勝間和代のクロストーク

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ネット上でも実名で表現を

2009年10月04日

 インターネットはここ数年、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、ツイッター、動画投稿サイト「ユーチューブ」など、さまざまなツールの出現により、単なるメールとウェブ閲覧の手段から、人と人とが直接つながるメディアへと発展してきました。

 一方、ネット内ではまだ、匿名やニックネームが中心で、実名での表記はまれです。その結果、健全な助け合いが本来、ネットメディアの望ましい姿であるにもかかわらず、一部には、過激な中傷があとを絶ちません。「炎上」という形で多数の人から非難された結果、閉鎖するブログもあります。

 しかし、ネットがメディアとしての信頼性を高め、既存のメディアと肩を並べる存在になるには、表現者が自分の名前を開示し、責任の所在を明らかにすることが不可欠だと私は考えています。匿名コミュニケーションのままでは、いつまでもネットは周辺メディアの位置にとどまるでしょう。

 もちろん、ネット上のすべての表現について実名を開示する必要はありません。しかし、少なくとも人とのつながりを目的とした利用においては、できる限り実名を明らかにするのが好ましいと考えます。

 一方、実名にすると気軽なコミュニケーションが阻害され、あるいは、個人情報の漏洩(ろうえい)につながるのではないかと考える人もいるでしょう。しかし、クロストークも開始以来1年間、実名主義を貫いてきましたが、活発で的を射た討論が続いています。さらに、実名であることにより、複数のトピックにわたって投稿くださっている方の考えを追うこともできます。今のところ、問題は生じていません。

 もちろん、他人の名前をかたる人物が現れたり、名簿が売買されたりするリスクはゼロにはなりません。さらに、企業に勤務をしている方の場合には、社内情報の漏洩や、立場上まずい発言をしてしまうなどの問題も起こり得ます。しかし、これらはすべて、ネット外の実社会(オフライン)でも同じことです。他人の名前をかたることや、会社の守秘義務に反することは、どのような場であれ認められないのです。

 ネット上で実名主義をとるにあたって、プライバシーをどう守っていくかは、今後の課題です。しかし、自分の名前を開示して、発言に責任を持つことは、相手とのかかわりを深め、理解を求めるための必要条件と考えます。

 ネットを過激な陰口の場にしないためにも、思い切って、実名主義を進めてみませんか。それによって、コミュニケーションが円滑になるほか、ビジネス面での利用の際の信頼性も高まると確信しています。

 ネットでの実名の薦めについて、みなさんのご意見を毎日jpまでお寄せください。(経済評論家)

   ◇

 今月より、提言の次の回(2週後)には、反響に対する勝間さんの講評を掲載します。それにより、読者のご意見をこれまでより詳しく紙面で紹介し、読者と共に1つのテーマをより深く掘り下げることが狙いです。これまでにもまして多くの活発なご意見をお待ちしています。どうぞよろしくお願いします。

  今回のテーマについては、10月11日までにいただいたご意見を勝間さんの講評対象とし、ベストアンサーを選びます(ご意見そのものは16日午後5時まで受け付け、そこでいったん締め切ります)。18日に勝間さんの講評を掲載し、それについてのご意見を、30日午後5時まで受け付けます。


コメント(14)

14 Commented by 原田孝二 さん 2009年10月05日 16:40
 

 基本的には賛成。
 
 ネットでの良い点は「”匿名性”であるがゆえ活発な意見の応酬が可能」というポイントがあるという前提の下で、俺はずっと「匿名だろうと実名だろうと自分の発した言葉には責任を!」と言い続けてる。
 
 それは”ブログなどの本文やコメントにおいても投稿ボタンをクリックしたら書き直しするな!”ということだ。それゆえ投稿するまでの過程において感情にだけ流されず自分の言葉づかいや”気持ちから発せられた文字の羅列”などを少ない時間ながらもう一度見つめなおしてほしい。それでも言い回しや言葉足らずなどなど・・自分を恥じることは多々ある、HNでも”恥”というものを知ってほしい。
 
 活発な意見の応酬できっともっとも有名なのが”2ちゃんねる”だと思う。いろんなことへの意見の応酬が行われよい場所とは思うけど”投げっぱなしの意見”や”誹謗中傷”のためだけのコメントも多く”恥”を知らない人間の汚らしさに気持ち悪くなるからもう見には行ってないのだが、ああいう場所を見ると”匿名性”という良い部分無視で実名投稿の大切さが求められるように思う。

13 Commented by 坪田 哲司 さん 2009年10月05日 16:22
 

 私は、「実名主義」というより、
①ある特定個人がネット上で統一した名前(ハンドルネームでも可)でコミュニケーションを図ること、
②管理者側で実名とハンドルネーム、システム情報(IPアドレス)を把握すること、
そして、
③コミュニティ上で秩序を乱す行為が起こった場合に備えた罰則規定の整備や通報システムの強化
 
 を行うべきだと考えます。
 
 ①については、私たち一人ひとりのICTリテラシーの向上の問題であり、一方で②、③については、「自律分散協調」のWEBコミュニケーションを支えるインフラの整備だと思います。
 
 もちろん、コミュニケーションを行う上で「実名」で語ることを望む方は実名でコミュニケーションを行えばよいですし、匿名を望む方は、匿名でコミュニケーションを行えばよいと思います。
 
 コミュニケーションを行うにあたって、発言者を特定できないことが、発言内容に責任を持たなくなり、又、場を荒れさせる大きな原因だと思います。
 
 SNSが行ったように、コミュニティの既存メンバーからの紹介によって、自律意識を植え付ける方法、又は年齢等で限定する方法もあるでしょう。
 
 当然、コミュニティの性格によっては限定された資格要件が発生するものも発生しますが、そうでないコミュニティでは、自律した個人が自らコミュニティに入り、既存のメンバーは参加を歓迎することが基本だと思います。
 
 あと、ネットでのコミュニケーションが進むからこそ、リアルの世界でのコミュニケーション(オフ会)もより強化すべきだと思います。
 
 地理的事情をはじめ、様々な事情によってオフ会に参加できない人々には、事前にアジェンダレベルの情報発信とそれに基づく参加者による意見の発信、twitterやストリーミングなどによる会場との同時対話、事後の情報提供、共有の手順を、ICT時代のコミュニケーションにおける所与のプロセスとすべきだと思います。

12 Commented by 森岡 慶信 さん 2009年10月05日 15:23
 

 「賛成」としたいところですが、「だいたい賛成」になります。勤務中の投稿がバレますね。


11 Commented by 齋藤 麻理子 さん 2009年10月05日 15:19
 

 クロストークには久々の参加です。私は、ネットでの発言はその内容自体が重要であり、匿名か実名かはあまり問題視していませんでした。なので、実名投稿ということを深く意識しないまま、こちらのクロストークにも気軽に参加していました。
 
 「ネチケット」はネット慣れしてきている人たちにはだいぶ浸透してきてはいます。しかし、まだまだ使い方を知らないまま、過激な発言をしてしまう人がいることも事実です。実名にしたことにより、ネットの中だけでしか感情をぶつけられない人はどうなってしまうのでしょうか?また、実名であることを意識した発言は興味あるものになりますか?ですが、これからの子どもたちにはどんどんネット社会で発言して欲しいし、他人の意見にも耳を傾けて、自分の頭で考えられる人になって欲しいと願っています。
 
 そこで、「情報モラル」教育に力を入れ、人とのつながりを目的とした利用においては、実名ではなく「ハンドルネーム」で発言してはどうでしょうか?ハンドルネームを小さな頃から持ち、いろんな場面で使用すれば、芸名と同じような効果が生まれるのではないでしょうか?
 
 参考文献 久保田裕著 「情報モラル宣言~インターネット時代の生きる力を育てる~」より
ACCSの情報モラル10か条
第1条 これからは情報が価値の中心。発信者としても受信者としても情報を見極める目が問われる。
第2条 また、年齢や社会的地位などよりも、情報がその人の評価を決める。自己表現、意思表示の力を磨こう。
第3条 同時に、相手の気持ちを想像し、尊重する力も。
第4条 情報のデジタル化は諸刃の剣。デジタルデータの取り扱いには細心の注意が必要。
第5条 特に、人の情報(個人情報、著作物)を扱うときには慎重に。
第6条 また、一度ネットワークにアップされたものは、永遠に回収できないことを知っておこう。
第7条 未知の人との出会いは刺激的だが、当然、それだけリスクも高い。
第8条 また、ネットワークでのコミュニケーションは壊れやすいことも知っておこう。
第9条 特に電子メールは便利で手軽なメディアだが、その分、コミュケーションが「雑」になりがち。
第10条 たまには会って話そう。
 
 個人的には、第10条が一番しっくりきます。

10 Commented by 高梨 友也 さん 2009年10月05日 14:34
 

 確かに実名で活動している方々は沢山おり、そういう方々は、旧来からのマスメディア上はもちろん、ネット上でも実名での活動がスタンダードという考え方もわかります。
 
 しかし、なぜそういう方々が「実名でも書ける」なのか、考えたことがあるでしょうか。実名でものを語るということは、言及されていますように様々にリスクがありますから、当然ながらそれ相応の覚悟が必要になってきますが、そうした「覚悟」をしてなおかつ実名で表現するというのは、そのリスクを低減できる環境にあるか、またはそのリスク以上のメリットがあるから、に他なりません。
 
 マスコミや文筆業、表現者の多くが実名で「書ける」1つの理由は、まず、彼らが「プロ」だからです。表現しなければ収入が得られない、しかも、表現により自分の名前が売れれば、それがまた後の収入に繋がる、そういう「将来のメリット」があるからこそ、多少のリスクを覚悟で表現することも出来るわけです。
 
 また、そうした環境にいる殆どの人は、ものごとを「直接」表現してはいません。多くの場合、大きなメディア組織をバッファーとし、仲介され、場合によっては法的な処理や問題の解決の多くの部分をバックアップしくれる「バックの組織」を通じて表現しています。
 
 逆に、そうした立場にない「圧倒的多数の一般人」はどうでしょうか。一般の人は「表現で食べている」わけでもなく「リスクを負ってまで得るもの」はありません。また、どんな組織もバックアップしてくれません。問題の処理を担ってもくれません。狙われたら、何か問題があれば、「悪意」は全て「無力な個人」に降り掛かってきます。
 
 何かを表現するのには、出版社に持ち込んで、名前を売ってからでないと、表現できないのでしょうか。著名でなければ、コネがなければ、表現してはいけないのでしょうか。
 
 現状、このような一般的な個人が表現するには、「実名では危険」なのです。
 
 表現を生業としている方々は、その実名で表現できる「周辺環境」が、まるで誰の身の回りにも自然に存在しているかのように錯覚しているのではないでしょうか。「パンが無ければケーキを食え」と言わんばかりの傲慢さが見えてきます。

9 Commented by 木下哲也 さん 2009年10月05日 14:34
 

 実名であるかどうか。 僕はさほど気になりません。
 
 基本的に、顔も人となりもよく知っている人の間では、いちいち実名かどうかなんて気になりません。 たとえば、名前を知らなくても、いつも帰宅途中に立ち寄る売店のおばさん、とか、散歩中に会うチワワの飼い主さん、みたいなものでも、顔や人となりがわかれば、いくらでも密なコミュニケーションは成立します。
 
 さて、ネットを介することで、顔や人となりのまったく知らない方が、同じサイトに集まり、同じテーマで議論したりすることができるようになりました。 ここのサイトでもそうです。 ですが、名前を知ったところで、その人の顔や人となりはまったく存じ上げることもありませんし、住所や住まいを知らないので、訪ねていくこともできません。 あくまで決まったサイト上で、それぞれの書いた言葉を通じてでしか、やり取りができません。 下手すれば、同じ言葉をまったく異なる意味で遣うことだってあり得るような危険性もあります。
 
 なので、ネットを利用する上で各人が注意すべきは、あくまで「いろんな考えを持った人がいるんだ」と、解釈の仕方をしっかり維持するということです。
 
 掲示板等の炎上にしたって、もし悪意を持っている人間がいれば、その人が実名を出していたって炎上します。 実名をさらすことで少しは自主的に躊躇する(逆に言えば、匿名だから過激化する)ことはあっても、それですべてが収まるとも思えません。 そういうのに接することがイヤ、見るのもイヤというなら、そのような状況になったところにアクセスしなければ良いだけのことです。
 
 勝間さんが「実名だから実現できる」と書いておられることは、別に固有のハンドルネームでも実現できます。実名だから、という理由にはなっていません。
 
 個人情報保護法の基本概念のよう、「それによって個人が特定できる」ことで、初めてその情報が意味を成すと考えるべきであり、実名か否かだけを議論してもまったく不十分です。
 
 ネットというまったく新たな環境を手に入れたのに、そこに既存の環境の約束事を通り一遍持ち込もうとすることも、あまり有意義なことではありません。
 
 いずれにしても、これまでと同じ、議論のポイントが表層的過ぎですね。

8 Commented by 斉藤のり子 さん 2009年10月05日 13:24
 

 ここ1、2年くらい実名(+ニックネーム)で活動していて、顔写真もでています。結論からいうと、匿名だろうが実名だろうがニックネームだろうが、要は使い分けをうまくすればいいんじゃないでしょうか。
 
 ここから私の体験です。実名活動でマイナスだったのは、荒らし・殺害予告を体験したこと。それをされる私にも原因はあると思うのですが、自分は実名+顔写真で相手は匿名という状態。何をされるかわからない、どこで自分をみているか分からない恐怖を体験しました。
 
 実名をだすならこれくらいは想定して相手にしない神経の図太さか、徹底的に戦う姿勢をみせるくらいでないとだめですね。とりあえず自衛はしろと。
 
 プラスだったのは転職活動や自己紹介に楽だったこと。もちろん名前を出すだけでは何もメリットはなくて、名前をだすなら自分の特技と、その専門は任せてくださいというものがなければ、ただの目立ちたがり屋。

 以上のことから
1.殺害予告、後ろ指をさされてもなんとも思わない神経
2.自分の名前とセットで売れるような特技
これを持ち合わせていなければ実名で活動するメリットは少ないと思います。
 
 『ネットを過激な陰口の場にしないためにも実名を!』というのは無理があって、ネットだろうがリアルだろうが手紙だろうが過激な陰口を言う人は言いますし、どこの世界でも陰口(悪い側面)が目立つってだけで、情報量としては面白話・役立つ話のほうが多い気がします。
 
 というか、責任を持たないで発言できるのがいいんじゃないでしょうか。チラシの裏、便所の落書き。実名で発言して責任ばかり増えるのも疲れるでしょう。
 
 私だって実名で活動していますが、匿名で便所の落書き的に「このゲーム、バグ多すぎオワタwww」などと書くときもあります。コミュニケーションをとりたいわけではなく、責任から逃れただただ吐き出したいというときです。
 
 冒頭にもいいましたが要は使い分けをうまくすればいいんじゃないでしょうか。

7 Commented by 笠原正夫 さん 2009年10月05日 12:45
 

 ネット上でも実名をというご意見に賛成です。
 
 私は自分のHPも最初から実名です。匿名でいろいろな意見を言うというのは何か卑怯な感じがして始めからそうしています。もちろん職業上とかで、そうできない場合もあるとは思いますが。
 
 HPを始めて3年になりますが、ネット上は思った以上に勝手な事を言える場所では無いということです。ネット上ももう一つの社会。エチケットや礼儀ということが、直接顔が見えないから余計に必要な事だと感じています。
http://web.mac.com/masao72854

6 Commented by 坂口 拓史 さん 2009年10月05日 12:34
 

 実名主義で勝間さんの主張する効果は得られる可能性はありますが、完全ではないと思います。意見が追跡出来てパーソナリティを理解出来るというのは重要なことだと思いますが、それも実名主義が完全であって初めて成り立つ話だと思います。
 
 確かに、現在のこのコミュニティは実名主義で運営されています。ただ、それでもそれが実名だと確認する訳でもなく、カタカナやローマ字のケースもあったりして、抵抗を感じながらも投稿されているケースも見受けられます。このコミュニティの性質上、現在の状況で問題なく効果が発揮されていると考えるのが適切なのではないかと考えます。
もっとシステム上で実名性を強化する必要があると思います。実名である必要はなく、ニックネームでも良いのですが、管理者側で個人を特定するレベルを明確にすることが重要だと思います。
 
 実際、炎上するようなブログで個人攻撃が激しい場合には、圧倒的多数の人が「当然、攻撃されるようなことをしている人間だ」と判断している圧倒的多数派として加担しているケースも多く、炎上を阻止することは出来ない可能性が高いでしょう。実名であろうと個人の特定への繋がりが曖昧であれば、発言の過激化にもあまり意味がないでしょう。過激な発言をするような人は比較的少数派で、一般的な感覚を持っていると考えるのも不自然です。
 
 また、逆に実名にすることで、コミュニティによっては投稿する人への、リアルでの攻撃の芽になる可能性もあります。実名とすることで一般大衆に攻撃される危険性が生じるのです。
 
 もともと、日本は合意性を重んじる雰囲気があります。マスコミも、他人の意見を借りて論じることが多いというのもその現われだと思います。政治家の発言でも、「こんな発言がありました。」という紹介はしますが、それに対して理論的に何がまずいのかを明確であるにも関わらず何もコメントしないということをよく目にします。その後に多数派を見極めて、多数派側を中心にコメンテーターを構成するといたった具合です。コメンテーターに漫画家やタレントを揃えて、口の軽い意見を言わせるのも実名でも意味がないことを証明しているようなものではないでしょうか。
 
 まずは、クレジットカードのように個人情報を管理するところがあって、投稿時にはそれを必要レベルに応じてHP管理者に提供するというようなものがいいのではないかと思います。匿名であっても、それは統一され追跡も出来るようにする。もしブログの炎上等の原因になれば、リアルでも追及されることが出来る。実名の必要があれば、個人情報を管理する側に保証された実名の表示になる。
 
 最初は、こんなこと話をして何になるのだろう。「薦め」ても、実際にそれが必要となるところでは浸透しないのにとは思っていましたが、システムとして確立されるとHP管理者の側でも運営しやすいような気がします。

5 Commented by 水野史土 さん 2009年10月05日 11:57
 

 文字だけのコミュニケーションだと、齟齬が発生しやすいと思います。書き手の理解不足や表現力不足が原因かもしれません。読み手の思い込みが原因かもしれません。じゃあブログや twitter はダメか、というと、そうでは無いです。
 
 ブログや twitter は、書き手が一方的に発言して終わり、ではありません。読み手が理解できなければ質問できます。それに応じて書き手がまた発言する、というプロセスで、お互いに対する理解を深めていくことができます。そのためには、どの書き込みをどの人がしたか、特定できることが必要です。実名または固定ハンドルであれば、発言の流れを追っていくことができます。ウェブでいえば、セッションでユーザーが識別できる状態です。一方、匿名や一回限りのハンドルネームは、セッションの無い HTTP みたいなもので、同一人物かどうか判断する手段がありません。
 
 個人的には「繋がりイコール長期的な関係」と考えています。必ずしも互恵関係じゃなくても構いません。ディベート相手でも、ライバルでも構わないと思います。そのためには、実名で発言する必要はありませんが、過去の発言、ブログや運営サイト情報等を確認できる固定ハンドルネームでの発言は必須でしょう。

4 Commented by 成田義也 さん 2009年10月05日 11:51
 

 問題点としては、メディア信頼性向上や既存メディアとの競争を、インターネットの参加者が望んでいるのだろうかという点である。個人的には、望まない人が少なからずいて、実名による表現を望まない人が多い状況があります。
 
 インターネットは、古代ギリシャのような民主制に近い形態ではないかと思う。誰もが、一定の権限で参加し、一定の範囲で平等であり、一定の自己責任を負うことで、インターネットに参加している。私自身にせよ、実名での記述もあれば、実名でない記述もおこなっている。これは、インターネット上では、個人特定の名称の数だけ、個別に周囲に適応するためのペルソナ(人格)を持っていると個人的に判断している。
 
 参加者個人の持つペルソナが、一定の空間に対して所属するグループで構成され、校正されたグループが、ぼんやりとインターネットの空間に所属している形になります。つまり、一個のペルソナが参加するインターネットの空間そのものは、それほど大きな空間ではないことが多いと思われます。
 
 匿名であっても、一定のグループ内で名前と顔が一致していることは良くあることで、一定のグループ内では、匿名であっても実名とほとんど変わらないケースが多いのです。こういった場合は、匿名であるからといって、グループ内での責任を回避することはできません。
 
 こういった状況を踏まえれば、実名が必要であるか、必要でないかは、表現の場によって違うべきです。 実名が必要と感じる方は、実名での参画が必要な表現の場(ムラ)を築き、賛同者と共に、実名での参画をおこなっていくことで、インターネットのメディアとしての信頼性を高め、既存メディアと肩を並べていくことを目指していけばいいのではないでしょうか。
 
 個人で対応可能な範囲に限界がある以上は、インターネット上での実名での参加は、あくまでも個人で決定すべき問題であると判断します。

3 Commented by 城内 達也 さん 2009年10月05日 11:13
 

 実名制度のインセンティブに関しては、意外にも竹熊健太郎氏の指摘がわかりやすい。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post.html
 
 匿名で中傷を行う、という方々は「名声」というインセンティブが通用しない。その場限りの論争の勝利に、快楽を求めるからだ。「匿名優秀論」というのもあり、実名の蓄積に依存せず、純粋な事実や論理で勝負する匿名は、実名より優れている
という考え方だ。
 
 有能である、優秀である、というのは、たった1人にでも認められなければ、そうではないと思うのだが、では僕らは、どうやって匿名を区別し評価してあげればいいのだろう?
 いや、彼らは、それ自体を拒否している。現状、ここは利用すべき特性である。
 
 普段、人間を演じていると忘れ勝ちだが、人間は未だに動物の仲間である。純粋な事実や論理、というフレーム自体が人間文明特有のものである。だが、人間はそこまで知的になれるかは疑問符が付くように思う。
 
 例えば匿名であっても、ピクシブなどの創作サイトの投票は、匿名である方が望ましい。嫌なら点を入れないか、1点でも入れておけばいい。実名/匿名の要素を含めた、優れたシステム設計が必要だと思う。
 
 例えば、オンラインゲームであれば、その仮想空間の中のふるまいそのものが発信になる。そこでは実名/匿名、ハンドルネームさえも「固有なID」としての意味しか持たない。
 
 現在のSNS/ブログなどのシステムは、削除依頼を出さないと、クリティカルな誹謗中傷であっても、相当の時間差を持って対抗し得る手立てが無い。そして殆どのそのような企業は電話窓口さえ無いし、電話番号を公開すらしていない企業もある程だ。あまりにも無神経で不用意すぎはしないだろうか?
 
 世界は簡単にはフラット化しない。ウェブも同様だ。いっそブログリーダーを準公式に甲サービスに配置し、そのような諸々の判断をさせてはどうか。そのリーダーへの批判は当然、自由なのであるが。準公式に論争に参加し、準公式に致命的な問題を解決する。リーダーには、優秀な企業OBや、学者、専門家が相応しい。場合によっては芸能人にやらせた方が効果的であるだろう。
 
 電話窓口を公開しないのであれば、そのような機動性の高い対応サービスを準備すべきだ。少なくとも、多少の安心が得られる。論争は正義と正義のぶつかり合い、誹謗も似たようなもの、かりそめの正義でも、それを内部に設置した方がマシなのではないだろうか。これはアルファブロガーと呼ばれるものとは性質が違う。

2 Commented by 藤田 靖 さん 2009年10月05日 11:11
 

 私は、ネットではよほどのことがない限りは匿名で通している。とはいえ、ネットにおける誹謗中傷行為の防止、およびノウハウの共有という目的に限るなら、勝間氏の「実名主義」に賛成である。
 
 しかしながら、企業においては情報漏えいに関する線引きが未だ明確でないため、公知の情報であるにもかかわらずときに競合他社を利するかもしれないもの(単に、競合他社が気付いていないだけのことが多い)の公開をとがめる傾向がある。
 
 とはいうものの、自身の公開したノウハウが誰かの役に立つのみならず、ときに謝意などの評価を頂戴することがあるならそれが嬉しくないわけがない。それでも、自身の属している組織からはそうした行為に対する批判、非難、やっかみ、あるいは極端なときには人事上の不利、例えば「そんなに他から頼られているならば他の会社に行けばよかろう」という意識を持たれることが多々あるのだ。
 
 勝間さんのようなインディペンデントなプロフェッショナルは、組織による有形無形の縛りをそれほど気にする必要もなく、むしろ実名を公開しつつ発言することは、彼女自身という「製品とサービス」のマーケティングにもつながる。
 
 一方の一般的な企業人は、あたかもオーウェル『一九八四年』で描写されている「ビッグ・ブラザー」に対する忠誠ないしは「帰依」のような行為を、組織に向け強いられていると見るべきである。そこで要求されるのは「滅私奉公」にほかならない。個人が独自の判断で本名を広く認知されることは、「ビッグ・ブラザー」が許さないのだ。

1 Commented by 丸山高弘 さん 2009年10月05日 9:55
 

 「ネット上でも実名で表現を」をテーマにしているコメントで『実名』を求めるのは、ちょっと反則のような気がする。
 
 実名をさらせない方々からのコメントが反映させられないのでは…と。

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