これは、事実確認までした情報ではないが、ある本のあとがきに次のようにある。「---たとえば、早稲田大学では2008年度から新入生を対象にした「日本語の文章講座」を行い、数年後には新入生全員を対象に実施し、日本語で論理的に表現する力を身につけさせる」という。

これまで、10年以上、女子美・芝浦工大・法政大学で大学生の論文試験=レポートを、おそらくは数千枚見てきて、この事態は、さもありなんと思われる。ほんとんどの文章は論文以前であり、その内容の検討以前に、思わず添削してしまいたくなるものが多いのである。

それでは、一体、高校までの現代国語とは何だったのか。あるいは人によっては、予備校での論文指導とは何だったのか。ある予備校の指導者が私に語ってくれたところによると、高校生から来てもらっても、型に当てはめて書かせる付け焼き刃の論文指導しかできない、という。

一方、多くのインターナショナル・スクールの生徒たちは、小学生から英語でかなりぎっちりとパラグラフ・ライティングを勉強させられている。教室に来ているそれらの生徒に日本語の段落を説明するときに、「パラグラフ」という言葉を使うと、「ああ、何だ、あれか」とすんなりと理解してくれるのである。

コボちゃん作文をはじめるのはだいたい小学三年生。それが高校生になるまで、7〜8年あるだろうか。この間、きちんと指導さえすれば、何も大学生になってから「日本語で論理的な表現」を身につけさせなくてもよいのである。

ぜひ、この教室のトップ・レベルの生徒の作品例を見てほしい。彼らは、ついこの前まで、よたよたとコボちゃんを書いていた持ち上がりの生徒たちだ。その数はまだ少ないが、確実に言えるのは、この生徒たちに、わざわざ大学入学後の論文指導などいらないということだ。やっきになって10年以上もかけて、教室はようやくここまでこれた。