(補足)スコルツェーニー事件・マルテンス条項
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補足その(3) スコルツェーニ事件
正規の軍人が偽装して武力行使を行った場合(正規軍人による便衣兵)は、より重大な国際法違反・交戦法規違反として扱われます(スコルツェーニ事件など、詳細は次ページ)。
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スコルツェーニ事件とはどういうものかを見てみます。
スコルツェーニ事件
『新版 国際人道法』 有信堂 藤田久一著 P125
Otto Skorzeny 事件では、敵の制服や国旗の使用は国際法違反ではなく、ただ戦闘開始前に自国の制服を着用し国旗を掲げなければならない、とされた。この事件で、アメリカ占領地域軍事裁判所は、ドイツ軍構成員であった被告はフランスのアルデンヌ(Arudennes)攻撃の際、アメリカの制服を着用していたという起訴につき、彼がその制服を着用して武器を取ったいう証明がなされなかった為、彼に無罪を言い渡した。
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この事件は、敵側の勢力圏内における偽装行為が犯罪にはならないと いう例として引用される事もありますが、逆に言うと、正規の軍人が身分 を偽って(偽装した状態で)武器を使用すると、重大な国際法違反(戦 争犯罪)として戦争が終わった後でも裁かれる可能性があるという事に なります。間諜行為よりも罪が重いと言えるでしょう。
前のページで説明したように、敵地における偽装行為だけでは国際法違反になりませんが、 偽装行為だけでも戦時反逆による軍律違反に問う事は可能です。ではなぜ、スコルツェニー は無罪になったのか?。その理由は、戦時反逆「戦時反逆 war treason 」と「交戦法規違反 war crime 」の性質の差によるものです。
スコルツェニーは、現地で現行犯で逮捕されたわけではなく、ドイツ降伏後(つまり戦争終了 後)に投降して軍事裁判にかけられました。戦時に制定される軍律は、基本的に戦争終了と同 時に効力を失います。つまり戦争が終わってしまえば「戦時反逆 war treason」に対する訴追・ 処罰はできないのです。
第二次世界大戦のドイツの場合は、ドイツが無条件降伏した後に、ロンドン協定に基づいて 戦争犯罪の処罰が行われました。ロンドン協定では軍律違反「戦時反逆 war treason」は 管轄外になっています。念のために確認してみましょう。
ロンドン協定
『ナチス裁判』 講談社現代新書 野村二郎著 P80
ロンドン協定にはその後、ポーランド、チェコスロバキアなどの被害国、太平洋のオーストラリア、カナダなど一九ヵ国が順次参加、裁判を進めるための国際軍事裁判所規約が作られ、追及と処罰が本格化した。同規約は、四人の裁判官と四人の予備裁判官で構成する法廷、裁判管轄権、裁判手続きなどを内容とする全文三〇条。裁判管轄権では
@侵絡戦争、国際条約・規約逮反などの計画・準備・開始・遂行などの共同謀議をした平和に対する罪
A占領地住民の殺害・虐待・奴隷労働、捕虜殺害・虐待など戦争法規や慣習違反の戦争犯罪行為に対する罪
B戦前と戦時中の民問人に対する殺人・抹殺・奴隷化など反人道的行為と政治的・宗教的・人種的理由による迫害行為など人道に対する罪
の三点を裁くことが明記された。このほか法廷には被告不在の欠席裁判を開く権利があることや、訴追手続き、立証方法、裁判所の権限、判決宣言の方法、刑罰の執行手続きなどが規定された。 |
二番は通例の戦争犯罪(交戦法規違反)に対するもので、国際法違反に該当しない間諜 行為などの「戦時反逆」は含まれません。偽装行為だけで武力を行使していない(行使したと いう証明がされなかった)スコルツェニーを裁く事はできなかったのです。
現行犯であれば偽装行為を軍律違反の「戦時反逆 war treason」として裁く事が可能であるが、戦争が終わってしま えば国際慣習上戦時反逆では裁けないという事です。
また、間諜容疑についてはハーグ陸戦法規第31条「一旦所属軍に復帰した後に至り敵の為 に捕へられたる間諜は捕虜として取り扱われるべく、前の間諜行為については何ら責を負う事 なし」とあります。アルデンヌから撤退しドイツ軍に復帰したスコルツェニーを間諜容疑で裁く事 もできません。にも関わらずスコルツェニーが起訴されたという事は、連合国側に、正規の軍人 が身分を偽って(偽装して)活動する行為は、軍事的に重大な脅威であるという認識があった 為だと思われます。
戦時犯罪の処罰権について(おまけ)
国際法学会 国際法講座第三巻 有菱閣P228
昭和29年7月初版
第六節 戦争の終了・平和条約 山下康雄論文
また戦争關係の存在を前提として実施せられる戦時条約は平和条約締結ののちには実施せられないようになる。
更にまた、平和条約に特別の規定がない限り、戦時関係を前提とする処罰権及び責任は消減する。たとえば、戦時においては間牒行為を罰することができる。戦争法規違反を罰することができる。しかし戦争経了後はかような行為を罰することはできない。これを赦冤(Amnesty)という。
古くは戦争終了後においても戦争中の行為を追及してこれを処罰する慣行が行われたが、キリスト教に影響をうけて、戦争中の行為は何れも愛国心から発したものでありそれを戦争終了後において追求することは苛酷であるから、戦争中のことはすべて忘れようではないかという思想が生じ、数世紀にわたつて平和条約に赦免条項を入れるのが慣行であつた。
ところが第一次大戦後の平和条約も第二次大戦後の平和条約も、この赦免条項を採用しなかつた(但しローザンヌで調印された対トルコ平和条約は例外である)。その結果として戦争犯罪人の裁判が予定され(ヴェルサイユ条約)、又第二次大戦後のように、実際に実行されるようになつた。対日平和条約でも、赦免事項はなく、かえつて占領間に連合国が行つた戦争犯罪裁判を承認することになつた。
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補足その(4) マルテンス条項
当時の国際法では摘発する側に厳格な軍民分離を課したのではなく、私服での敵対行為(便衣兵)を規制しました。つまり軍民の区別をする義務は、相手側にあるのではなく、ゲリラ行為を行う側にあると言えます。便衣兵行為を行った結果として、民間人に犠牲が出た場合、当然ですが国際法上違法な手段をとされる行為を行った側に、より多くの責任が発生する事になります。
(攻撃する側も便衣兵相手なら何をやってもいいという事ではなく、一般的な人道原則や慣習法を守る必要はあります。この点を確認したマルテンス条項については次ページで解説します) |
マルテンス条項について
『新版 国際人道法』 有信堂 藤田久一著 P85
ハーグ会議では、侵入・占領軍に対する「人民の反抗の権利」をめぐって激論の末、これについて直接明文規定をおかず、「陸戦の法規慣例に関する条約」前文中にマルテンス条項を挿入することで一応落着した(3)。
この条項は、抽象的一般的に「一層完備シタル戦争法規二関スル法典ノ制定セラルルニ至ル迄ハ、締約国ハ、其ノ採用シタル条規二含マレサル場合二於テモ、人民及交戦者カ依然文明国ノ間二存立スル慣習、人道ノ法則及公共良心ノ要求ヨリ生スル国際法ノ原則ノ保護及支配ノ下二立ツルコトヲ確認スルヲ以テ適当ト認ム」と述べ、続けて「締約国ハ、採用セラレタル規則ノ第一条及第二条ハ、特二右ノ趣旨ヲ以テ解スヘキモノナルコトヲ宣言ス」としている。
もっともこの条項は、妥協的性格を反映して、占領地域での人民ないし不正規兵の交戦者資格に直接言及していない。実際にも、右の諸規定は二度の世界大戦において占領地域で占領軍に対抗する抵抗運動団体構成員の交戦者資格を占領当局に認めさせるのに有効であったとは思えない。
そのため一九四九年ジュネーブ第三(捕虜)条約は「その領域が占領されているか否かを問わず、その領域の内外で行動する」「組織的抵抗運動団体の構成員」も、その団体が「紛争当事国」に属しハーグ規則一条と同様の四条件をみたすかぎり、敵の権力内に陥った場合捕虜の地位が与えられ(四条A[2])、また「正規の軍隊の構成員で、抑留国が承認していない政府又は当局に忠誠を誓ったもの」(同条A[3])にも同じ地位が与えられるとした(後述)。 |
読んでいただければわかると思いますが、マルテンス条項は占領下における不正規兵の権 利を認めさせるのに有効ではなかったと言えます。これは当然で、条約で軍民分離による交 戦者の資格が明確に規定されている以上、条約に該当しない者に国際法上の権利が広く 与えられるという事はありえないのです(与えてもいいが、国際法上与える事は強制されな い)。だからこそジュネーブ条約で不正規兵の権利が拡大されていったわけですね。
ハーグ陸戦法規第一条、第二条
第一条
戦争の法規及権利義務は単に之を軍に適用するのみならず左の条件を具備する民兵及義勇兵団にも亦之を適用す
一 部下の為に責任を負う者其の頭に在ること
二 遠方より認識得べき固著の特殊徽章を有すること
三 公然兵器を携帯すること
四 其の動作に付戦争の法規慣例を遵守すること
民兵又は義勇兵団を以て軍の全部又は一部を組織する国に在りては之を軍の名称中に包含す
第二条
占領せられざる地方の人民にして敵の接近するに当り、第一条に依りて編成を為すの暇なく、侵入軍隊に抗敵する為自ら兵器を操るものか公然兵器を携帯し、且戦争の法規慣例を遵守するときは之を交戦者と認とむ
出展
最近「国際法及び外交資料」 育成洞 松原一雄編
昭和17年12月初版 P224 より
(カナ使いや一部の旧漢字は訂正した。句読点は適時追加した) |
条文からいくと、第一条、二条に含まれない場合の不正規兵について同条約は「適用されな い」のです。分かりやすく言うと国際法上の保護(捕虜資格)が与えられないという事になりま す。マルテンス条項は、上記の条件を具備していない場合にも「人道の法則及び公共良心の 要求より生ずる国際法の原則の保護及び支配の下に立つ」としていますが、これは不正規兵 に国際法上の保護条約(捕虜資格)を適用しなければならないという事ではありません。
しかしながら不正規兵といえどもあらゆる戦争の法規慣例(慣習法)から隔離されているわけ ではなく、一般的な人道原則、慣習法の下には在るので、なるべく人道的に扱いましょうと いう確認がされたわけです。
不正規兵が相手であっても、不必要な苦痛を与える兵器(ダムダム弾・毒物の使用)などは 慣習法によって禁止されていると考えられますが、不正規兵(ゲリラ)を捕らえた場合軍事 裁判で処罰(死刑を含む)に処する事が、国際法上認められているという事は多くの学 説が一致するところです。マルテンス条項によって「私服によるゲリラ戦・テロ」などの便衣兵 行為が正当な行為として認められるという事はありません。
仮にマルテンス条項により便衣兵行為が犯罪ではなく、不正規兵にも捕虜資格が与えられ るとするならば、これらの行為については軍事裁判での処罰もできないという事になります。 当時の学説(信夫淳平、立作太郎、遠藤源六、高橋作衛、松原一雄など)を見ても便衣兵行 為は犯罪として処罰できるとしか書かれていません。一方で処罰できない説というのは存在す ら確認できませんので、まともな国際法論として扱う必要はないと考えられます。
以上の事から、マルテンス条項を論拠とした「便衣兵合 法説」や「不正規兵捕虜資格あり説」というものは全く論 外と言ってよいでしょう。
不正規兵が慣習法下にある以上、(慣習法で認められている)軍事 的必要から行われるうる「即決処刑」についてもマルテンス条項違反と は言えず、したがってハーグ陸戦法規に違反したとは言えない事にな るのです。

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