略歴 | ||
1941年7月 | 愛知県生れ | |
1963年3月 | 東京大学法学部中退 | |
1963年4月 | 外務省入省 | |
(国内勤務) | アジア局、条約局など | |
国際協定課長(78年〜80年) | ||
中国課長(83年〜85年) | ||
地域政策課長(85年〜86年) | ||
(外国勤務) | オーストラリア(71年〜73年) | |
ソ連(73年〜75年) | ||
中国(80年〜83年) | ||
イギリス(86年〜87年) | ||
1988年4月 | 文部省出向(東京大学教養学部教授) | |
1990年3月 | 外務省辞職 | |
1992年4月 | 明治学院大学国際学部教授 | |
2005年4月 | 広島市立大学広島平和研究所所長 |
小泉・金正日会談が行われたのが2002年9月17日で、正日自身が拉致・工作船をゲロしたというのに、彼のホームページ( http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/ )にはまだ次のようなアサッテ記事が載っている。記事を書いたのはピョンヤン宣言の数ヶ月後の2003年1月13日なのだから全く噴飯物である。 |
北朝鮮は「 お化け 」でしょうか? *この原稿は、雑誌『クレスコ』のために書いたものです。有事法制に「理解」を示す多くの人が、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を「 お化け 」のように受けとめる心理にあることが、多くの集会、学習会に伺う中で、深刻なまでに浮かび上がってきているというのが、私の印象です。北朝鮮を「 お化け 」とする雰囲気をなんとかして払拭する必要がある、そうしないと有事法制を防ぐ国民的意識が育たない、とすら感じます。 この原稿は、そういう思いを込めて書きました(2002年3月26日記) 政府・与党が有事法制へ向けた動きを本格化させるなか、各地の学習会でお話しすることが多くなりました。その中でとても気になる状況があることに気づきました。「私自身は有事法制に反対だが、不審船の問題を考えると、多くの人が有事法制に理解を示すことに強くいいにくい」という方が多いのです。 「不審船」といえば、北朝鮮を連想する人が多いのです。そして「なにをするか分からない北朝鮮」に対する警戒感と結びつくのです。多くの日本人にとって、北朝鮮はまるで「 お化け 」です。昨年12月に大々的に報道された不審船撃沈事件は、そういう多くの国民の心理に強烈な印象を与えるものでした。 この事件については、いくつかの重大な問題があります。その船舶は日本の領海の外で航行していただけなのに海上保安庁の何艘(一説では20隻!?)もの巡視艇が出動して停船を命じたこと、命令を無視したことを理由に射撃を開始したこと、相手が反撃すると集中砲火で沈没させたこと、そしてこれらすべてが公海上で行われたこと、などです。 海上保安庁法によれば、射撃が認められるのは、その船舶が「無害通航ではない航行を我が国の内水又は領海において現に行っている」場合に厳格に限定しています。政府はまた正当防衛と主張しました(安倍官房副長官)が、巡視艇が先に砲撃したのですから、正当防衛は成り立つはずがありません。 そもそも日本籍ではない船舶に対する公海上での実力行使は、国際的には軍事行動そのものであり、憲法第9条の禁じる武力行使にほかなりません。中国外交部スポークスマンが、「日本が東海(注:東シナ海)海域で武力を行使したことに関心を表明する」(下線は筆者)と述べたのも当然のことでした。 しかし、国内の報道ではこうした重大な問題点をほとんど不問にし、北朝鮮に対する警戒をあおり、北朝鮮を「お化け」とする国民感情を揺さぶったのです。有事法制を進める政府・与党にしては、「してやったり」でした。 この事件について桂敬一氏(東京情報大学教授)は、関東軍が柳条湖事件をでっち上げて満州事変を起こし、日本軍が廬溝橋事件を言いがかりに日中戦争につっこんでいったことが「今更ながら、生々しく思い出されてくる」と発言しています。私も同感です。 北朝鮮を「 お化け 」に仕立て上げない国民の冷静な判断が確立しないと、有事法制強行の危険性は高まるばかりです。 |
その不審船は引き揚げられて、お台場の船の科学館に陳列されていたから、見学すれば浅井の記事は大デタラメであることは明白である。 にもかかわらず、こんな記事を未だに公開しているのだ。 |
サッカーと君が代・日の丸 *この文章は、雑誌『クレスコ』に書いたものです。サッカーにかかわる私なりのこだわりは明らかにしておきたいので、短文ではありますが、ここに掲載しておきます。(2002年6月23日記) 私はサッカー観戦が好きである。特にワールドカップには目が釘付けになるし、いい試合ともなるとテレビに目が奪われて仕事にならない。まして今回のように日韓共同主催となって、日本チームがベスト16まで進出するという大躍進をやってのけてくれたのだから、私の興奮度も増すばかりだ。 ところが、そんな私の気持ちを極端に損ない、恐怖感すら抱かされる場面が日本戦に限って頻繁に現れる。いうまでもない。試合に先立って演奏される「国家」としての君が代の大合唱と、多くのサポーターが無邪気に振り回す日の丸や顔に塗りつける日の丸のフェイス・ペインティングだ。 私は決して国歌や国旗の廃止論者ではない。戦争に敗北した後に、たとえばドイツがそうであったように、新生民主国家・日本にふさわしい国歌や国旗を作っていたのであれば、私の気持ちも素直にそうした国歌や国旗を受け入れていただろうと思うのだ。 ところが、そうしたけじめを一切ぬきにして、君が代と日の丸が再び国歌及び国旗として、本来であれば政治とは無関係であるべきサッカーの大舞台に正に君臨する。そして圧倒的に多くの人々がそのことをあたかも当然のことのように受け入れ、熱狂のるつぼのなかにとけ込んでいる姿を見ると、私は正直言って恐怖感に襲われるのである。 何故に多くの人々は、これほどまでに君が代と日の丸に対して受容度が高いのであろうか。君が代・日の丸が侵略戦争に果たした役割を誰もが気にもとめなくなった、ということなのだろうが、それでいいのだろうか。 私は長い間日中関係にかかわる仕事をした体験を持つものとして、中国人が日本の軍国主義の象徴である君が代と日の丸に対して複雑な感情を持っていることを知っている。もちろん彼らも大人だから、日常的に君が代と日の丸に対して嫌悪感を示すことはしない。 しかし日本人が君が代と日の丸に対するこだわりを捨てれば捨てるほど、そして無邪気に(?)君が代を高唱し、日の丸を掲げ、フェイス・ペインティングをすればするほど、過去の遺産に対する不感症の日本人に対する中国人のわだかまりもまた高まっているのではないかと、厳粛な気持ちにならざるを得ないのだ。 今更何をぼやいているのか、という冷ややかなまなざしが注がれることだろう。しかし、私はなおいいたい。過去の遺産に完全なフリーな状態でサッカーを楽しみたいのだ、と。 |
何故、中国人の気持ちを考えながらサッカーを楽しまなければならないのか? 「過去の遺産に完全なフリーな状態でサッカーを楽しみたいのだ」って何なの? 格好つけてそんなまどろっこしい言い方をしないで、ハッキリと誰でもが理解できるような言い方をしてみなよ。 |
1999年11月16日に北京郊外の盧溝橋の抗日戦争記念館で開かれたシンポジウムに参加して、日本側の基調講演者となった元外務省アジア局中国課長の浅井基文氏が、日本のいまの政治状況を「 極右・反動勢力が強まる危険な右傾化 」ととらえ、その改革のために毛沢東とレーニンの待望論と受けとれる、とてつもない主張を展開した。 浅井はいまは明治学院大学の教授だが、1963〜87年までは日本外務省のれっきとした外交官だった。しかもいまチャイナ・サービスと呼ばれる中国専門家で、北京の日本大使館に勤務し、1983〜85年までは本省の中国課長の要職にあった。そういう人物が「 日本の保守反動体制の打倒 」「 米国の日本軍事支配の打破 」そして「 毛沢東、レーニンふうの変革 」と、共産主義革命のような、中国べったりの政治目標を叫ぶのである。 日本の外務省の中枢にこういう見解の持ち主がいて、対中外交を運営していたのである。 (産経・小森レポートより) |