婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                                                           
2009年10月03日
ごっつぁんゴールですみません
 昨日も手術後に分娩がまだ残った。夕食後就寝前の時刻に一回出動を要する。これでともかくは一段落だ。
 今週も金曜夜遅い時刻から、週末にかけて優しい代務の先生が高山に来てくれる事になっている。そう思うとそれだけで十分嬉しい。

 今週は大手術こそ無かったものの、いろいろあってジワリと疲れは貯まっている。ちょうど土曜日の天気は良く無さそうだ。
 長男には土日にかけて一泊山行に行こうと話していたが、仕事もあるしキャンセルに決める。土曜日はできるだけ休んで心身の疲れを癒そう。
 とはいえ僕に完全な休みなんてありえない。結局は何だかんだと貯まった雑事をひたすらこなす一日となった。

 さて今日の午前中には次男との中学親子サッカーが組まれていた。明日から始まる新人戦壮行試合と新ユニフォームお披露目も兼ねているらしい。親さんチームには監督コーチが入ってくれる。しかも何と親さんチームは一回ゴールすれば3点加点されるという特別ルールだ。

 壮行試合とはいえ、もちろん僕は全力で戦う。
 例によってフォーメーションも考えずあちこち走り回り、コーチのアシストからごっつぁんゴールを決めさせていただいた。これ一本で3点ゲットだからハットトリックだなんて密かに思ったりする。
 結局親さんチームの決めたゴールは僕の一本だけで、試合結果は5対3で中学生チームの勝ちとなる。考えてみたら当たり前の結果だ。

 試合は25分ハーフで親さんには辛い長さだった。子供たちは壮行試合で気持ちよく勝てて良かったと話している。一方親さんは全員怪我無く済んでこれまた良かったねと話していたりする。
 そんなこんなで今日は午後から雑用もそれなりにこなせた。山には行けないが十分幸せで楽しい休日だ。

新人戦でも頑張ってね
2009年10月02日
生死の前には
 昨夜は何だかんだで帰宅こそ遅くなったが、夜中には呼ばれずに済んだ。一週間の仕事でジワリと疲れが貯まっていたので夜眠れて嬉しい。
 今日は何時もの秒単位外来に午後から手術。その合間に何時に無い辛い仕事が入ってきたりもした。もともと僕の仕事と言うのは、辛い仕事を内含している。それに世の中何から何まで楽しい仕事なんてモノは普通無いだろう。そう思い我慢しながらミスなきよう今日も仕事を続けた。

 さて今日PCをあけたら、一緒にアフリカを横断した古い友人からのメールが入っていた。なんだろうと思い開いたら、ナイロビその後日本で何回かあった別の古い友人の訃報だった。実家に帰って闘病しているという風の噂は聞いていたが、数日前に亡くなられたとある。一瞬数々の古い思い出が浮かび、アフリカの風が脳裏に走った。

 今からもう20年以上前のアフリカは、コンゴ(当時ザイール)の政情が一時的だか比較的安定していて、普通?の旅行者がアフリカ中央部を冒険横断旅行できた。
 その頃アフリカで会った旅行者はやはり僕に似て?変わり者が多く、会う人会う人面白い方ばかりだった。

 その多くの方々とはもう会わなくなって久しい。様々な理由で亡くなられた方も実は少なくない。何だか昔の思い出の歯並びがどんどん欠けていく様な気がして、寂しく感じる。
 人は必ず死ぬ運命だ。生まれる前に死ぬ人もいれば、生まれてからすぐに死ぬ人もいる。僕くらいの年で早世される方もいるし、年取ってから更に意気盛んで花咲かせる幸運な方もいる。

 しかし誰もが必ず何時かは死ぬし、老化も避けられないものだ。若い頃どんな立派な業績を上げた人でも老いていけば立場は狭くなるし、死んでしまえば何時かは記憶の遠くに行ってしまう。それが生き物の太古からの営みなのだ。生死の前には様々な雑事などで一喜一憂する事自体、まったく持って取るに足らない事だと思う。

 どんな人間も一人一人有限だ。だからこそつまらない事に拘らずに、ひたすら前向きに急いで生きていかなければならない。そう改めて感じていたりする。
2009年10月01日
8000mの上と下
 水曜夜には3件の分娩が残ってしまった。ちょっとした用事もあり、帰宅はまた少し遅くなる。
 何時呼び出されるか分からないので晩酌はノンアルコールビールで我慢する事にした。その判断は正しくて日付が変わる頃にまず一件めの分娩で呼び出される。飲酒してなかったので車で出動できた。

 続いて夜中にも呼び出される可能性は高い。状況を判断すると分娩は遷延しそうだ。夜中に起こされる事は無い方に賭けて、マイスリーを半錠飲みきちんと眠った。中途半端な眠りでは翌日の業務に響くのだ。その判断も正しくて夜中に起こされる事は無かった。

 外来はもちろん今日も混んだ。残った分娩に定石通り誘発と促進の指示を出す。外来の真っ最中に一つ分娩がぶつかってきたが、もちろん問題なくこなした。
 何とか秒単位外来を終え、一服ついてネットチェックしたら春に一緒にエベレストの登った謙ちゃん隊長の隊が、ちょうど8000m峰チューオユー頂上に向けて頂上アタックをかけている所だった。真夜中にアタックキャンプを出発して現在登高中らしい。
 リアルタイムで状況が分かるケンケンブログは中々に面白い。心が遠くチベットの空に飛んで行ったりする。

 しかし心飛べたのはホンの僅かな時間だけだった。すぐさま助産師さんから胎児心拍が下がるから大至急病室に来てという連絡が入る。それからは嵐の時間だった。すぐさま状況判断し緊急帝王切開を決断、手術室、小児科、外科、研修医の手も借りての超緊急手術となる。
 幸い寝不足手術でこそなかったが、とある理由で手術は簡単なものでなかった。
 しかしそれらの努力は残念ながら全て報われない結果になる。誰もが全力を尽くしても上手くいかない事はある。それが人間社会に最後に残された自然の営み、分娩と言うものなのだろう。

 様々な事に疲れ果てて、夜遅くに外来逃げ部屋に戻り再びネットチェックする。謙ちゃん隊長の隊は無事に登頂成功したらしい。
 8000mの上でも下でも冒険はあるしドラマもある。
 エベレストの頂上に向けて夜中にひたすら歩いていた僕も、緊急帝王切開で無念の思いをする僕も、それはそれで同じ僕のはずだ。とにかくあきらめたり挫けたりする事無く歩き続けるしか、僕にはもう選択肢無いのだろう。
2009年09月30日
同意文書の雨あられ
 火曜昼間の仕事こそしんどかったものの、経過中の方も偽陣痛だったらしく夜中に呼ばれる事は無かった。朝まできちんと眠れたから言う事は無い。今日は書類業務の水曜日。朝出勤したら何時にも増して分厚い書類の束が机の上においてある。
 考えてみたら先週水曜日は秋分の日で休みだった。というわけで今日は何時もの2倍の書類をこなさないといけない。
 ちと青ざめながらひたすら書類の山と格闘し続けた。何だか目や頭がボーっとしたりする。一段落着いたころには外はすっかり暗くなっていた。

 さて話は変わり、先日僕はアイチューンと言うipodnano用のソフトをPCにインスツールした。それからどういう訳か毎日の様にPCに音楽ソフトのアップデート通知が届く。ただでさえ何時の間にやら様々な意味不明ソフトのアップデートが光ファイバー通じてPCに入ってくるのだが、更にそれが増えた感じで薄気味悪いなあと思う。

 薄気味悪い上に更にイヤだなあと思うのが、それらソフトをアップデートしようとすると、幾つモノ同意文書の場面が次々と開いて現れてくる事だ。もちろんそんな同意文書読んでも内容も分からないし、読む暇なんか僕には無い。
 ただひたすらに右から左に同意したとしてクリックするだけだ。おそらく世の中大部分の人もそんなもので、次々と文書に同意していくのだろう。いちいち文書読んで理解してから同意クリックする暇人なんて世の中そんなにはいない。
 つまりこれらはほとんど強制の同意みたいなもので、なにかPCにあった場合の責任をメーカー側が回避しているのに他ならないと僕は思う。

 さてこういう同意文書の雨あられを見ながら、僕は今医療でも似たような状態になっているに違いないと思った。
 医療の現場で説明と同意が大事だと言われるようになって久しい。お陰さまで医療の現場は同意書の嵐だ。何するにしても説明が必要な時代なのだろう。

 しかし僕にはそんな医療行為の説明を詳しく行う時間なんて無い。そして殆どの患者さんもそれら説明を短時間で理解する能力も無い(素人なのだから当たり前です)。
 つまりこれら同意と説明は、PCにみならず医療でも、もともと形式的で形骸無実の行為なのだというのが、はっきり言って僕の結論だ(程度問題ですが)。

 さすがに開腹手術のときは通り一遍でも説明はするし、同意書も書く。
 しかしそれ以外の分娩時会陰切開や、ダグラス穿刺や、内膜ガン検診等諸々沢山では、その行為の意味やリスクを患者さんに説明した事は僕は一度も無い。そんな説明をしている位なら、もっと別の事に気を使って時間を使う。それが質量共により良い結果を産むからだ。

 世の中自己責任の時代だと言う。しかし意味の無い説明と同意が幾ら溢れても、それが自己責任だなんて僕は思わない。
 アマチュアの自己責任とは、すなわちプロフェッショナルの責任回避という事の裏返しとも言えるのだ。
2009年09月29日
身体は大事にしたいけれど
 昨夜も帰宅時に2件の分娩が残った。とある理由で要注意分娩もある。
 例によって子供の塾からのお迎えをしている最中に、要注意の方の分娩が重なってくる。どういう訳か工事で道路が渋滞していて車が先に進まない。やや焦ったが、ここは最善の判断で塾のお迎えも分娩も無事にクリアした。

 仕事の最中車の中で一人待たせておいた三男は、車内ランプの灯りで黙々と文句も言わず勉強していた。我が子ながら偉いと少し思う。2件目の分娩も深夜にはならず助かった。これで今日は寝不足無しで仕事が出来るとホッとする。

 さて今日は朝から一日中外来の日だ。今日はどういうわけか新規ガン患者さん、再発ガン患者さんらが大勢受診された。どうしてこういう事になるか悲しくなる。来年秋の開業に向かいできれば仕事の質量を変えたいと思っているのだが、そんな我侭は環境的にも人道的にも僕には許されないのだろう。

 診察患者さんの人数が50〜60人を越えたあたりから、不整脈の自覚症状が出てきた。こんな事では長生きできないなあと思う。ただ僕よりずっと悲しい運命の患者さんが多数みえると思うと、頑張るしかない。自分の身体のためにもあまり同苦しない様に心がけて、ひたすら暗くなるまで業務を続けた。

 僕の周りにはいろいろな事を言う人がいる。それぞれの立場が違うから言えるのだが、「もっと身体を大事にせよ」と言う人もいれば「もっと働け」と言う人もいる。しかし自分の身体や精神を一番知っているのは、きっと自分だ。
 もっとも能率よくもっとも沢山の仕事が出来るように、自分は自分と自分の環境をもっと律して生きようと思う。そのために周りから我侭とか冷たいとか思われても気にはしない。自分も自分の心臓もマイペースを守る事が、自分にも周りにも一番良い結果を生むに違いないのだ。

産科医の数も減ってるし、分娩取り扱い施設の減少は更に顕著だ。これから先行きどうなるんだろう。


先日のホルター心電図。心臓も我侭マイペースなようで・・・
2009年09月28日
3連休と言っても
 先週水曜夜から今日月曜の昼まで、有難い事に代務の先生が2人継続して来てくれた。
 もちろん代務先生が来てくれていているからと言って、僕が完全自由に行動できる訳ではない。何だかんだと残業?多いし、要注意の方がいれば、病院から遠く離れる訳には行かない。

 とはいえ表面上は金曜から日曜まで3連休だ。僕にとって貴重な秋の連休となる。少しの時間でも無駄にできない。運転免許更新、親孝行、登山、医師会の集まり、その他諸々各種雑用で連日忙しく動き回って過ごした。

 その間も病院では様々な事が起きていた。僕が休んでいた間に11件の分娩があったが、皆無事に済んでくれていてホッとする。代務の先生には感謝感謝である。きっと大変だったろう。その他に約1日半分の外来診察も代務先生にお願いしてしまった。
 
 また僕が白ハゲ稜線で岩稜通過のスリル?を味わっていた真っ最中にも、開業医先生からとある切迫した理由でのヘルプ要請電話が入った。携帯電話の向こう側から、結構辛そうな息遣いが感じられる。しかしまさか北方稜線の上から助けに行く訳にも行かない。申し訳ないけれど、ここは冷たくヘルプ要請を断った。

 さてそういう犠牲とリスクを払った上での3連休だったのだが、できれば避けたい集まりも無かった訳ではない。運転免許更新や医師会の集まりなんて、ちと微妙な感じだ。
 言いたくは無いけど、4年前の夏の北海道で僕はスピードオーバーのネズミ捕りに引っかかった。すっかり忘れていた出来事だが、このために今回免許の色が金から青に変わってしまい、一時間だけど更新講習時間が長かったりする。
 こんな事に愚痴を書くのは全くもって筋違いな訳だが、平日昼間なのでそのために多くの外来患者さんに影響を与えたのは確かだったりする。
 また昨日の県医師会の集まりは、下呂水明館で午後から4時間ぶっ続け会合だった。これも意義ある集まりだったと言う感じは残念ながらちとしない。もちろんその間にも、病院ではいろいろな出来事が進んでいた。

 さてさて昨日配布された医師会の資料によると、日本中で産婦人科医と分娩可能施設の減少が著しく進んでいる。確かにそれはそうだろうと思う。
 僕の周りもその通りだ。どんなに遠くに逃げても?常に色々なものを引きずって歩かないといけない。

 少しでも能率よく行動して、周囲に最大の成果を与えるため、僕は常に自分の行動を取捨選択しなければならない。そうしないとどんなトラブルが起こるか分からない。そんな事を改めて思い知った3日間の休みであった。 
2009年09月26日
遅れてきたシルバーウィークです
 水曜夜から優しい代務の先生が高山に来てくれている。水曜深夜の分娩も代務の先生に仕事していただいた。
 今週は2人の産婦人科医に連続して来ていただけた関係で、木曜から日曜にかけて連休が取れそうだ。
 手術の予定も今週末には組んでない。というわけで今週末は僕にとって数日遅れのシルバーウィークである。

 とはいえ病院5連休明けの平日から、まともに僕が休んでしまったら周りが困る。
 まず木曜日の内に回診、外来はできるだけこなしておく。更に代務の先生に外来をお願いしてできた時間に、速攻で運転免許更新も済ました。
 更に午後からは、茨城の実家より黒部立山アルペンルートに遊びに来た父母を、立山駅まで迎えに行く。
 帰りにYasuhiro先生一押しのとろ一に寄り、夕食は久しぶりに父母と親子水入らず?で食べた。

 翌日金曜日は車回収のため、父母を扇沢駅まで送る。帰りに松本で山道具チェックもできた。そして金曜夜は早く寝て、今日は早朝未明に山に向けて出動した。
 本当なら4連休なのだが、現実には今日土曜日だけが、僕がマルッと自由に出来る日である。

 まだ薄暗い内に馬場島から歩き出し、大窓経由で白ハゲ、赤ハゲ、赤谷山と縦走してきた。一日で沢登り、岩稜、藪漕ぎを楽しめる上級者向けコースだ。
 なかなか豪快な一日になったのだが、報告はまた後にしよう。

 そんなこんなで大急ぎで、この数日間の報告だけさせていただきました。

中仙人谷から大窓に上がった


豪快岩稜縦走
2009年09月23日
ナノでなにっ?とか
 昨日は分娩3件と急患が2件。バラバラに呼ばれていたので、落ち着かない国民の祝日となった。
 今日は今の所要注意の方含め経過中の方が3人みえる。その他に昨日今日であわせて20名近い入院患者さんを診察しているから、平日なのか休日なのか良く分からないシルバーウィークだ。

 夜中も何時呼び出されるか分からない。とはいえ深夜出動は要してないから寝不足までには至らないで済んでいる。今日も仕事の隙間を見つけては、少年サッカー飛騨地区順位決め観戦を楽しむ事が出来た。

 さてこの5連休、延々と続く分娩待ちの時間には、日記書いたり、読書したり、滅多にしか見ないDVD見たりして過ごしていた。
 その他に空いた時間で、僕の好奇心を満たしてくれたのは、第5世代という最新型アイポッドナノの設定であった。
 頂き物のアマゾン商品券で購入してみた最新式携帯音楽プレーヤーだ。機能豊富でデザインが綺麗、しかも小さいのに液晶画面の高性能が際立っている。値段もそれほど高いという印象は無い。

 しかしあまりに高性能すぎて、この手の携帯デジタルプレーヤーが始めての僕には難しい事がたくさんあった。何と言っても僕は、カセットテープウォークマン世代なのだ。

 まず高機能の割りに取り扱い説明書が殆ど無いのに驚く。
 子供によるとこの手のマシン?は常識働かせて直感的に操作するのが大事らしい。とはいえ僕にはこの手の超精密機械の世界の常識というのが無い。いじっている内にどんどん中味が変になっていく感じがしたりする。

 次いでPCにアイチューンというソフトをインターネット通じインスツールするのだが、それが怖い(飛騨弁です)。
 次々と現れる選択画面と同意文章に頭混乱する。要するに言葉の意味が分からないのだ。適当にクリックして行ったら何とかなったが。内心ひやひやだったりする。

 設定画面ではクレジットカード番号とかセキュリティコードを入力する場面もあった。
 こんな事を心配する方がナンセンスなのかもしれないが、こんなトップシークレット?を、世界中の人がアメリカアップル社に渡して良いのかなあ?なんて事も思ったりする。

 ネットで配信された音楽を購入する時にはやはり少し感動した。昔の音楽も含め、世界中の音楽とこれで繋がったのかと思うとそれは嬉しい。
 しかし肝心の音質は、カセットテープのウォークマンの方が随分と良い感じだ。
 
 しかし調べてみるとこれはイヤフォンや機械のエイジングという現象からくるものらしい。長いこと使っている内に徐々に音質が良くなってくると言う。こういう所が欧米製の機械らしいとも思う。
 そんなこんなでこの5連休の僕の最大の成果は、長男との大キレット縦走及びアイポッドナノになった様だ。

体格の違いを技術でカバーできれば良いのですが、そんなに甘くは無い


試合速報では、今の所1敗1分けと苦戦中
2009年09月22日
医療とヘリの縮小化
 昨日は朝一番の分娩と各種病棟業務を済ませた後、もろもろの家庭内仕事で一日を過ごした。こういう時にと貯めておいた掃除片付けがたくさんある。
 夕方からは長男三男とサッカーコソ練もできたし(次男はサッカー試合で遠征中)、何時も家にいないお父さんとしては、家族にのために良い休日になったと思う。夜もきちんと眠る事が出来た。

 とはいえ今日も朝の目覚まし時計は、分娩室からの電話であった。早朝一番の分娩業務から今日の一日が始まる。
 更にやや要注意の経過中の方が2名入院してきた。急患対応と20名を軽く超えた入院患者さんの回診もある。
 折角の国民の休日も、手術が無いだけで、僕には平日とあまり代わらない。

 なお先ほど救急受診された方は、とある理由で都市部病院への母体搬送を検討しなければならない症例であった。状況によっては救急車もしくはヘリコプターの要請をしなければならない。
 しかしご存知の通り、若鮎2はジャンダルムで墜落した。ニュースによると若鮎1は点検整備中らしい。と言う事は母体搬送に今回は県警ヘリが飛んでくるのだろうか?
 いずれにせよ今や県にとって唯一のヘリコプターだから、母体搬送には当然救急車をお願いした方が良いだろう。
 
 さて今回のヘリ事故では、遭難(死亡?)者救助のために飛んできたヘリ墜落で3人の方が亡くなられた。多額の税金を使ったヘリが壊れたのは残念だが、立派な殉職で、僕には美談にすら見える。
 とはいえニュースによると今回の事故を受け、県の防災センターは警察立ち入り捜査を受けたらしい。これは事故が業務上過失致死で送検される可能性もあると言う事だろう。
 なおヘリコプターには高山警察所職員も同乗していた(未確認ですが病院勤務医師も乗っていた??)。言い方は悪いが、警察は身内に甘いという。今回は何だか随分と厳しい経過の印象を受ける。

 僕は今まで県の防災ヘリも警察ヘリもほとんど同じものだと考えていた。ところが一連のニュースによるとどうもそうでないらしい。警察ヘリのベテランパイロットが出張中だったという内部?事情も垣間見える。

 さてさてこの話を聞いて、数年前の福島母体死亡で産婦人科医が送検された際の一連の騒動を思い出した。
 この騒動により産婦人科医療は縮小化し、全国で数多くの分娩難民が生まれた。同じ立場で仕事していた僕も、これから先どうするか随分考えたものだ。

 いずれにせよヘリコプターもパイロットも貴重な存在だ。あの時に医療が縮小化した構図で、今回のヘリ事故からヘリコプター界も縮小する可能性がある。ドクターヘリもどうなることやらだ。
 いい加減長くなるのでここまでにしておくが、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩の中に、「南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい、北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」と言う一説がある。
 喧嘩訴訟に巻き込まれやすい仕事の僕が、これを書くといやらしい気もするが、それでもこの詩の一説を最後に書いておこうと思ったりする。

これは去年の冬に母体搬送で高山に飛んできた若鮎1。この時も同乗してと言われたなあと思い出します。
2009年09月21日
やっぱり熊は射殺ですか
 昨日の大キレット日帰りは、好天に恵まれたお陰でとても良い野外活動?になった。シルバーウィーク5連休分の運動もできて、宴会でたるんだ身体も少し絞れてくれれば良いと期待する。
 しかし普段からの不摂生を考えると、一日せっせと動いただけではとてもリバウンド予防に足りないだろう。登山後のビールがぶ飲み?も当然止める事は出来ない。

 昨夜は心地よい疲れで早めに眠る事が出来た。とはいえ例によって今朝も、未明の時刻の分娩で心地よい眠りから起こされる。山と仕事で寝不足の日々というのは、僕にとってもう宿命的なものだ。
 そそくさと未明出勤で対応し、早朝業務を各種済ませてから、この寝不足日記を書いていたりする。

 さて朝イチの助産師さんから「山では熊に遭わなかったの」と何回も質問された。これはもちろん土曜日の畳平で熊が9人を襲った事件を受けての事だろう。
 襲われた方々には不幸な事だが、それにしても悪気無く生きるために土産物屋に入って射殺された熊は、全くもって気の毒だと思う。
 なお北米の野生熊は保護されているため、正当防衛意外で射殺される事はない。僕は熊の事件を聞くたびに、彼我の意識の違いに愕然とした思いを感じる。

 さてさて昨日の山行で僕は、熊のくの字とも遭わなかったが、代わりにとても多くの中高年、青年、若年登山者とすれ違った。昨日の大キレットは一年でもっとも賑やかな日だったかもしれない。
 難所では多少の順番待ちもあったりして、思わず春のヒラリーステップの順番待ちを思い出したりする(全然その切迫感は違いますけどね)。

 熊が土産物屋さんに入っていったのも、人間が野生動物のテリトリーに入りこんできた結果であるのは間違いない。
 日本人は昔から山で自然と溶け合う事を目指し、欧米人は山を征服してコントロールする事を目指す傾向があると言われている。しかしこと熊の話で言えばその傾向は全く逆であるとしか僕には思えない。

昨日の大キレット長谷川ピーク


春のエベレスト、ヒラリーステップの順番待ち。何となく似てますか
2009年09月20日
寝不足日帰り大キレットでした
 秋晴れのマークがずらりと並んだ5連休。こんな秋山日和にどこにも行けなかったら欲求不満になってしまう。代務の先生はみえないが、やはり僕も何処かには出動したい。
 幸い日曜日には病棟業務に多少の空きができそうだ。長男も試験前だが日曜日なら出動してできると言う。というわけで必殺開業医先生にまたお留守番をお願いしてしまった。

 5連休のうちで唯一出動できるチャンスだ。どうせならしっかりワークアウトしよう。午前1時半起床で自宅発、槍穂の大キレット日帰り登山に挑戦してみる事にする。
 午前3時過ぎに新穂高温泉をスタート、素晴らしい好天に恵まれた岩稜をせっせと歩き続け、午後4時半に駐車場まで戻った。13時間半に亘る長時間行動だった。お陰でしっかりワークアウトでき、筋肉痛も心地よい感じだ。

 とはいえやはり午前1時半起床というのは、普段から勉強か何かで(詳細は不明)、夜更かしばかりしている長男にとって「ちと無いだろう」の早起きだった感じだ。
 長男はほとんど半徹夜だったらしく「眠くてブラックアウトしそうだ」と訴えている。僕は時々「寝て転げおちたら永遠の眠りに落ちるぞ」と脅しをかけたりする。

 寝不足仕事、寝不足登山が習慣化?している僕であるが、昨日はその習慣を高校生の長男にも押し付けてしまった様だ。長男は十分すぎるほど若いからそれでも平気で歩くのだが、高校生と考えると半徹屋登山はちと健康に良くなかったかもしれない。

眠気との戦いだったみたい


眠って転げ落ちるなよ
2009年09月19日
911とか919とか
 連休前の段取り仕事で、昨夜は帰宅もどうしても遅くなった。20人ほどに増えた産婦人科入院患者さんも、連休中はほったらかしにじゃないかなんて思っていたりする。幾らなんでもそんな事はありません。僕はこの連休中も毎日病院に来て仕事はします。
 さて夜中には出動無く平和な5連休の始まりだった。病院医師の結婚式もありお呼ばれして祝福させていただく。

 結婚式場から病院に帰ると、乗鞍畳平で熊に襲われた何人もの人が救急車で搬送されてきた所だった。救急室は大忙しだ。シルバーウィークの始まりで産婦人科は平和だけれど、世間は例によって平和ではなさそうだ。

 さてさてヘリコプターがジャンダルムに衝突して以来、周りに突発的な事故が頻発して起きている気がする。
 ヘリコプターがジャンに衝突して、僕が連続手術に汗かいていた最中も、病院救急では緊急の重症者搬送(循環器ですが)が必要な方が出て大変だったらしい。

 また近くの病院では産科関係の事故(事件ではありませんから念のため)もあった。そして今日は熊が次々と人を襲ったとなる。世の中なにか物騒な流れが起きている気はする。

 世間には事故が多発する特異日というのがあると言われている。9月11日といえば911の同時多発テロが起きた日だが、これから飛騨地方ではヘリコプターがジャンダルムに落ちた日とも記憶されるかもしれない。

 僕の身の回りは仕事でも山でも、何時何か特別な事が起きるかもしれない事が山積みの世界だ。
 世間はいろいろ物騒な訳だが、どうか僕の身の回りでは結婚式の様な平和な事ばかりで、直接関係する事故は起きないよう願っていたりする。 

月並みですが、おめでとうございました
2009年09月18日
108日と108日
 昨夜は仕事が終わってから、お世話になった外科先生の送別会があり、お陰さまで美味しい魚介類を堪能して過ごした。
 高山は古くから、山は飛騨山脈、海は富山湾から美味しい食材が集まる町だ。名古屋や東京より遥かに身近に美味しいものが溢れていると思う。

 幸運な事に分娩になりそうな方もいない。というわけでまたまた後先を考えず、飲み過ぎ食べ過ぎで過ごしてしまった。家に帰って寝る前に体重計に乗ったら、エベレスト後59kgまで落ちた体重が64kgまで逆戻りしていた。
 今年の山スキーシーズンは身軽な身体で楽しみたいと思っていたが、それは夢に終わりそうだ。なんだか悲しい気持ちになる。

 さて夜中には呼ばれる事も無く、しっかり眠れた。これは今日の業務を切り抜けるためにとっても幸運な事だ。
 今日は朝から勝負誘発が2件、午後には手術がある。5連休前という事で外来もしっかり混む。休診5連休をいかに上手く切り抜けるか、あの手この手で段取りしつつ、ただひたすらに仕事をこなした。

 例によって手術と分娩がぶつかってきたり、胎児心拍が落ちて緊急手術を考慮したり、色々な事があったが何とか夜遅くにはやっとそれらも一段落つきそうだ。
 これで明日から世間一般の様に5連休となれば僕も幸せなのだが、そんな甘い考えは僕には許されない。
 代務の先生がいない以上この連休中も遊びには行けず(多分)、様々な綱渡り?業務に明日からも追われそうだ。

 さてこの春のエベレストを頂点にしたセブンサミットの旅は、2月14日から6月2日の108日間かけた旅だった。
 これを長いと考えるか短いと考えるかは、人それぞれな訳だが、一般サラリーマンにはとても想像できない長期休暇である事は間違いないだろう。
 そして数えてみたら、今日でやはり帰国してからちょうど108日間が経っていた。

 あの旅の日数と、帰国後の日数が同じになったというのは、何だか不思議な感じがする。
 もうアフターエベレストのリハビリ期間は完全に終了したという事だろう。そして何もかも元に戻ったのかもしれない。ちょうどエベレスト前の体重に自分が戻っていたという厳しい現実が、その事を最も如実に表している気がしたりもする。
2009年09月17日
カミングアウトのお知らせでした
 昨日の仕事はサクサク進み、珍しく定時に帰宅できる。その後の病院フットサル練習にも問題無く参加できた。
 寝不足や過労無しでサッカーできるとやはり調子は良い。足が動く前半の内に何点か得点決めて機嫌良くする。その後のビールの味も何時もより美味しく感じたりする。

 しかしこういう良い時間は長く続かない。寝る前に病棟に電話を入れるとやはり要注意の陣発入院が入っていた。夜中に起こされない事を願って眠りにつく。
 ところが残念ながら願いは天に届かない。夜中2時前から胎児心拍が下がるという電話連絡が頻回に入るようになってきた。緊急手術を視野に入れておく必要がある。

 その後30分ごとに分娩室から心配そうな電話が入り、もちろん僕はまともに眠れない。
 4時前にどうしても出動してきて欲しいという連絡が助産師さんより入った。まだ吸引装置をかけれる状態ではないのだが、それでも医師に近くにいて欲しいらしい。という事で深夜出動する。
 実際に診察して、最善の促進指示を出した上で、分娩室横の副当直室で仮眠とした。

 ところがそこにまた別のやや急遂系分娩が入ってきた。これまた胎児心拍が落ちると言う。こちらはすぐさまLDR室に向かいクリステレルで対応する(専門用語の説明はこの際省略)。

 そしてもう一人の残った方も何とか午前7時過ぎに、多くの早出看護師さんが出勤してきてから、やっと分娩となった。母児共に全く無事で何よりだったが、僕は細切れ仮眠のみ半徹夜の夜となる。

 という事で今日は寝ぼけ眼の寝不足外来だ。勝負誘発の方も現在進行形である。午後に手術が無かったのがせめてもの救いであったが、今でもこの日記書きながら眠たかったりする。

 さて話は変わり、月一度の院内会報で、一年後の僕の開業ニュースが昨日職員中に流れた。職員全員が目を通す様にと指示出ている会報に載るのだから、派手なカミングアウトだと思う。
 お陰で昨夜から、サッカー仲間、同僚医師、事務さん、MRさんなど多くの方々から、開業について質問され続けている。「高山市内で開業する予定ですから、その点は心配しないで」とここに書いておこう。

 過去にも多くの先輩医師の方々が開業され、病院から独立していったが、一年前からこういう形で派手に宣伝?開示される例は聞いた事も見た事もない。つまり僕の開業は、それだけ周囲に影響力があるという事なのだろう。
 まだ病院を離れるのは一年も先の事なのでいろいろ複雑な気持ちはあるが、気にかけていただく事は全く有難くて、光栄な事だと思う。
2009年09月16日
今そこにある危機とは
 昨日は一日中の外来で多少のイライラ感は残り、帰宅もやや遅くなった。とはいえ深夜に起こされる事も無くきちんと朝まで寝れたからOKだ。今日は比較的業務を楽に設定している水曜日で、ちょうどドック検診の最中に分娩がぶつかったが、それ以外特別な事も無く、今の所スムーズに仕事は進んでいる。今日は昨日と打って変わって幸せな一日になりそうだ。

 さてここの所外来で、妊婦さんからインフルエンザについて質問される事が多い。中には妊婦さんは重症化する事が多いという事を知り、心配で受診されている方もいるようだ。
 とはいえ気候良いせいか運が良いせいか、今の所僕の外来には新型インフルエンザに罹った妊婦さんは一名も受診されて無い。たまにインフルエンザ抗原を調べても、幸い皆陰性の方ばかりだ。

 中にはワクチンを一刻でも早く打って欲しいと訴えられる妊婦さんもみえたが、まだワクチンが世間に出てきてない以上どうにもならない。心配そうな妊婦さんには、手洗いやうがい励行を勧めるぐらいしか、今の僕に出来る事は無い。

 さて妊婦さんは今の所ともかくとして、巷では実際にかなりの患者さんが出ている様だ。
 高山の医療機関内でも感染例が報告されているし、長男の通う高校は今週学年閉鎖となった。
 というわけで長男は元気一杯にもかかわらず、今は一日中家で暇そうにゴロゴロしている。力有り余る高校生にとって、勿体無いことだ。
 
 長男はこの1週間は学年閉鎖で休み、来週はいわゆるシルバーウィークでまた学校休みとなる。これじゃあ長男には夏休みの後にもう一つサービス休みがついてきた様なものだ。
 高校一年の夏といえば人生でもかなり大事な時期だと思うが、どうも傍目から見れば、携帯電話?やテレビゲームにはまっている様にしかみえない。こんな事では学力にも多少の影響はあるのではないかと思ったりする。

 そう言えば長男の世代は、思いっきりゆとり教育の影響を受けている。ゆとり教育で学力低下し、インフルエンザ禍で更に学力落ちたりしたら、将来碌な事にならんじゃないかと心配したりする。

 今の新型インフルエンザがどれだけ脅威なのか、僕にははっきりした事は言えない。
 もしかしたらそれはとても危険なものなのかもしれない。しかし多分あまり過剰に反応するのも、かえって自分達にマイナスに働くんじゃないかと、そんな感じもしないではない。 
2009年09月15日
ピルの話でも
 深夜に起こされる事こそ無かったものの、早朝問い合わせ電話と早朝分娩が各一件づつあった。全館当直の医師や助産師さんのお陰で、僕の出動拘束時間はできるだけ少なく配慮していただいているのだが、まあ嬉しい朝の始まり方とは言えないだろう。
 続いて朝からひたすらの一日外来が続く、一時的に減っていた入院患者さんの人数もすぐに元に戻った。ノンアルコールビールで柿の種をかじりながら、今日も遅くまで仕事となりそうだ。

 さてさて一年くらい前から経口避妊薬の低用量ピルに内膜症の保険適応が通る様になった。そのため以前より月経困難症に対してピルが処方しやすくなっている。
 僕は以前から避妊目的よりもずっと多く、月経困難の方でピルを処方していた。だから保険適応が通る様になったのは一応グットニュースだ。

 というわけで保険の通らないピルから、保険の通るピルに徐々に現在薬を入れ替えている状況である。産婦人科は治外法権ぽい?ところが昔からあるのだが、一応日本では法律上は自費と保険の混合診療は禁止されている(今はですが)。保険の通る安いピルで統一した方が、きっと患者さんに良いだろう。

 しかし保険の通るピルには、僕の気づかない弱点?があった。それは一回の処方が一月分までという事だ。ピルは特別な場合を除き、かなり安全な薬である(いつもマスコミは副作用を喧伝しますが)。だからそれまで僕はいつも数か月分まとめて自費ピルを月経困難に対して処方していた。

 ところが保険通るようになると、毎月患者さんに病院まで処方箋取りに来てもらわなければならなくなった。これが医師にも患者にも評判良くない。
 今日も何人もピルだけの患者さんが受診された。こういう方の診察は30秒以下で終わるが、それだけのために毎月遠くからやってくる患者さんに申し訳なく思う。

 考えてみたら、多くの患者さんにとって、時間に都合つけ、病院に来て、待ち時間を待つコストの方が、保険で薬が何割か安くなる分より高くつくに違いない。もちろんそれに伴い医師の手間も増える。
 ピルの保険収載は有難いと思ったが、これでは案外痛し痒しだなあと、今は思っている。
2009年09月14日
サービスの質と量
 気候快適で薄ら涼しい夜だった。乗鞍岳では初氷も記録されたと言う。僕は涼しいから寒いくらいの気温が好きな人間で、夜もぐっすり眠れる。代務の先生のお陰で深夜に呼ばれる事もまず無い。
 というわけで昨夜は眠剤も無しで、気持ちよくぐっすりと眠れた。何だかとても嬉しい。

 とはいえ今日の仕事もハードだった。午前中は急患さん多数含むの予約診察、続いてタイムリミットありの手術が2件、更にその後に会議、分娩、回診と続く。
 分娩はこれまたやや難産となり、縫合は特別注意を要するモノとなった。空いた時間に各種お菓子を食べ、血糖値維持しながら夜遅くまでの業務を続ける。

 さてさて医療はサービス業と言われている。とはいえ僕は基本的に、医療は命救う仕事だと考えているから、サービス業という言葉には何処か違和感を感じている。
 しかしどんな仕事にも多かれ少なかれサービス精神は必要で、医療でも様々な局面で各種サービス心が働くのは当然だろう。

 産婦人科の場合、手術の傷を小さくするため腹腔鏡手術を行ったり、帝王切開傷を下着に隠れる様、横切開にしたりとか、この辺が典型的なサービス心から来るものだと思う。
 というわけで体力、意欲に余裕があった頃は、僕も腹腔鏡手術にそれなりに精進したし、帝王切開は横切りにしていた時もあった。

 しかしその後慢性寝不足状態があまりに酷くなり、年一度だか分娩数を制限するに至った頃から、これはそれどころでは無いと考え直した。腹腔鏡手術も実質辞めたし、帝王切開も全て通常の縦切開にした。
 分娩数を制限していて、その一方で腹腔鏡手術に手間暇かけるのも無いだろうという感じだ。

 どういう事をサービスと考え、どういう事を仕事と考えるかは人それぞれだ。命を救う事だってサービスの一つだという考えも成り立つだろう。これらはあくまで言葉の意味だけの問題かもしれない。

 まあいづれにせよ、今の僕には、余分な事でストレスや手間暇を抱え込むより、一つでも多くの分娩(及びガン治療)をきちんとこなす事が、世間から求められている第一の事なのだろうと思う。
 手術室の手術に時間をかけている間に、分娩室の分娩が困った事になることだって、いくらでもありえる事なのだから。
2009年09月13日
スポーツと食欲の秋ですから
 運動会が順延となった土曜日は、空いた時間を利用し、昼に東山の天ぷら蒸篭、夜は寿楽久本店で豪華和食フルコースをいただいたりして過ごした。共に高山を代表する名店で、味盲悪食?の僕でも思わず舌包みを打ち食べ過ぎてしまう。
 カロリーオーバーが気にならない訳ではないが、食欲の秋という事でたまにはこういう贅沢美食も許されるだろう。夜は代務先生のお陰で、よほど呼び出される事は無い。心地よい酔いを感じながら気持ちよく熟睡できた。

 さて今日日曜日には、まず午前中に次男のいる東山中学サッカー部親さん当番で、練習のお付き合いさせていただく。続いて午後からは三男のいる高山東小学校の運動会観戦とした。
 東小学校の運動会観戦も、長男の時から数えるとこれで連続10年目だ。10年間皆勤で運動会を見に行った親さんも珍しいと思う。とにかくは今年で子供も皆卒業だ。運動会観戦もこれで最後になるだろう。

 折角の代務先生のいる日曜日に、何処にも出かけれないのは残念だが、まあこの手の子供のお付き合いもそれなりに楽しい。それにどちらにしろ高校生の長男は、今新型インフルエンザ発生による学級閉鎖中だ。長男との山登りはインフルエンザ禍で禁止?状態でもある。
 
 さてさて子供達が一生懸命走り回るのを見てるだけでは、僕が運動不足になってしまう。そこで運動会終わって一息ついている三男を無理やり?誘い、夕暮れ時は丹生川エアパークグラウンドでサッカーコソ練に励んだ。
 それなりに汗をかいたが、その後はアイス食べてビールを飲むから、カロリーオーバーには変わらない。

 そんなこんなで、代務の先生がいてくださっても、今週は山でワークアウト出来ない週末となった。しかしそれはそれで、それなりのスポーツと食欲の秋という事になり、良しとはしよう。

集登、学年別リレーのアンカーであったが、一人旅状態で見せ場は無し
2009年09月12日
危険な仕事です
 昨日は代務の先生が来てくれている有難い週末だ。土曜夜には開業医先生の所のお留守番も頼まれていたのだが、そちらも何事も無く経過してくれる。夜にしっかり眠れたお陰で昨日午後からの不整脈もなくなってくれたようだ。
 今日は三男のいる小学校で運動会がある予定だった。とは言うものの生憎の雨で順延となる。ぽっかり空いた時間に山岳偵察?や雑用で過ごす。

 さて昨日僕が3件の帝王切開手術にせっせと精を出していた真っ最中に、北アルプス穂高の稜線では大事故が起きていた。岐阜県警の誇る大型ヘリ若鮎2号が穂高の稜線で墜落していたのだ。テレビニュースに映し出された映像を見ると、まさしくジャンダルム飛騨尾根のトサカ尾根にそのテールローターが引っかかって墜落したのが分かる。
 乗務員3人は亡くなられたとの事で気の毒でならない。登山者救助の為に命を落としたわけで、これは立派な殉職だ。ご冥福をお祈りします。

 それにしてもヘリコプターというのは危険な乗り物だと言う事が改めて実感させられる。北アルプスだけでもこの数年間で既に何件もヘリコプターの死亡事故は起きている。
 登山者と言うのは、イザと言う時にヘリコプターを要請する事により命助かる事が多い。しかしヘリコプター救助というのはそれだけで危険なものであるという事を肝に銘じておく必要があるだろう。
 またヘリコプターを要請すると、遭難救助に来てくれる警察や救助隊の方々にも命の危険を負わせるのだと言う認識も、持っておかないといけないと思う。

 さて妊婦の母体搬送の時はどちらかと言うとやや小さめの若鮎1号が病院脇ヘリポートまで飛んでくる事が多い。
 そして僕も何回と無くヘリへの同乗要請を受けたものだ。とはいえその度に高山で他の仕事や分娩がある事を理由に同乗を断ってきた(別にヘリコプターが怖いからという分けではありません)。
 代わりに研修医先生や助産師さんに乗ってもらった事が何回かある。
 岐阜県に2台ある防災ヘリのうち1台が大破したとなると、高山での重傷者緊急搬送にも影響はあるだろう。ヘリコプターは危険な乗り物だろうが、すごく有用な乗り物でもある事も確かなのだ。

 僕は自分の仕事が多くの小さい命を左右する事を良く知っている。その責任感は堪らないと日記に愚痴を書く事も多い。しかしどんなトラブル?があろうとも自分の命が取られる事までは無い。最悪でも刑事告訴?までだ(それでも十分堪りませんが)。一方遭難救助の方は最悪自分の命が取られる事がある。

 産婦人科の仕事も、遭難救助の仕事も命懸かった仕事だ。産婦人科業務は数が多く楽で無いが、自分の命は大丈夫な分、まだ随分とマシなのだと思おう。
2009年09月11日
帝王切開の適応は
 どういう訳かここのところ業務は落ち着いていて、昨夜も夜に呼ばれる事無くしっかりと眠れた。
 今日は午後に3件の手術が組まれている。僕に寝不足が無いという事は、僕のみならず手術を受ける患者さんにとってこそ大事であり、また幸運な事だ。

 と言う訳で、今日の外来は混んだし、午後から連続3件の麻酔と手術が続いたが、寝不足感は無いから難渋する事は無くスムーズに仕事は進んでくれている。と言うものの全くスムーズという訳でもない。
 外来の終盤辺りから、意識下のプレッシャーからだろうか不整脈が出たした。
 どうやら心房のどこかで不整脈スイッチが入ってしまった感じだ(この辺は懲りない先生が専門だから、どうすれば不整脈を止めれるか、何時かその極意を教えてもらおう)。

 手術1件目、2件目、3件目と徐々に不整脈の自覚が強くなってくる。だからと言ってもちろん手術を途中で止めるなんて事は出来無い。致命的な不整脈でないと信じて、ただひたすらに根性で仕事を続けた。
 まあ今週末は名古屋から代務の先生が来てくれている。仕事を忘れて週末を過ごせば、きっとこんな不整脈はじきに消えて無くなるだろう。

 話は変わり、今週末及び週明けに僕は、あわせて5件の帝王切開手術を組んだ。更にもう状況により一件増えるかもしれない。それら手術分娩の適応は、全て逆子もしくは既往帝切である。
 僕の施設での帝王切開率は約2割で、今や選択的帝王切開(緊急でないという事)の適応のほぼ全てで、逆子か既往帝切が占めている。

 初帝切の適応は逆子である場合が多いから、20〜30年ほど前の産科の様に、ほとんどの逆子を経膣で産ませる様にしたら、帝王切開率は半分以下になるはずだ。
 そんなこんなで僕は逆子だからと言って、手術分娩を一方的に勧めるという事はできるだけ避けている。短い外来の時間でも、できるだけリスクを説明して、手術にするか否かは妊婦さんの選択に任せる。

 しかし今やほとんどの妊婦さんは、逆子の場合、手術分娩を希望する時代になった。これは少子化、分娩年齢高齢化により一つ一つの分娩の価値が昔より格段に上がったからだと思う。
 多産多死の時代なら逆子でも何でも人は経膣で産んでた訳だが、今やそういう時代ではないのだ。もちろん麻酔や手術の安全度が昔より格段に高くなったという事もこれには関係している。

 さてさて逆子分娩は全分娩の5%弱で自然に必ず生じてくる。逆子さんを経膣で産む事は昔なら普通(に近い)行為だ。一方手術分娩や体外受精妊娠は、昔ならありえない。
 ところが今や全分娩の2割は手術分娩だし、全妊娠の2%は体外受精妊娠の時代になった。現役産科医である以上、そういうリプロダクションの方法が悪いとか良いとか言うつもりは今は無い。

 帝王切開による分娩を経膣分娩に失敗したと捉える方もいるようだが、そうでもないと思う。
 客観的に考えて、あと2〜3世代くらい時代が経過したら、普通に妊娠し経膣で産むという事自体が、野蛮な行為になっている可能性が高いのだ。
2009年09月10日
産婦人科のイロハ
 昨夜は誘発の始まりが遅かった関係で、帰宅後も促進中の分娩が残った。
 とはいえ仕事自体は早く終わったから、急いで帰ると夕暮れ時刻に三男、次男を連れてサッカーコソ練?に励んだりする。その後は分娩の進行具合を睨みながらビールを加減して飲んで、サッカーガーナ戦をテレビで楽しむ事も出来た。

 諸々の事は予定通りに進み、サッカーが終わりビールの酔いもすっかり醒めた所で分娩呼び出しとなった。こんなにタイミング良く進むのは珍しいと思いながら、寝る前の一仕事に励む。その後深夜呼び出しで起こされる事は無かったから、寝不足感は全く無く今日の業務もスムーズだ。

 さて産婦人科にはわざわざ説明しなくても、そのキャリア職種の方は分かってなければならないという常識がたくさんある。
 満期妊婦に破水、陣発、おしるしがあれば、無条件に入院とするとか、子宮ガン検診後の方が出血してきたらまず様子見る事を指導するとか、破水入院後は翌朝早くから誘発を始めるとかだ。
 全く例外ない訳ではないが、これらの事は日本中どこの産婦人科病院でも、ルチーン業務として似たような態勢をとっているものだろう。一般人には分からなくても業界人には分かるイロハなのだ。

 さてさて今テレビでは民主党の閣僚決めがトップニュースで流れている。
 それによると、誰がどこの大臣になるかという事を、政争の具として決めているというのが良く分かる。
 僕の常識から言えば、外務大臣は英語ペラペラでないといけないし、財務大臣は経済通、厚生労働大臣には多少の医療や労働の知識があって欲しいと思う。ところがどうもそんな事は全く無さそうだ。

 日本の官僚テクノクラートというのは、長いこと専門的な事をプロとして学んでおきながら、いきなりその上に見ず知らずの素人大臣が、とっかえひっかえ現れるとなる。
 民主党は官僚主導から政治家主導にすると訴えているが、そのくせに肝心の大臣はどうも全くその道の素人が決まっていきそうだ。

 もし僕の上司にいきなり産婦人科素人が現れて、それが業務を引っかき回す事態となったら、僕にはとっても耐えられないだろう。プロの仕事はプロに任せろとプッツン切れるかもしれない。
 それが民主主義の原則だと言われればそうかもしれないが、政治の世界は民間の世界と全く異なる常識で出来ているのだろうというは確かだと思う。
2009年09月09日
なんでエベレストまで行けたのか
 昨日は仕事のペースが上がらず、帰宅こそ比較的遅くなったが、夜中に分娩は無く楽な方の一日だった。深夜に破水入院はあったが夜中には産まれないと思う。
 今朝早くからの誘発の指示を出し、一昨日の寝不足を取り戻すためのデパスを飲んでから早めに眠る。お陰で今日は寝不足感無く、さくさくペーパーワークを進める事が出来ている。

 急いで書類を済ませて作り出した午後の時間を利用し、依頼されていたエベレスト原稿も一つ仕上げた。同僚産婦人科医向けの文章であり、登山の内容よりも、仕事と登山の関係について考えながら文章を作る。
 文章を書きながら、今更にして自分のエベレスト登頂は奇跡的な幸運と決断により出来た事なのだと思った。

 エベレストベースキャンプまで入ってしまえば、そこそこの体力と運さえあればエベレスト登頂できる可能性はかなり高い。実際に世界各地からの公募登山でエベレストベースまで来られた方々の登頂成功率は、今年のネパール側の場合5割を軽く越えていただろう。

 しかし問題なのは自宅を発つまでの過程だ。
 エベレストに登りたいと考えている山好きの方は、世の中にごまんといる。しかしその中で実際にエベレストに向かい日本を立てる方はごくごく一握りの方に過ぎない。大変なのは日本を発つまでの過程なのだ。

 どうすればエベレストに登りに行けるのか。それは人それぞれの運や努力や思いが絡んでいる事であり、一概に言える事ではないだろう。言うまでも無くお金と時間は重要だし、運と体力、技術はその次?といった所だろうか。

 しかし僕は今日文章を書きながら思った。
 僕がエベレストに行けた最大の理由は信用だったのじゃなかろうか?12年間の間飛騨地域の産婦人科医療をそれなりに支えてきた信用と信頼が今回のエベレスト登山に繋がった。僕にはそうとしか思えない。

 僕はこれからもやりたい事がある。しかしそれらを成すのに重要なのは、多分これからもまず信用だろう。逆に考えれば、信用と元気さえあれば何でもできると言えるのかもしれない。

 数週間前に見たテレビでロックカリスマ矢沢永吉の音楽ドキュメンタリーがあった。
 矢沢は今年60歳だと言うが驚くほどカッコよい。その矢沢が「なぜこんなに長くトップで活躍できるのか」という若者の質問に対して「それは自分が真面目だからです」と答えていた。不良のイメージのロック歌手の答えとしてはとても意外だ。

 しかし僕はそれは真実だと思う。何をやるにも真面目で信用を裏切らない事が、きっと人の道の基本というものなのだろう。
2009年09月08日
リズム悪いか、モチベーション低いか
 入院患者さんの人数も少なく、昨日は早めに帰宅できた。夕食前の時刻に、各種スーパーを回って、お茶、菓子、ビール、ゼリー、子供のコンタクトレンズ等など要するに日用品を多数買いだめに回る。のんびりとした平和な夜の時間だ。

 とはいえ油断していると碌な事は無い。こういう時の定番として丑三つ時に分娩が入り、深夜の突然出動を要した。
 長年の修行で培ったノウハウを駆使し、眠気を維持しつつの定番分娩業務に励む。とはいえやや予想外の事もあり、何時もよりは眠気の維持に失敗した。アドレナリンが多少出てしまったためか、午前4時からの2度目寝に入るのにはやや失敗する。

 そういう事で今日は久しぶりの薄ら眠たい寝不足外来となった。ちょっと生体リズムが狂ってしまい、今日の一日外来では何時もより頭の回転が鈍い。しかし何時もほどは外来混まず、緊急手術や分娩も無いから今の所問題は無いだろう。

 さて確かに若い頃と比べ、今は深夜業務の心身に対するインパクトが大きくなった。
 若い頃は深夜に数回分娩で呼び出されても翌日平気で仕事できた。今では深夜に一回出動すると翌日は一日辛い。
 外来患者さんもあまり頭が回らない寝ぼけ医師に受診するのは嫌だろう。とはいえ産婦人科医の人数は少ないから患者さん側の選択肢は殆ど無い。医師も患者も不幸な事だと思う。

 さてさてと言いながらも、僕はこの土曜日には午前2時に起床し、長男と一日山で遊び、温泉入って帰宅したのは夕暮れ時刻だった。
 当然山でも寝不足のはずだが、山では眠くならないし、頭の回転が鈍いという感じにはならない。同じ寝不足でも仕事と山でこうも違うのは全く不思議だ。

 登山の場合前日からそのつもりで早めに寝る。そして決めておいた時刻に目覚まし時計で起きる。
 仕事の場合は突然の呼び出し電話て起きる。時刻は予想できない。だから同じ寝不足でも仕事の方が心身にインパクトは大きいのだと思う。
 それとやはりモチベーションの違いはあるだろう。仕事に向かうより、山に向かう方が元気が出る。これは誰もがそんなものだと思う。

 深夜の分娩業務に向かった時も、登山で早起きした時も、同じように元気一杯で行動できれば言う事は無い。しかしそこまで人間できるのには、まだまだ僕は修行足りなさ過ぎる様だ。
 そういえば数ヶ月前のネパール行き飛行機で、年を積むごとにどんどん若くなるというブラッドピット主演の映画を観た。僕も経験を積むごとに若くなれば嬉しい。簡単に仙人や超人にでもなれる技でもあるのなら、誰か教えて欲しいと思う。

槍ヶ岳頂上へのハシゴ。槍穂先に鎖をかけた播隆上人は、現代なら超人アルピニストだろう
2009年09月07日
始めての異常事態ですか
 代務の先生は日曜午後に帰ってしまっていたが、その後も病院は落ち着いていて深夜の分娩呼び出しも無かった。驚いた事にこの土日にも分娩や急患入院が一件も無かったという。

 そういえば先週は分娩や手術少なく、どんどん退院ばっかり決めていた。
 先ほど回診しに行ったら、今日の入院患者さんは数名しか見えないという。こんな事は記憶に無い程の、少ない入院患者さんの人数だ。
 僕の病棟は混合病棟で内科入院の方がいるから、入院患者さんがいなくなるという事は無い。とはいえそれでも助産師さんらには「こんな事でいいの」と話しかけられたりする。

 病院が暇な事は、世間が健康という事だから悪い事ではない。
 しかしあまり暇で仕事が無いとなったら、巷の会社では倒産だ。外来はそこそこ混んでいるから、こんな事は一時的だろうが、それでも「これはもっと普段から仕事せにゃいかんなあ」と何時もとは逆?の事を思ったりする。

 さて話はころっと変わり、一昨日土曜日に僕は長男と槍ヶ岳縦走登山に出かけた。下部の林道アプローチには自転車を利用する。とはいえ僕の愛車イプサムは使い勝手良いのだが、2台の自転車と長男を載せるには狭い。そこでうち1台の自転車には、今流行?の折りたたみMTBを準備した。

 しかしただの小型折りたたみMTBでは林道の激坂?を登るのにはちと辛い。そこで軟弱な気もしたが、電動アシスト付き折りたたみMTBというのをネットで見つけて2週間前ほどに購入しておいた。
 というわけでこの土曜日に、長男には電動アシストMTBで夜の林道を登らせる。ところが穂高小屋を越えた辺りで、長男のMTBがばたっと止まった。理由はバッテリー切れだ。意外に早くバッテリーが切れるのにがっかりする。
 その後、長男は重たい電動自転車を泣いて?押し上げる事になった。こんな事なら「電動アシストではなくて電動足ストップ自転車だ」とぶー垂れている。

 そんなこんなで、軟弱で楽な事を考えず、普段から真面目に動く事が大事なのだなあと、改めて思いなおして反省していたりする。

電動アシストではなくて、電動レジスト自転車でもありました
2009年09月06日
今年も勝ち抜けました
 日曜日には県選手権飛騨地域最終予選が古川の杉崎グラウンドであった。毎年飛騨地域の少年サッカーチームが一同に集まり、県大会出場に向けて熱い戦いが繰り広げられる。
 三男の所属する東小サッカーチームにとって、この1年間の成果が試される大事な戦いでもある。

 東小サッカーチームは単独小学校チームとして、もともと人数少ない弱小?チームだ。6年生だけでチームを作れた事なんて、僕の知る限り一度も無い。
 とはいえ監督がこの大会を照準に定めてチーム作りをしているから、県選手権では東小は毎年良く健闘する。
 うちの子も長男が6年生の時、次男が5年生の時に、弱小?ながらも県大会に勝ち進みそこそこ上位まで上がる事が出来た。その成長振りは毎年の事ながら、全くもって目を見張るものがある。

 さて今年は小学6年生の三男の戦いとなった。兄の2人が県大会まで行っていて、実質的には3兄弟最後の小学校サッカーになる。ここは三男にも当然勝ち上がって欲しい。
 しかし今年の東小サッカーチームは例年以上に6年生の人数が少なめだった。チームの半分は5年生、4年生でできている。しかも相手チームは背の高い強豪?ばかりで、勝ちあがれるか試合前から既に暗雲立ちこめている。

 とはいうものの蓋を開けたら、子供達は驚くほど見事な戦いぶりを見せてくれた。6年生の足りない分、2人分も3人分もグラウンドを走る回る子もいる。強敵相手に2勝1分けとなり予選1位で県大会出場を決めてくれた。 

 最後の決戦では飛騨地区一番?の強力チームをカウンター戦術で見事に抑えていた。たまたまかもしれないが、予想を超えて今までに無い強力チームかもしれないと思う。
 これで三男も東小チームで県大会には出れる事になった。
 大会の裏では公私共に色々な事があったのだが、それはおいといて僕の少年サッカーの楽しみも秋まで伸び、またまた嬉しい一日となった。

此処で油断しないで、県大会上位を目指して欲しい


身長の違いにも負けません
2009年09月05日
久しぶりの長時間行動でした
 昨日の夜から日曜昼にかけて臨時代務の先生が高山まで来てくれている。天気予報は晴れマークだ。しかも金曜の仕事は比較的楽に済み、寝不足も無いから体調は良い。
 ここのところ僕は思い切って一日中身体を動かす事は殆どなかった。長男も今日は都合よく出動できると言う。ここは土曜の内に目いっぱいワークアウトしておこう。

 というわけで今朝は午前2時に起床とした。自転車2台と長男を車に無理やり詰め込み、新穂高温泉から槍ヶ岳を目指す。
 ただ槍を日帰り往復するだけでは今ひとつなので、南岳新道から稜線を縦走し槍穂先を往復、下山は西鎌の稜線経由とした。久しぶりの長時間山行で後半はかなり足裏が痛くなる。それでも好天に助けられ、12時間近い爽快な登山を問題なく楽しむ事が出来た。

 考えてみたら一日に12時間近く行動したのは、エベレストの頂上アタックの時以来だと思う。あの時と比べて今日は全くのどかな山歩きだったが、それでも久しぶりに思い切って身体を動かせて随分と気持ちは良い感じだ。

縦走後半は、親子で足が痛くなりました
2009年09月04日
年齢は考慮しないと
 昨夜も比較的早く仕事が終わり、夕食前の時刻に病院フットサルの練習にも参加できた。普段の運動不足対策にと、この時とばかりに汗をかく。フットサルの様な短時間集中運動には中々身体がついていけないが、それでもその後のビールが美味ければ言う事は無い。

 夜中にも起こされる事無く、きちんと眠れた。この1週間は深夜に呼ばれる事は一度も無かった。お陰で寝不足は全く無い。寝不足日記も名ばかりという感じだ。
 とはいうものの今日の外来はそれなりに混んだ。幸い午後に手術は無いので、多少時間がずれ込んでも、とにかくくひたすらの秒単位外来を続ける。

 さてフットサルではもちろん、年齢で試合に手加減があるなんて事は無い(手加減して試合するほど余裕はありません)。疲れたら自主的に試合を休んだり、GKに回ったりするだけだ。
 しかし病気治療の方法は年齢によって、その内容が変わるのは言うまでも無い当然のことだろう。

 同じ大きさの筋腫でも、30歳、50歳、70歳、90歳で全く治療法は異なる。それぞれの年齢や状況に応じてGnRHA注射、黄体ホルモン内服、ピル、筋腫核出、子宮全摘、様子観察のみ等を使い分ける。時と場合によっては早めの妊娠を勧めるというのもある。
 筋腫は今やたくさんの治療選択肢がある良性疾患だ。
 きめ細かく情報提供する時間は無いが、できるだけ患者本人の希望で僕は治療を選択する様にしている。決して一つの方法を強制するなんて事はしない。

 ただ肉腫という悪性疾患との鑑別が、難しいのが悩みの種だ。大抵の婦人科医はこの筋腫と肉腫の鑑別で、何度か痛い目にあっているだろう。
 飛騨地方は比較的医療過疎地域なので、大きい筋腫を持つ高齢者の数が都市部より随分と多い。超高齢者の巨大筋腫なんてどう扱うか困る事も多い。いくら良性とはいえ、他の身体の部分が弱くなった超高齢者には、大きな筋腫が様々な圧迫症状を起こす事があるのだ。

 そんなこんなで今日も多くの腫瘍性疾患を持つ高齢者の方が受診された。これも高齢化社会の特徴なのだろうが、良性だからといって何から何まで様子観察に回していけば、腫れ物を持つ高齢者がどんどん巷に増えていく事になる。将来の寿命やQOLなど考慮に入れながら、手術摘出しておいた方が良いのか否か、随分と迷うケースが増えている。
 
  これ以前の日記は削除しました。