判決後、記者会見で語る宮崎駿監督=1日午後、東京都小金井市のスタジオジブリ、広津興一撮影
◇鞆の浦との出会い
鞆の浦と僕がどういう関係にあるかについて最初にお話します。5年前に鞆まちづくり工房の人たちに誘われて、鞆の浦にジブリの社員200人近くで押し寄せたことがあったんです。僕も崖(がけ)の上のお屋敷に宿泊した1人でして、とても印象的だったものですから、翌年になりますが、2カ月ほど、ひとりで滞在させてもらったことがあるんです。そのときお世話になった人たちが、実は今度の訴訟をした人たちだったんですが、運動そのものに僕が旗を振ったり、参加したりすることは、ちょっと、文化人的過ぎるからいやだということで。趣旨は十分わかりますけど、賛成派、反対派という立場は取らずに町でうろうろさせてもらったんです。
その後たまたま映画(「崖の上のポニョ」)を作るときに鞆の浦がずいぶんヒントになりました。瀬戸内を間近に見た記憶も経験も初めてだったので、内海というのが太平洋とずいぶん違うもんだなあというふうに。それがヒントになって映画をつくったもんですから、まるでポニョの舞台が鞆の浦ということになっていますけど、順序、逆なんで。
今回の判決にあたって、マスコミの要請があるから取材を受けてくれと要請がありまして。ゴミの片づけ、プロパンガスを手配してくれるなど、いろんなことをやってくれた人たちなんで、「分かりました」ということで今日こんな大騒ぎになってしまったんです。
以前にも何社かの新聞から、鞆の浦の埋め立てと橋の問題についてインタビューを受けてお話ししたことがあるんですが、そのときも僕は賛成派、反対派という立場では臨みたくないといつも明言していました。それで今日に至ったんです。