中田様
メールありがとうございます。
農作物が自然の恵みであるということは一致した意見だと思います。
ただ、近年は気候の変化や自然災害(人的災害も含む)、紛争などによる土地の荒廃や、
肉体労働であるため作業がきつく、収入が一定しないなどの理由で後継ぎがいなくなって
農業を放棄せざるを得ないというなどの要因が重なって世界中の食糧生産量は人口の増加に
追いつかなくなっているのも事実です。
穀物だけでなく、肉を食べたいという人が増えたことも原因の一つです。
経済が発展し始めた国では、人々はよりおいしいものを食べたくなります。
肉牛や豚、鶏などをより太らせて養うのに、牧草だけでは足りなくなりあらたに
飼料用の穀物が必要となります。
また、食糧の分布に偏りがあるということも事実です。
食糧が足りなくて飢えている人が大勢いる国もあれば、
食糧があまりすぎて食べ残しを捨てている国もあります。
とはいえ、このままでは仮に食糧の偏りを無くして平均化したとしても、
100億にまで増えると予想されている人口を養えるだけの食糧は
供給できないでしょう。
どんなにお金を出しても食糧が買えなくなる時代がくるかもしれません。
最近ブームとなった有機栽培作物では、近郊の人々の食生活の需要は満たせても世界中の
飢えた人々に対する供給は難しいものがあります。
足りない食糧を増産するのにはどうすればいいのか?
これが今の世界中の農業関係者のめざす目標のひとつだと思います。
作物そのものに目をむけて研究している人々もいます。
バイオブームも手伝ってか、農学部にやってくる学生が増えました。
人口が激増しなかった時代には栽培中にできたものの中から
いいものだけをとりだして何代か栽培して種を固定する方法を人々はとってきました。
でも、今はそれでは間に合いません。
そこで細胞同士を融合させたり(細胞の細胞壁を溶かしたプロトプラストという細
胞膜で包まれた状態にしてからくっつける)
遺伝子の中から使える部分を切り出したり貼り付けたりして、新たな特性をもたせ
るという技術が開発されました。
最近出てきた遺伝子組み替え作物はそもそも足りない食糧を補うために開発されたものです。
農業をしている人にとって、農作業は大変なものです。
はびこる病害虫や雑草との戦いで苦労している人もいます。
人体にも悪いし、薬に対する耐性がつくため下手に農薬や除草剤をまくことはできません。
そこで作物に耐性をもたせたり、作物自身が自ら体内に特定の農薬成分をつくる
《自然界に存在する植物は様々な防衛反応で
害虫を退けていて、その中には植物体がもつアルカロイド(以前オーストラリアあ
たりで大量に放牧羊が死んだ事件があったが、
原因は植物が元から持っていた有毒成分にあたったためと判断された)や放散する
芳香成分などがある(パセリやハーブなどが
体から放つ香りなどは虫をよせつけない働きをしている)。これらを自然農薬とい
う人もいるが、この働きを応用する》ように
改良したりしたのです。
残念ながら問題もたくさんあります。
その作物が安全なのかわからないことです。
栽培種が開発されてから市場に登場するまでの期間が以前よりも極端に短くなって
いるので、
安全性についての確認は人体実験的状況にならざるをえません。
消費者よりも生産者に有利に働いているという指摘もあります。
有名なところにラウンドアップという除草剤があります。
大変な除草効果があって作物にまで影響を及ぼすので、それに耐性をもつ作物を作
り出したところも
あるそうです。
また、せっかくもたせた特性に自然界の病害虫や雑草が適応しはじめたことで、
余計に薬剤をまかざるをえなくなったという記事が新聞にでていたのを見たことがあります。
生物の生命力というものはたいしたものです。特に分解者の働きをする菌類や細菌
類はなんでも分解します。
プラスチックやダイオキシンまで分解するものもいるそうです。
作物ではなく、まわりの環境や要因に目をむけて研究している人々もいます。
作物が育つのに必要な土壌の研究ひとつをとってみてもたくさんの研究室があるのです。
農業をするのに不良な土壌を改良するために、何をすればいいのか?
大型の農作業機械が走ることによる土壌の影響は、またその影響をとりのぞくには
どうすればいいのか?
・・・。
生物学的見方だけではなく、物理的、化学的、地学的、地理的、あらゆる方向から
の見方があるのです。
農薬を開発する研究室もあります。害獣(熊や鹿など)を撃退する研究をしている
研究室もあります。
農作業に必要な水をどのように配分するかという研究、区画整備をする研究、農業
放棄が多い中山間地域での農業を
どうするのかということ、できた農産物を市場までどうやって運ぶのかといったこ
と(道路整備や施設など)まであらゆる
研究があります。廃棄物の処理をする研究もあるのです。
研究室、または学科・学部同士の交流があまりないといった縦割りの問題もありま
す。
しかしこれらは独立して成り立つものではありません。
まとまってはじめて相乗効果が期待できるのです。
そうでなければ、いかに増産に成功しても意味がないのです。
「科学者ほど傲慢になりやすい」などという話があります。
科学は万能であり、神であるなどと考えている人々が多い、と雑誌などでバッシン
グする記事もあります。
そういう人もいるでしょう。しかし、個人的にはこの意見に反対です。
農学だけではありません。工学にしろ、医学にしろ、なんにしろ、
研究に携わるものにとっては、自分がいかに無力で小さいものであるか思い知らさ
れるのです。
何もできないのです。
難病の治療薬すら開発できません。
NHKの「驚異の小宇宙・人体」でやっていましたが、肝臓の機能を工業的に再現する
こともできません。
はびこる病害虫を鎮めることもできません。
植物が有機物を合成する過程を解明できません。
できないことだらけです。
それでいて、不思議な世界を目の当たりにするのです。
最近顕微鏡でとられた写真がアートとして雑誌に掲載されるようになりました。
分かりやすいように色素で染色されているのですが、いろいろなものが写っている
のです。
細胞の中だというのに花や幾何学文様、シンボルが見事に浮かび上がっているので
す。
魅せられるのです。
そして背後にあるなにかを感じるのです。
最前線で研究をする人、また研究を極めた人ほど宗教や哲学に走るのです。
残念ながら科学にたいして、日本人は否定的なイメージをもっています。
科学のいい面よりも悪い面(公害や戦争など)を見てきたからでしょう。
特許紛争(アメリカとよくもめるので、紛争処理のための資格まである)などの影
響もあるかもしれません。
特に製品の製造や販売などでは特許をもつ個人・企業などに多額の特許料を払わな
ければならないので、
せっかく開発してもそう簡単には行き渡らないことが多いのです。
最近エイズ治療薬を無償にちかい額で東南アジアなどで誰だったかが販売して開発
した企業から反発をうけたという記事を新聞でみたことがあります。
しかしこれはよくないことです。
科学は人が謙虚になるための道具なのです。
人は数値やその他、目に見える世界だけで判断しがちなのです。だから傲慢な者も
でてくるのです。
だから科学者は警告をも含めてこのことを発表していく必要があるのです。
ところで、3年生の友人が学外実習でどこにいくか騒いでいたので、
去年の学外実習で空知の岩見沢へ2週間ほど個人農場へ農作業をするためにいったこ
とを思い出しました。
大変暑い夏だった(36,7度)ことは今でも覚えています。
朝5時に起きて掃除をし、7時にはすでに畑にでて農作業をするのです。
地平線の向こう、山のふもとまで畑が続いているのです。
畑はものすごい面積です。とうもろこし畑は一列が200メートル以上あり、それらが
100〜200列、または
それ以上あるのです。
とうぜん、コンビニもありません。家から家までの距離が長いのです。隣の家が見
えないのです。
畑と道しかありません。その道もたまにトラックや大きな農作業機械、牧草用のト
ラクターが通るだけです。
学校が数キロ先にあるとその農家の中学生だったかの息子さんが言っていました。
かんかん照りの下で、農作業です。
虫がわくので長袖の上下(もしくはつなぎ)にながぐつ、両手足首に腕カバーをして、
手には軍手とゴム手袋、あたまには農家のおばちゃまがよくやる、後ろに布切れが
ついた麦わら帽子。
ときおり吹く風のおかげで体感温度は10度ほど低かったのですが、おやつの時間に
は軍手がぬれていました。
軍手を絞ると染み込んだ汗がジャーと出てくるんです。
お昼ご飯を食べに戻ったときに新しいのと交換するのですが、無駄でした。
ゴム手袋の中で1時間もしないうちに水音がするのです。
おまけに気候のせいか、まったくのどがかわかない。でも、飲まなければ危ないのです。
にんじん畑ではひたすら草取りです。
残念ながら、畝と畝の間には機械が通っても畝の中には機械が通れないので、人の
手で草をむしるのです。
当然のことながら、一列200メートルくらいはあります。
小さいのを見逃すと大きくなってからでは農薬や除草剤がきかなくなるので小さい
のまでむしるんです。
他の学校の人や、近くの人が手伝いにきてくださったりしましたが、
少ないときは6人で一日がかりでおこないました。それでも、半日で6往復(ときに7
往復)が限度でした。
かぶ畑ではへたれかぶ(腐っている)にてこずりました。
誰だったかが「畑の中の地雷」と呼んでましたが(笑)、雨がふると土から出てい
る部分のかぶが腐るんです。
ひどいときには1メートルにわたってすべて腐っていたこともあるそうです。
匂いがすごく、遠くにある畑の匂いが数キロ先の家にまでただよってくるほどです。
作業中に雨がざーと降ってきて雷がなっても作業は行います。
収穫したものを予冷庫(そこの農場では個人で真空予冷庫をもっていた)にいれたり、
選別して箱詰めしたり葉を切り落としたりします。
2週間後、帰ってきたら友人からの手紙があったので、返事をかこうとしたら
手が震えて鉛筆がもてないほどに疲れてました。
農作業は確かにひどかったです。これでは農業をやりたくないという人もいるかも
しれません。
しかし、そこの農場で職員として働いている人はほとんどが20代の若い人ばかり
で、農業をやりたいという
意欲にもえておられました。日本の農業はまだ救いがあるかもしれません。
R.T