加藤昭(かとうあきら)
1944年静岡県生まれ 立教大学経済学部中退 在学中から大宅壮一に師事 大森実主宰の東京オブザーバー紙で取材活動を始める 以後雑誌を舞台にスクープを続けて活躍 平成6年小林峻一氏との共著『闇の男 野坂参三の 100 年』で第 25 回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞

執念の徹底取材で鈴木宗男を追及

権力と緊張関係を保ちつつ監視する

日本には珍しいマフィア型政治家で日本にとって危険な人間

 田中真紀子まで議員辞職してしまった。鈴木宗男に始まった政界激震劇は五人の議員が”カネ”の問題で辞職した。「変態」とまで書かれた山崎拓は幹事長としては死に体同然となった。恐るべきは雑誌の力である。小泉内閣が成立させると豪語していた個人情報保護法案も有事法制も、次から次に出てくる議員たちのスキャンダルへの対応に追われて、次の臨時国会に持ち越しになってしまった。
  永田町のすねに傷を持つ議員たちは、雑誌やフリーのライターたちの首根っこを押さえつけることができる個人情報保護法案を成立させておけばよかったと臍をかんでいるに違いない。
  今回インタビューしたジャーナリスト・加藤昭氏は、徹底した取材をすることで有名なライターだ。加藤氏は鈴木宗男を追いかける理由を、「彼は日本には珍しいマフィア型政治家だ。日本にとって危険な人間だ」と思ったからだとしている。まずは、徹底した執念の調査報道で鈴木宗男の疑惑を追及してきた裏話から聞いた。

元木 ついに鈴木宗男を追いつめました。ここまでやったのは、立花隆さんの「田中金脈研究」以来ですね。

加藤 いやいや、時間と金ばかり使って出版社には文句言われてます(笑)。

元木 鈴木宗男を追いかけるきっかけになったのは、中川一郎(元農相。 1983 年1月9日、 札幌市 内のホテルで死亡。首吊り自殺とされている)の「怪死」からだとお書きになっています。あの事件は大変ショッキングだったし、謎も多い。これまでも色々な憶測があったけれど、加藤さんはどう思っていますか?

加藤 中川の死は自殺じゃないんじゃないかと思いだしたのは、 1997 年8月のソ連のクーデターを取材した頃からです。エリツィンが大統領になったとき、旧ソ連共産党の悪事を暴露するために1年間だけ当時の極秘文書を公開した。KGBの報告書が一番多いんですが、対日関係の書類だけでも 300 万件もあって、私は、 11 人のロシア人スタッフを使って日共とソ連が水面下で何を話してきたか議事録を探した。その中に中川の死に関する重要書類が隠されていた。そこには「中川は殺された」と記されている。ビックリして、「この中川、鈴木という名前が出ている書類を全部ピックアップしてくれ」と指示した。2人の名前が出てくるだけでも積み上げたら 1 メートル近く集まり、全部翻訳するのに1年半くらいかかった。その中の、 83 年1月 14 日、つまり中川の死の5日後に東京のソ連大使館からモスクワに宛てたKGBの暗号電報に、元テレビ朝日専務の三浦甲子二(故人)の話として「中川は明らかに他殺だ。CIAの手先に消された」とあった。三浦は当時ソ連のエージェントで、その功績でモスクワ・オリンピック独占中継の権利を得た人物です。

元木 そのKGBの報告書に鈴木っていう名前は出てるんですね?

加藤 もちろん出てる。「鈴木はCIAと結託して中川を収賄疑惑に引き込んだ」という記述もある。それ見た時は、「ホンマかいな?」と思った。

元木 他殺説は当時の雑誌でも書かれましたが、決め手がなかった。

加藤 その翻訳電文を読んでいくと、これは「なるほど、あり得る」と。当時のブレジネフ体制下で、中川をリクルートするのがソ連の対日政策の最重要課題だった。つまり日米離反工作のため、傀儡政権の樹立を図るというのが狙いです。その工作をやった中心人物がイワン・イワノビッチ・コワレンコという、対日工作の総帥です。

鈴木が中川から離れて金丸に駆け込んだ理由

元木 どうやって接触したんですか?

加藤 82年9月10日夜、三浦がセットして、赤坂の大乃という料亭で中川とコワレンコが四時間、密談をおこなった。中川が本当に握手できる相手かどうかの確認です。そのとき中川はリップサービスもあってソ連との軍事同盟の話までもち出している。コワレンコは中川と話した内容をその日のうちにモスクワへ暗号電報にして打つんですが、それがCIAに抜かれるわけです。私はワシントンへ行ってCIAにそのことを確認した。もちろん、抜いたなんて言わない。だけど、そういう報告があがっていたということを口頭では認めた。

元木 中川はソ連寄りの危険な人物であると?

加藤 そうです。その後、総裁予備選があったのが82年11月24日で、26日に中曽根康弘は組閣している。組閣後に中曽根が、「中川君、ご苦労さんでした。僕はソウルに行かなきゃならないので、君にアメリカへ先乗りしてもらいたい」と伝えるんです。それで中川は大喜びで、「俺も中曽根の名代でアメリカへ行けるんだから総裁選へ出た甲斐があった」と帰りに秘書に漏らしてる。それですぐ後藤田(正晴・官房長官)を通じてアメリカ大使館に「中川が訪米する。時期は1月20日前後」ということを伝えた。ところが、1月4日前後になって後藤田のところに「中川は受け入れられない」という返事が来る。自民党の大物の政治家で総裁選にも出た男をペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)という具体的な表現で拒否した。これはテロリストなどの入国を拒否する時の表現です。中川は非常にショックだったと思います。

元木 暗号電報を抜いたとしか考えようがない?

加藤 そうです。ここから鈴木の疑惑に近づいていくんですが、コワレンコの暗号電報でブレジネフが、中川は合格だ、彼を親ソ政権の首班にしようと決定した。で、コワレンコに、彼を具体的にリクルートするプランを作成させた。当時、日ソ間のサケ・マス漁獲高交渉はモスクワと東京で1年おきにおこなわれていたが、そこで決定した割当量(クォータ)に 25%を上乗せして中川に与える、という驚くべき決定がおこなわれる。

元木 大変な利権ですね。

加藤 それどころじゃない。次の利権は、埋蔵量1兆円のサハリン原油採掘権を与えるというものです。後にそれを三井物産の熊谷(直彦・元社長)がモスクワ訪問して契約する。三井と鈴木の関係はここから始まっている。今のディーゼル発電疑惑なんて小さな問題じゃない。ところが、決定した直後に中川が死んで、ソ連の野望は潰れた。

元木 この利権のことは中川に伝えてあったんですか?

加藤 伝えてない。しかし鈴木は、中川は親ソ派だとの情報を、たぶん田中派経由でアメリカから手に入れた。それを知って鈴木は中川離れを始め、参院選出馬を突然、主張しはじめる。金丸(信・元自民党副総裁、故人)のところに駆け込んで、中川のところにあった7億7千万円を”お賽銭”として持っていったと言われている。中川の息子と骨肉の争いの選挙に金丸が応援に行ったのは、そのお賽銭のお陰だと思います。

元木 中川が他殺だとすれば、鈴木には動機はあるけれど、鈴木が自ら手を下す必要はないですね。

加藤 やらないでしょうね。

元木 一時あったソ連説もない。そうすると、石原慎太郎が言っているようなCIAなりなんなりが実行して、鈴木か佐藤尚文(中川の死の第一発見者として名乗り出た、鈴木と親しい水産会社社長)が手を貸したか、見て見ぬふりをしたということになる?

加藤 そうです。実行犯は、中川夫人の貞子があの日ホテルで見たと言っている暴力団風の男でしょうね。彼女は中川がバスルームで首吊っているのを見つけて、隣の部屋にいる秘書の喜多龍一に「主人が死んでいる」と言いに行った。ところが、鈴木と佐藤はすでにドアのところに立っていて、その後に黒い服の男がいたと証言しています。

「鈴木はロシアに弱みを握られた売国奴だ」

元木 そこで不思議なのは、中川が死ぬ直前に知人たちが来て酒を飲んだという話がありますが、貞子さんはそれを知らない。寝ていて、気がついて探したら風呂場で死んでいたと。

加藤 そこが最大の謎として残されている部分です。一説には、貞子夫人は中川が死んだホテルの部屋にはいなかったのではないか、との話もいまだに強く囁かれています。だから、彼女が自分はあの夜、ホテルにはいなかったと証言すれば、すべての謎は氷解する。だが、貞子夫人は今でも部屋にいたと強く主張しています……。

元木 その話が、それ以後の元となって一人歩きして、真相が闇に葬られてしまったと……。

加藤 その絵を描いたのはおそらく佐藤ですよ。不思議な男で経歴もよくわからないけれど、日韓利権の裏で動いてきたKCIAのエージェントといわれています。79年に朴正煕(大統領)が殺される。途端に韓国に作った会社を畳んで北海道へ帰ってきた。それで北海道開発局の利権をやりたいと鈴木に色々な話を持ちかけ、それが中川の耳に入る。中川は鈴木と佐藤の2人を呼んで、「お前ら何をやってるんだ! 危ない金に手をつけるなってあれほど言ってるのに!」って怒る。この一件が、鈴木と佐藤が中川と袂を分かつ契機となったというのが定説です。1980年頃の話です。

元木 佐藤はロシア利権のほうには絡んでないんですか?

加藤 そっちのほうは基本的に鈴木のイニシアティブですね。新聞などが間違って書いているのは、鈴木は利権のためにロシアとくっついたという見方です。これは違う。プーチンは鈴木のスキャンダルを握ってて、2島返還論を言うならお前に利権を与えると示唆したのだと思う。ロシア側に利用価値があるってことです。2島返還で平和条約を締結して日本政府が投資をOKすれば、ロシア側にとってこんないいことはない。鈴木は弱みを握られてるから、ロシア側の意向を反映せざるをえない。そこに私が、「鈴木は売国奴だ」って指弾する根拠がある。

 プーチンは、北方領土水域で操業してだ捕された漁師を、鈴木の命令で釈放してもいいという言質も与えていた。鈴木の選挙区にIという男がいる。漁師たちがこの男に500万円持って行くとだ捕されても国後島へ電話して、安全なところまでロシアの国境警備艇が送ってきてくれる。これも宗男の大きな利権の1つです。

元木 今回の鈴木逮捕で、プーチンとの仲も終わったでしょうね。

加藤 私のスタッフがモスクワで取材してますけど、プーチンは「鈴木はもう切った」とハッキリ言ってるそうです。もう使い道がない。同時に、「5年間は北方領土に関する議論は凍結する」と言ってるそうです。

元木 鈴木は自民党の体質そのものだと言われていますが、どんな人間なんですか?

加藤 彼は日本の政治家には珍しい「マフィア型政治家」ですね。普通の国会議員は、政治家になって利権に手をつける。ところが、彼の政治家になる目的はたった1つ、利権のため。これは他の国では別に珍しいことでも何でもない。

 例えばロシアでは、ベレゾフスキーだとかグシンスキーだとか、裏世界の連中が閣僚の座を金で手に入れてる。プーチンとやりあって追放されてしまったけど、ベレゾフスキーは6ヵ月にいっぺんホテルの大広間を借り切って円卓会議をやる。そこに、売春、ドラッグ、車の密輸など、あらゆる利権の部門別の責任者を集めて報告させる。こいつがエリツィンの時に金で安全保障会議の書記、日本でいえば防衛庁長官より上の役職についてたんですから。

 鈴木はそうした連中の、日本での先駆け的な存在ですよ。ムネムネ会ができて総理総裁を目指すなんて公言し始めたのを聞いて、「これは潰さなきゃ駄目だ」、こんな男がリーダーになったらとんでもないことになると思った。中川一郎の死に関しても、彼には疑惑が非常に多い。この2つで鈴木宗男を告発する必要があると、取材を始めたんです。

構造改革は記者クラブ制度の破壊から始まる

元木 鈴木問題も、辻元清美も田中真紀子もみんな雑誌発のスキャンダルです。新聞はただ後追いするだけ。新聞のどこに欠陥があると思いますか?

加藤 記者クラブがあるからですよ。構造改革は記者クラブ制度を破壊することから始まるんです。昔、マルコスの失脚のとき、マニラのマラカニアン宮殿の取材をやった時、あの騒動の最中に、ある日本の新聞社記者に「あんた取材許可とったか?」って言われた。今月は朝日だか産経だかが幹事社だから、取材許可をもらってこいって。

元木 日本じゃなくてマニラで?

加藤 そう。ペルーの人質事件の時も、テレ朝系列の記者が自分で工夫して、カメラ持って大使館の中へ入って、ビデオを撮って来たでしょ。出て来たら、CNNやNBCなど海外メディアの連中が、「お前よくやったな!」って、皆で「コングラッチュレーション!」と声を掛けた。ところが某有名新聞社の記者は、「お前! 抜け駆けしていいと思ってるのか」って胸倉をつかむという、非常識きわまりない行動に出ている。このこと1つとってみても、日本のメディアは本当におかしい。そういう意味でいうと、記者クラブ制度を廃止したことだけでも田中康夫(長野県知事)は評価できる。

元木 メディア規制法、中でも個人情報保護法案が臨時国会で通りそうですが、そうなったらどうしますか?

加藤 今までと取材のスタンスを変えるつもりはないし、本人に了解を取って取材をするつもりもない。マスコミというのは「第4の権力」と言われて久しいですが、やっぱり権力を監視するのが最大の役割ですよ。驚いたんだけど、鈴木宗男のところへインタビューに行ったら、第一声が「あんた、どうして俺に取材の許可を求めないのか?」という面罵だった。「俺の何を聞きたいのか、質問を全部一覧表にして持って来い」。さらに、「俺のことで誰に接触するのか、その人たちの名前も全部書いてこい」と。

元木 鈴木宗男は個人情報保護法案が成立すると思っていたんだね。

加藤 あんな法案が通ったら、フリーのライターが一番打撃が大きい。でも私は従来のスタンスのままで取材をする。逮捕されるなら、逮捕の第1号になります。

 住基ネットだって、片山(虎之助・総務相)は「絶対個人情報が漏れる恐れがない」だって。冗談じゃない! 政府が関与するから訳の分からない形で変形させられるし、漏れていく。あれだけ絶対安全だって言っていた原子炉が、浜岡原発なんて1週間に3回も水漏れ事故を起こした。絶対あり得ないことが起こるわけです。

 権力とメディアがお互いに緊張関係を保つというのが、私が大宅壮一さんから学んだ最低限の在り方ですよ。立花隆さんが「田中金脈研究」をやったときに、角栄が新聞記者を軽井沢の別荘へ呼んで、「お前ら俺の気にさわることを書くな」って怒った。そのとき、誰一人顔を上げられなかった。あの日が日本のマスコミが死んだ日だって、立花さんは書いた。まったくその教訓が鈴木の問題でも生かされていない。宗男ハウスなんて外務省の記者なら皆知っていた事柄です。でも外務省の担当記者は誰ひとりその事実を書かなかった。

 ただ週刊誌なども、もっとしっかり取材して書かないとダメですよ。私は自分が正義の味方なんて言うつもりは全くない。しかし、鈴木宗男のことを書くのだって、1年半、雪の中でスッテンコロリンして、女房に「いい加減止めてくれ!」って言われてね。「お父さんは何でこんな危ない、権力者に楯突くようなことばかりするの?」って言われる。「誰かやんなきゃしょうがないじゃないか」って言うと、「その誰かが、なんでお父さんなの?」って言い合いになる(笑)。

元木 私も、「週刊現代」の編集長のとき、右翼の中に不穏な動きがあると地元の警察から連絡があって、家族を親類の家に避難させた。我々の仕事も危険と隣り合わせの割に合わない仕事ですが、それを支えているのが、権力をチェックするという使命感ですからね。今日はありがとうございました。

 

今月の同行者/加藤昭(かとうあきら)氏 (ジャーナリスト)