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16万票の初陣… 数々の軌跡、冥福祈りたい 中川氏

2009年10月04日 14時01分

 中川一郎代議士(元農水相、科学技術庁長官)が自殺した1983年は、十勝にとって激動の年だった。道東エリアの本道5区に君臨していたドンの突然の死に、地元政界は大混乱。後継者に名乗りを上げた長男昭一氏と鈴木宗男氏の激突は骨肉の争いとまで言われ、全国でも注目された。

 一郎氏の地元葬儀のとき、一郎氏の足跡を報じた本紙を遺骨に広げて見せた昭一氏の姿が今も脳裏に残っている。東京育ち、東大卒、銀行マン。そんな肩書もあり、頭が良くて、スマート。それが第一印象。でも握手をしたとき、意外に厚くがっしりとして力強さもあった。一郎氏の手の感触を思い出した。

 出馬表明し、後援会づくりに入ったころの昭一氏はまだ演説がぎこちなかった。支持者の前であいさつした後、「今の演説どうだった?」「いやー。ちょっとどきどきしたよ」などと率直に本音を漏らした。普通の青年の素顔が見えてきた。「感謝」「恩返し」「正義」の言葉を口癖のように繰り返していた。 

 純粋で正直、勉強家で理想、プライドが高い半面、照れ屋の性格。頑固で一本筋が通ったものも感じた。

 16万票の大量得票で初当選した夜、帯広の自宅で郁子夫人と仏壇で手を合わせ、「これで父がお世話になった皆さんにご恩返しができる」と冷静に決意を語っていた。政治家中川昭一の誕生だった。

 その後、農水相、経済産業相、党政調会長、財務・金融相。順調に出世街道を歩み、父一郎氏からの夢、総理総裁は実現するのかと期待が膨らんだ。今年1月16日、東京・霞が関の金融大臣室で会ったとき、「連日で景気対策に取り組んでいる。高橋是清の心境で命懸けでやるよ。もう26年のつき合いだね。もしものときは弔辞を頼むよ」とジョークを交えて決意を示していた。絶頂期で輝いていた。

 しかし翌月、ローマでの「もうろう会見」で批判の的になった。責任感が強いので、かなりこたえていたのはその後の言動で分かった。保守派の論客として強い発言の一方、どろどろとした政治の世界を生き抜くしたたかさには欠けていたのかもしれない。

 一郎氏が死去した1983年1月9日、あの日も日曜日。親子二代、さよならも言わず、突然の死になってしまった。まさに政治の世界は一寸先はやみ。

 今はご冥福を祈るだけ。天国で好きな本を読み農業や水の研究をするのだろうか。中川昭一さん、ゆっくりとお休みください。
(小野寺裕)

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