はじめに

 昨年の七月ニ十四日に一人息子が突然の事故で亡くなってからもうすぐ一周忌の命日を迎えようとしています。私は事故の直後はショックで落ち込んでいましたが、息子の通夜と葬式に突然心霊現象が起きました。私は五、六年ほど前に週に何回も金縛りにあったことがあり、このときは隣市の棒鑑定所で見てもらったところ、その鑑定士は、私に霊感のアンテナが二本あるので潜在的霊能力があるといわれました。私は一人で行ったのですが、息子と主人を生年月日で見てくれて、息子の前世は絵師の出で霊感のアンテナが一本あるといわれました。
 そして昌宏の通夜と葬式の時の息子の姿が靄のようにうっすらと見えたのです。そして七月の末頃まで色々とテレパシーで伝えてきた言葉を手帳にメモしました。八月に入ってからの数日は何も伝えてこなかったのですが、八月三日の午前四時五十分頃、昌宏が生前の服を着て夢枕に立ってはっきり生前の喋る声で言ったのです。「時々この世界に仕事をしに戻ってくる。」と。

 それからしばらくテレパシーは伝わってこなかったので、昌宏ももう色々伝えてこないのだろうと諦めていました。ところが盆過ぎ頃に、仏壇にお経を唱えていたら何か念が私にかかってきたので、息子が言いたいことがあるかもしれないと思ってノートに書き始めてみたら息子がテレパシーを送ってきて、自動書記のように昌宏の言葉を書いていました。昌宏はこれから親と霊界通信をして心を通わせるつもりだと言いました。八月の始め頃から通信が入るまで数日間テレパシーがなかったのは、霊界で閻魔の審判があったからだそうです。その後毎日、数回昌宏と霊界通信をしてノートに書きました。

 それにより、私は息子が亡くなった悲しさ寂しさを紛らわすことができたのです。このノートは月に一冊くらいになり、すでに十冊以上になりました。その間に、この霊界通信ノートについて、お寺の僧侶の方や心霊研究所関係の方に色々と相談しましたが、その関係で精神世界の研究家である兼子先生にこの通信のことで相談に乗ってもらうことになりました。霊界通信によると霊界の配慮に兼子先生との出会いがあったようです。そしてこの通信文を出版することになりました。

 昌宏の通信は時々、テレパシーで送ってくることがあり、その時は昌宏の言葉ですぐに書きますが、八月の初めの時は昼前頃にテレパシーで「僕の一周忌の命日に個展をしてくれ」と伝えてきました。昌宏は幼少時より絵を描くことが好きで、二歳の時に私が玩具の自動車を描いてやったら、それをじっと見ていて真似して描いたくらいです。それから色々な絵を描くようになり、幼稚園の時は、ゴムのガンダムの絵を描いてくれと私に言うので描いてやったこともありました。故人ですが、私の父方の大叔父さんで芸大を出た絵描きがおります。私は結婚する前に旅行の途中でその大叔父さんに会いに行ったことがありました。渋谷駅の忠犬ハチ公の銅像のところで会ってその大叔父さんが描いた黒い鶏の絵をもらった思い出があります。その血筋があるかもしれませんが、昌宏はとにかく絵を描くのが好きな子でした。
 小学校二年生の時から、家の近くの三上先生の絵描き教室に、毎週土曜日の午後に七年間も絵を習いに行きました。それも自分から習いに行きたいと行ったのです。そして中学二年と三年の時に、学校で描いた防火ポスターがコンクールに入賞しました。

 その後中学から大阪のN デザィナー学院に推薦で入学して、昨年卒業しました。どの進路に行くか決まらないので家にいましたが、亡くなる十日前には東京のA スクールに行くと言っていたのです。そこは今度新しく特撮科のコースが出来たのでそこへいきたかったのです。

 昌宏はゴジラマニアで特撮に興味を持っていて、将来、特撮の仕事をするのが夢だったのです。
 私は昌宏が私に伝えてきた意志のとおりに、今年の七月二十四日の命日に昌宏の残した遺作の個展を開いてやりたいと思い、夫と一緒に今年の三月から色々と準備をしてきました。

 まず息子の部屋を夫と一緒に整理して色々と作品を出してみたのです。小学校の時に習いに行って描いたアクリル画に油絵、そしてデザィナー学院で描いた絵でゴジラや怪獣の絵が得意です。それから展覧会場を捜しました。豊中の駅からバスに乗って、東豊中小学校下車すぐのところで三階建ての洒落た建物でライフステーションエイブルというところに決め、三月二十五日にエイブルに申し込みに行きました

 そこで色々と説明を聞きましたが、そこのオーナーは昌宏のゴジラと怪獣の絵を見て「これだけ才能があっておしいでね」と言ってくれました。そして「でも普通はこんな絵は残せないですよ。とてもこんな絵を描くのは神経が繊細なものを持っていたんでしょうね。新聞社などに投稿されたらどうですか」と言われ、また「展覧会の日数を伸ばした方がいいですよ。」とも言われた。私が「もし今回好評でしたらまた次回展覧会をします。」と言うと「ぜひしてください。」とオーナーに言われました。そして帰りに額を買うために、つかしんの西部百貨店に行き、そこで画材売り場の人にゴジラと怪獣の絵を見せていたときに、そこを通りかかった息子と同じ年頃の男の子二人が関心を持ってくれました。そしていつ遺作展があるのか聞いたので、名前と住所と電話番号をメモして招待状を送ることにしました

 中田昌宏遺作展

  平成九年七月二十四日に十八歳で他界したゴジラマニア少年画家の残された評判の作品の展示と
 「ゴジラの霊」の本出版記念講演会、  入場無料

  平成十年七月二十四日.二十五日 午前十時から午後七時(最終日は午後五時まで)

ライフステーションエイブルにて(東豊中市東豊中町四の四の十八エイブル3)

招待講師 心霊学者で「シルバーバーチの霊訓」の翻訳者の近藤千雄先生
      精神世界の研究者でコンサルタントの兼子功先生

 この本の出版に当たりまして、兼子先生を初め多数の方々にご協力いただきました。また霊界の菩薩界の芸術の塔の霊人の方々、なかでも生前ゴジラの映画製作に携わった霊人の方々や守護霊様、指導霊様、ご先祖様にお力添えいただきました。心から感謝しています。
        

平成十年五月吉日

母 中田富美子

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