕かけをつくった。具体的にはBIS(国際決済銀行)規制=自己資本比率規制であり不良債権処理の強行であった。その結果、98年には北海道拓殖銀行、山一証券、長銀、日債銀が倒産し、アメリカのメリルリンチ、リップルウッド、サーベラスなどが乗っ取った。

 小泉政府後露骨な破壊
 01年に登場した小泉政府は、不良債権処理を対米公約とした。アメリカ財務省の代理人、竹中平蔵を責任者にして「聖域なき構造改革」を強引に進めた。そのなかで、日本の6大金融資本グループは三菱UFJ、三井住友、みずほの3大グループに統合された。また、日興證券がシティバンクの子会社にされたうえ、生命保険では東京生命、千代田生命、協栄生命などが相次いでアメリカ資本に乗っ取られた。
 こうしたアメリカ資本による日本乗っ取り、日本収奪計画を具体化したのが、アメリカ政府が毎年発表する「年次規制改革要望書」にほかならない。
 それは「外資によるM&A(合併と買収)を妨げるあらゆる不必要な法的及び行政上の制限と障害の排除につとめるべきだ」など、アメリカ資本の利益になることを1000項目以上にわたって要求している。
 98年の大規模小売店舗法廃止や建築基準法改定、99年の労働者派遣法の改定と人材派遣の自由化、03年の日本郵政公社成立、04年の法科大学院設置と司法試験制度変更、05年の日本道路公団の分割民営化、健保を崩して保険会社管理のアメリカ型自由診療を広げるための「混合診療」や、アメリカ並みの「残業代ゼロ合法化」のための「ホワイトカラー・エグゼンプション」など、すべて「年次改革要望書」に盛り込まれていたものである。
 こうしたアメリカの日本改造、支配と収奪の強化によって、日本経済に大きな構造的変化が起きている。
 6大金融資本集団が3大金融グループに再編され、独占資本グループが再編されただけでなく、独占資本への外資の支配も強まっている。独占企業の株式の外国人保有比率は06年度末で28%に達している。オリックス55%、HOYA54%、キヤノン51一%などといった具合で、経団連会長の会社は実質的な外資系企業となっている。独占資本の株式配当は約6兆円に達しているが、単純計算でもその3割、1兆8000億円は外国人株主に吸い上げられている。
 労働者のなかでは、本工・正社員の減少とパートや派遣労働者など非正規労働者が急増している。小泉政府による派遣労働の全面解禁がそれに拍車をかけた。労働者の3人に1人、とくに婦人労働者は半分以上が今は非正規労働者である。賃金は正社員の5〜6割、しかも解雇、採用も会社のほしいままという最低の労働条件である。
 また農漁民は、農産物価格や魚価の引き下げと外国農水産物の輸入で締め上げられ、総農家数は90年の384万戸から05年には285万戸に、漁民は88年の18万戸から12万戸に減らされている。
 さらに商業者は、大店法の廃止、大型店進出ラッシュによって商店街が丸ごとつぶされつつある。従業者2人以下の零細商店は91年の85万店から04年には57万店に減った。
 その他の勤労人民や高齢者にも、年金などの収入の削減と、税金や医療費、介護保険料などの負担増が押しつけられ、自殺者があとを絶たない状況となっている。
 人民を搾取・収奪し、アメリカ市場にすがって利益を上げる――これが日本独占資本の構造改革の本質であった。97年から06年のあいだに雇用者報酬は17兆円家計の財産所得は12兆円、あわせて30兆円近く減ったが、企業所得は逆に17兆円も増えた。自動車の国内販売は06年以降、年年減り続けているなかで、自動車独占はそのかわりにアメリカ向けを中心に輸出を増やして、トヨタの2兆円など法外な利益を懐にした。アメリカに収奪される経済構造のなかで、労働者、農漁民、中小業者など各階層の勤労人民がますます貧困化する一方、一握りの独占資本はアメリカ市場に依存して暴利を稼いできた。その日本資本主義の矛盾がアメリカ発の金融恐慌を引き金にして、「最悪の経済危機」として爆発したのである。
 対米従属をうち破り、米日独占資本の支配をくつがえして、労働者や勤労人民が主人公となる独立した平和で繁栄した日本をつくる以外に展望は開けない。

トップページへ戻る