私たちの使う素材には「顔」があります。

今回の生産者
vol.5
ヤスマ株式会社 安間百合子さん
女性のために、女性が作った本格的なインドカレー
食関係のイベントでいつもおみかけするのが安間百合子さん。レストランや食に携わる人は知らない人はいません。燐としたなかに、母としての顔をのぞかせて下さる女性企業家。ブラウンライスカフェの食材でも立ち上げに貢献頂きました。小さな生産者も多いなか、今月は、戦後の東京の台所を香辛料という側面から支え続けた、ヤスマ(株)代表取締役 安間百合子さんにインタビューしました。
ヤスマ株式会社は品川区西五反田、現在の本社で昭和22年、「安間香辛料商店」としてスタートしました。工場も住居も同じ場所にありました。当時は、不動前駅を降りたら香辛料の匂いがしたそうです。現在、会長である安間哲男さんは、家業を継いたもの、香辛料の専門諸を執筆されたり、学者的な立場で香辛料の研究に力を注がれてきました。そのかたわらで、実務に携わって会社を運営してきたのは、妻である安間百合子さんでした。日本人もカレーだけでなく、香辛料を家庭料理に使うようになり、激辛ブームやエスニックブームもあって、会社は順調に業績を伸ばしてきました。16年前、インド人の料理研究家に料理を師事、玉ねぎを飴色になるまで炒め、香辛料と野菜だけで作る本格的なインドカレーを伝授されました。当時は、小麦粉とカレー粉のルウが大半で、このシンプルな料理方法に感心した安間さんは、家業である香辛料を使って、本格的なインドカレーを製品化したいと考えたのでした。

社長婦人として百合子さんは、当時、大学生と高校生の子供をかかえ、職業婦人の走りとして大忙を極めていました。創業時から、モノ作りは、安全であるべきだとの考えを貫き通しているなか、家庭の料理にもこだわりがありました。「どんなに忙しくても、手作り料理を食べさせていました、だから子供たちが今、ホンモノの味をわかってくれるのだと思います。食育って本当に、大切だと思いますね。」

インドカレーとの出会い、仕事と家庭の両立のなか、何か世の中で同じように頑張っている女性に香辛料会社として貢献できることはないだろうかと考えました。「美味しいカレーを作るには、玉ねぎを長時間炒めなきゃ駄目。忙しいキャリアウーマンに代わって私たちがそれを引き受けましょう。」いつか、某雑誌の商品コラムに「富士山に例えるならば、七合目までヤスマが手伝う。頂上まではご家庭でどうぞ。」というフレーズが掲載されており、私の心に残っていました。このカレーはけっしてインスタントカレーと同じグループではない。最後の香辛料は、「愛情」という香辛料が加えられていますから。
開発を担当された近藤恭子課長さんにも、お話をききました。近藤さんも小学生のお子様をもつお母さんです。会社にとって初めての加工食品が社長の意向に沿って作り上げたペースト状の「印度の味」でした。「インド人にはベジタリアンが多く、日本で暮らすベジタリアンの方たちにも、喜んでもらえるようなカレーにしたいと動物性を使わないで作ろうとスタートしました。」市販のカレールウは、添加物のオンパレード。「化学調味料や肉を使わず、昆布やしいたけで旨みを出すのは、その配合が大変でしたね。」化学調味料は、ある意味、食品加工の救世主といえます。つまり、歩留まりがよい。材料を少なく、加工の手間をかけずに、「旨み」を出せるわけです。
しかし、母である、社長、近藤さんらは、安全で本格的なカレー作りをあきらめませんでした。缶やレトルトにするとせっかくの香辛料の風味を損なうために、ガラス瓶を選びました。結果、1人分200円という高いカレーとなってしまいましたが、きっと認知されると信じて販売を開始しました。近藤さんは、「このカレーは、私たちが人工的な旨みで消費者に媚びることなく、またコストを気にしないで、本当に作りたいモノを作らせてもらえた商品でした。」と誇りをもたれています。これは、ブラウンライスのポリーシーにも通じるもので、作り手が心から自信をもてる品というのは、当たり前のようで、なかなかできることではありません。安ければいい、儲かればいい、添加物だって、必要悪だから・・・と経済効率を優先する食品企業が残念ながら多いのです。

現在は、「マスコット」のブランドで全国に香辛料とともに、「印度の味」を販売しています。販売数年間10万個。これがこだわりぬいた安間さんの16年後の栄光なのでした。私は、研究開発費に費やする余裕のある大企業こそ、安全な食べ物を開発すべきだと思いつづけてきました。それをやらなかったツケがアレルギーや成人病の原因になっているのだと私は、考えてしまいます。

安間百合子さん、御年68歳。「女性の企業進出は素晴らしいことだと思いますが、食生活の基本はしっかりとふまえておくべきです。」できる女性は、料理が上手い。戦後の日本の食文化に貢献して来られた方の意見は、ずっしりと重い。取材を終え、なんだか元気を頂くことができ、また、ひとり目標にする女性が増えました。
このページのトップへ