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【芸能・社会】

マサ父・山本巧さん歌手デビュー 「メジャー」から 本格派75歳

2009年10月2日 紙面から

メジャーデビューした山本巧さん=東京・日比谷公園で(潟沼義樹撮影)

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 中日ドラゴンズの山本昌投手(44)の父、山本巧(たくみ)さん(75)が10月7日に自作詞の「横浜(ハマ)の出逢い」(インターナショナルミュージック)で歌手デビューすることが1日、分かった。

 趣味の延長? にも聞こえるハナシだが実は、巧さんはかつて歌手を目指して作曲家の船村徹さん(77)に師事し、NHK「のど自慢」の全国大会でチャンピオンになった超本格派。プロの道は開かれていたものの、家族のために夢をあきらめていた巧さんは「昌も応援してくれた。昌が“中年の星”なら、私は“中高年の星”を目指します!!」と半世紀を経てのリベンジに燃えている。

 今回のデビューは、神奈川県在住の巧さんが、今年6月に横浜開港150周年のイベントにアマチュア歌手として参加したのがきっかけ。会場にいたレコード会社社長が抜群の歌唱力に聞きほれ、その場でスカウトした。「昌投手の父親とは知らず、後にわかってびっくりしました」と社長。ムード歌謡調のデビュー曲は巧さんが作詞し、イベントで披露した作品。カラオケで芽生えた中高年のほのぼのとした恋模様を描いた。巧さんは「120%のデキ!!」とヒットに自信を見せている。

 巧さんは若き日に歌手を目指して長野から上京。青果店で働きながら7年間、船村さんの弟子として歌を学んだ。1966年度の「第19回NHKのど自慢全国コンクール」で優勝を飾った。レコード会社からデビューの誘いがあり、船村さんからは、ステージ用スーツも贈られていた。しかし、当時は次男の昌投手が生まれてまもなくの時期。デビュー後の生活に不安を覚えて夢を断念したという。

 しかし、歌は忘れられず、カラオケ教室を開いていたことも。自費でレコードも出した。

 「プロ歌手はあきらめていました。でも今回、幸運にもお話をいただいて。人生最後の挑戦と思って決心しました」と巧さん。昌投手に相談したところ「オレは関係ないから」と当初はつれなくされたそうだが「最近は、お父さん頑張ってよ! と言ってくれて。やさしいところがあるんですよ」と目を細めた。

 これまで公の前で「山本昌の父」を喧伝(けんでん)したことはなかった。「でも人生で1回、今回ぐらいは、語らせてもらってもいいんじゃないかと」と巧さん。各地のレコード店へのあいさつ回りも始めていて「昌の父親というと、どこでも話がスムーズで。親の七光っていうけど、私はあいつの偉大さを感じてます」と笑った。

 夢はNHK紅白歌合戦、そして昌投手とのデュエット。「あいつは40歳を超えて頑張っている。私は75歳を超えてデビュー。そのあたりをテーマにした歌ができないかと思って。昌の声? 私の血は引いていないけど、きっと一緒にやってくれると思う」と力を込めた。

 山本昌投手の話 「以前にも小さなところから出したことはありますが、今回はメジャーなんですか? 詳しいことは聞いていないので(笑)。でも父も昔から歌を頑張ってきたし、ぼくもこんな年なので、恥ずかしいなんてことは言わずに応援しますよ」

 

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