どうも。三浦です。
昨日は、ところどころ乱暴な表現があったかと思いますので、少し補足させていただきます。
 まず、どうして母親の空耳で聞こえたものが「この先は危険かと判断すること」になるのか。それは小さいころに危険な所へ行くと母親に注意されるのが信号として自分の脳内に記憶され、この場合は自分で自分にストップをかけている。ということで、そういう判断が出来るのではというふうに書きました。

 それから、根拠がないので申し訳ないのですが、世の中「さあ死のう」なんてはっきり意志を持って死んだ人なんていないのでは。と、思います。
 自殺した人は、「死にたい」意志なんてあったのでしょうか。「死にたい」ではなくて「居たらまずい」と考えるのではないでしょうか。リセットだってこういう心境の時に押したくなるような気がします。
p.s.ちなみに、自分もたまに「居たらまずい」と思うことがあります。が、「死にたい」という感覚にはなったことがなかったような気がしたので、書いてみました。思想のレベルなので似ているのかも知れません。
それでは、失礼しました。

三浦 健志
mail:ura-3t@tyche.dricas.com
2000.10.12.12:10back

back