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柳井正‐急上昇ユニクロの大不安
カジュアル衣料で「独り勝ち」だが辞めてゆく従業員も多く
後継者が育っていない…


■後継者が育っていない…
 カジュアル衣料で、柳井会長兼社長(60歳)率いるユニクロことファーストリテイリングの独り勝ちが続いている。9月2日、都内で開いた事業説明会で、こうブチあげた。
「日本で断トツのナンバー1になり、年間20パーセント以上の成長を遂げ、世界一のアパレル製造小売業グループを目指す」
 11年後の2020年8月期まで、グループ全体の売上高を'09年8月期見込みの6千820億円から5兆円に拡大する。
 売上高5兆円となれば、新日鉄('09年3月期、4兆7千700億円)を上回る規模となる。
 また、経営幹部を組織的に大量育成するため、日本や米国、欧州に専門の教育機関「FR マネジメント・アンド・イノベーションセンター」を新設する。今後5年間に社内から100人、社外から100人の計200人を投入し、育成していくという。
 ユニクロの死角は、後継者が育っていないことだ――とはよく指摘される。それに対する一つの答えだ。しかし、他にも不安がある。
 ユニクロの急成長が、競争の激しいカジュアル衣料の世界でいつまで続くか、である。
 柳井氏は1949年(昭和24年)2月、山口県宇部市で生まれた。3人兄弟、姉と妹の真ん中で実家は洋服屋と土建業を兼営する自営業だった。
「大事に育てられたので、やわな男の子でした」(『ベンチャー通信』第8号で柳井氏本人)
 地元の宇部高校を卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学する。
 高校時代の同級生、数人にアプローチして驚いた。彼らは異口同音にこう語った。
「柳井さんのことはよく知らないなぁ」(複数の宇部高校の同級生たち)
「宇部にいた頃、あまりいい思いをしていないのではないか。もともと山口県宇部市にあった会社も、1998年2月には山口市に移している。
 それどころか、地元や東京で開かれる同窓会に一度も顔を出したことがない。小中高と同じ学校に通った人ですら、柳井氏のことをあまりよく知らないという」(地元宇部市の自営業者)
 大学時代は学園紛争のさ中、典型的なノンポリ、無気力学生で、麻雀、パチンコ、寝る――の繰り返しだったという。
 大学卒業後、父親の勧めでジャスコ(当時、現イオン)に縁故入社するも、1年ももたないうちに退社し、地元・宇部に戻ることになる。
 父親がやっていた洋服店経営の小郡商事に入社する。店舗は二つだけだったが、それを任せられる。1店は紳士服(スーツ)中心、もう1店は当時流行のVAN商品を扱っていた。ところが、1〜2年もしないうちに数人いた従業員が1人を残してみんな辞めてしまった。
 悪戦苦闘がそれから始まる。やっと仕事に目覚めるのだ。メーカーや問屋の人たちからの耳学問だけでなく、やたらに本を読んだという。
 そうした試行錯誤を経て、岐阜などで作られているノーブランドのカジュアルを仕入れて、新しい店舗をオープンさせる。'84年、広島にオープンしたユニクロ1号店だ。価格は1千円か1千900円が中心、商品はただ積み上げるだけ。
 当時、DCブランドブームだったが、ブランド品は高い。かといってスーパーの衣料品は安いが、着てみたくなるほどではない。その両方を満足させる店がユニクロだった。
 その後、全国展開すると同時に、ユニクロが企画からデザイン、製造のみを委託するいわゆる製造小売り(SPA)に変貌していく。品質、デザインに統一性をもたせるためには、絶対必要だったという。
 最近では、どこもSPAだが、ユニクロのは違う。
「ユニクロは課題の設定がしっかりしている。その上で自らリスクを負ってSPAをやっている。柳井さんが普段からほかの人と同じようなことをしていたらダメだといっているが、そこがSPAの出発点になっている。だから、同じSPAではあっても、他社との違いが出てくる」(流通ジャーナリストの緒方知行氏)
 しかもねばる。
「(経営者として)貫く信念があり、勝つまでやる。(その上)軸ぶれがない」(藤巻兄弟社代表取締役社長の藤巻幸夫氏)
 だが、海外店第1号の'01年のロンドン進出は失敗する。
'02年に始めた野菜ビジネスでも見事に失敗する。



■農業で儲けようとしたが
 野菜ビジネスは、(株)永田農業研究所との"連携"だった。  永田農研は有名な「永田農法」を開発した永田照喜治氏が創業した会社だ。必要最小限の水と肥料で作物を育てる農法だが、「断食農法」「スパルタ農法」などとも呼ばれる。
「旧知の邸永漢さんの自宅で、柳井さんに会った。柳井さんはそのとき『実は農業をやりたい』といっていた。私は邸永漢さんとは国をどうする、アジアをどうするといった話をいつもしていたので、柳井さんの話は聞き流していた。
 その後、私の家に『オオゼキ』というスーパーの会長が(農業をやりたいと)頭を下げにきていた。私はオオゼキの会長さんを信用したが、フタを開けてみたらオオゼキではなくて柳井さんだけだった」(永田農研代表取締役の永田照喜治氏)
 結局は「価値観の違い」(永田氏)で、永田氏のほうから提携を解消する。
「北海道から沖縄まで、ユニクロの社員と私のところの研究員とチームを組んで回った。大変な努力でお金もかかった。しかし、農業では儲からない。柳井さんは儲けようと思っていたようだが、これは無理だと思って断った」(永田氏)
 会社の規模が大きくなってくると、柳井氏の発言もそれだけ反響を呼ぶ。
 柳井氏は'06年、小泉純一郎首相(当時)らの靖国神社参拝をこう批判した。
「なぜ靖国神社に行くのか分からない。個人の趣味を外交に使うのはまずいんじゃないか。(中略)政治が経済の足を引っ張っている」
 ユニクロが、SPAに舵をきる決断をしたのは、'86年に、SPA方式を取り入れていた香港のジョルダーノという企業と出会ったことだった。その商品を作っている香港の工場を見て、ユニクロも生産委託を決断するのである。戦略地域として'02年に進出した中国のユニクロは40店を超えている。
 だから、小泉首相の行動にカチンときたわけだ。
「ユニクロのみならず、会社の規模が大きくなると、公の性格もより大きくなる。靖国は国家のために亡くなった人の魂を慰めたり感謝する施設。それを否定するような発言は如何なものか」(『日本を虐げる人々』で柳井氏を取り上げた評論家の八木秀次氏)
 そもそも、低価格競争にも問題が多い。
「とくにユニクロを研究したわけではないが、安売りを始めてしまうと誰にも止めることが出来ない。そうすると、経営者は経費を抑えコストを下げ、賃金も払えなくなる。それで結局は、モノを買えなくなってしまう。その象徴がユニクロではないか」(『文藝春秋』10月号に「ユニクロ栄えて国滅ぶ」を書いた同志社大学の浜矩子教授)
 柳井氏は財界人とか政治家などとは付き合わない。夕方、自宅に帰り本を読みながら会社のことを考える、といわれる。ほとんど仕事の虫だ。
 社員はどう感じているのだろうか。野菜ビジネスに参入するとき、社員とも交流のあった前出の永田照喜治氏が労働環境について語る。
「労働環境はよろしくないというのではなく、(社員が)哀れだ。しかも取締役も何回か入れ替えているだろう。(当人にとったら)たまったものではない。その一方、生きるか死ぬか、ギリギリで働く人には高級マンションが買えるほどのボーナスを出す。これは悪口ではない。柳井さんのような人がいてもいいけど、私はあそこには勤められない」
 それで経営幹部を養成していくというが、どこか違うのではないか。
 取材に訪れたとき、永田氏が身につけていたのは、ユニクロだった。




(2009年10月号掲載)
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