中川元財務相:東京・世田谷の自宅で死亡 遺書見つからず

2009年10月4日 10時33分 更新:10月4日 15時32分

中川昭一氏=北海道帯広市の選挙事務所で2009年8月30日、田中裕之撮影
中川昭一氏=北海道帯広市の選挙事務所で2009年8月30日、田中裕之撮影
報道関係者が大勢詰め掛けた、死亡した中川昭一元財務相の自宅(中央・奥)周辺=東京都世田谷区で2009年10月4日午前10時35分、手塚耕一郎撮影
報道関係者が大勢詰め掛けた、死亡した中川昭一元財務相の自宅(中央・奥)周辺=東京都世田谷区で2009年10月4日午前10時35分、手塚耕一郎撮影

 4日午前8時20分ごろ、中川昭一元財務・金融担当相(56)が、東京都世田谷区下馬5の自宅で死亡しているのを妻郁子さん(50)が見つけ119番した。警視庁世田谷署によると、中川氏に目立った外傷はなく、事件性はないとみられる。遺書は見つかっていないという。世田谷署は行政解剖で詳しい死因を調べている。

 世田谷署によると、中川氏は自宅2階の寝室のベッドで、ポロシャツと短パン姿でうつぶせに倒れ、ベッドに吐いた跡があった。寝室の机の上に薬の錠剤があり、家族は「眠れないということで、都内の総合病院に通院し、睡眠薬を処方してもらっていた」と話しているという。

 世田谷署によると、3日正午ごろに長女(25)がベッドで寝ている中川氏を見ていた。同午後9時ごろには、外出先から戻った郁子さんがベッドで横になっているのを確認していたが異常はなかったという。朝になっても起きてこないため郁子さんが様子を見に行くと、既に体が冷たくなっていたという。死後約10時間経過し、3日午後11時前後に死亡した可能性がある。

 中川氏は郁子さんと長女、長男(17)の4人暮らし。3日夜は、外出して不在だった長女を除く3人が自宅にいたという。

 中川氏は衆院議員だった父一郎元農相の自殺後、日本興業銀行を退職し、83年の衆院選に初当選。農相や経済産業相、自民党政調会長などを歴任。財務・金融担当相には08年9月に就任したが、今年2月、ローマで開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後のろれつの回らない「もうろう会見」で批判を受け、辞任に追い込まれた。8月の衆院選で9選を目指し北海道11区から出馬したが落選した。【古関俊樹、川崎桂吾】

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