無期懲役 西沢裕司君
テーマ:コミュニケーションそこから先の事は、興奮状態にあるだろうし、私にも分からない。しかし、西沢裕司君の心情は、涙が出る程よく分かる。彼は後に、アスペルガー症候群と診断を受けたが、殺したのは機長一人でも、多くの人命を危険にさらしたと言う事で、無期懲役になった。
その後、あの、幅20mの大きな階段には、ゲートすら付けられず、西沢君の代わりに雇われた、警備員が、たった一人、立っているだけである。
私は、今起き始めている、格差社会に怖れおののいて居る。(注:この記事が書かれたのは、リーマンショック前、今から1年半前の、2008/4/12)格差ったって、貧乏人と金持ちの格差じゃない。私は、成功者が、多くの報酬を得る事は、当然だと考えて居るし、彼らが、浪費する事で、社会が活性化すると考えて居る。私が怖れているのは、「貧貧格差」だ。ホームレスは増え、一方で生活保護は受けづらい。25年間国民年金を積み立てても、月に2万5千円しか貰えない。一方、創価学会の熱心な活動家は、都営住宅に入り、簡単に生活保護を貰い、生活保護には、さらに住宅手当迄付いて、パチンコの日々。これを格差と言わずして、何が格差だ。共感しないはずの私でも、北海道伊達市で、行方不明になった少年や、どう見ても、自閉症に見えるホームレスとは、繋がって居る様に感じる。酒鬼薔薇聖斗とも繋がって居るし、全日空ハイジャック事件の西沢君とも繋がって居るし、岡崎市の「人を殺して見たかった」少年とも繋がって居る。つまり、明日は我が身って事かな?私も、誰か自閉症の事を、きちんと語ってくれる人が居れば、その必要が無いんだけど、ネット上には何処にもない。そして、此処に来ている人達も、やはり同じ様に、行く所は無いはずだ。だから、クソチンコにガセメールを流されても、日本自閉症協会のホームページにアクセス出来ずとも、誰彼と無く裁判を掛けられても、私は、書くでしょう。 レッサーパンダ男が、創価学会の信者で、事件を起こす前の日にも、熱心にお題目を唱えていた事も、大阪教育大学附属小学校で、児童殺傷事件を起こした詫間も、創価学会の信者だった事は、無い事にされちゃったな。 (今日は変な日、まとまらない日)
2008/4/12(土)のブログ 復元記事
幼児投げ捨て男の様子が報道され、吉岡一郎君と分かった。顔もニュースに出て、名前も分かり、さらに良い事に、施設の対応の様子も、きちんと報道された。(多分フジテレビ)今から、35年前頃から吹き荒れた言葉狩りは、一応下火になり、自閉症の子供が、不可蝕賎民から、人権を与えられ、一般の社会人として扱われた。知恵遅れでも、自閉症でも、きちんとした人間だ。犯罪を犯せば、当然罰は受けなければならない。但し、量刑については、定形発達の立派な人達で、決めてくれ。吉岡君の事も、ハイジャック事件の西沢君と共に憶えておこう。
2007/1/19(金)のブログ 復元記事
事件の内容を、思い出して貰えば分かるが、何故か被害者は、「強い働きかけ」をした当事者では無い。皆、一見関係の無い相手を、被害者に選んでしまう。此の、拗くれ具合が、また、アスペルガー症候群を良く表している。「強い働きかけ」をしている正体が、はっきり見えていれば、その向かう方向も分かる。ところが、アスペルガー症候群は、「強い働きかけ」を、されているにも係わらず、その正体が見えない。或いは「嫌な事を言うのは、あなたの為を思うから。感謝しなさい。」この言葉を真に受けて、どんなに苛められても、どんなにイビられても、苛める相手から離れない。このケースも、根は同じだ。「自分の為に叱って呉れているんだから、逆らってはいけない」しかし、身体の底、脳みその底、無意識の底に、何かが蠢く。釈然としない。釈然としないモノを、どうやって解消するか。解消する為の正義(正解)を求める。「年寄りはもう先がない。居なくたっていい存在だ。しかし、若いお前は未来がある。だから、お前に説教するんだぞ」毎日毎日言われ続けても、何か、何処かで釈然としない。「年寄りは、居なくてもいい存在」に意味を見出し、その釈然としない気持ちを晴らす。結果、悲劇は、「強い働きかけ」をした正体では無く、定形発達から見たら、全く見当違いで、解消される。
レッサーパンダ男については、私にはさっぱり分からない。(この件は後日)
しかし、他のケース、酒鬼薔薇聖斗の事件、2000年5月愛知県豊川市で起きた主婦殺害事件、1999年7月全日空ハイジャック事件の西沢裕司(29)君。彼らのケースは、おおよそ似た状況にあったと、私は考えて居る。実は、こんな話を、NHKを含め、いくつかの場所に、訴えた事が有るんだけど、誰も相手にしないよな。きっと真実味が無いんだろう。 私には、定形発達の世界は、分からない事だらけだ。
2008/4/11(金)のブログ 復元記事
今月の始め(2009年4月復元記事)から4月9日の書き込みを読んで欲しい。私が、ホームページ(現在強制削除)、ブログ(現在表示停止)を書き始めたのは、酒鬼薔薇聖斗の事件が、起きたからである。当時、やたらと「心の闇」と騒がれたが、誰一人、其処に辿り着けそうな人は居なかった。私は、あの事件を知った時、まるで、私の分身が其処に居た様な気になった。「何故、こんな簡単な事も分からないのか。何故誰も知らないんだ。」知らないのは当然だ。知っている私の方が、異常者なんだ。事件を契機に、アスペルガー症候群に目が向けられそうになった。ところが、今度は、クソチンコだ。ADHDだ、LDだ。糞味噌一緒で、広汎性発達障害、皆仲間で皆一緒。と言う事になった。酒鬼薔薇聖斗の真実からは、ますます離れ、岡崎では、少年が近所の老人を殺し、レッサーパンダ男(此については後日)は、本当に若い女性を殺し、母を殺し、父を殺す少年の報道が続いた。しかし、皆が軽く言う「心の闇」は、そのままで、巷では、「彼は、人の心が分からないのです。だから、人の心を考える様にしよう」と、NHK教育テレビで、堂々広告される様になった。其処には真実は無く、クソチンコのガセネタと、杉山と辻井の妄想だけの世界が、堂々とまかり通っている。私が一番始めに考えた、事件を起こした少年達の、心理の組立は、昨日(4月9日付け 働きかけ 復元記事)の書き込みで、何とか上手く書き表せたのではないか、と思う。この書き方なら、定形発達の人でも、「心」ある人ならば、理解出来るのでは無いか。2003年から5年。私は此が言いたかった。此を言う為に、多くの人を巻き込み、話し相手になって貰って居たんだな。実は、妻の母が死に、今日が葬式だ。しかし、葬式には二人とも出ない。これは、別の理由からね。葬式に伴い、また、色々勉強もした。時を同じくする様に、私が求め続けていた言葉が出てきたと言う事は、何か不思議な感じがする。弔電無用。
2008/4/10(木)のブログ 復元記事
では、SAMの形成に役立つ様に強く働きかけ、大人になったとしよう。ある子供は、「人の気持ちが分からない」(無神経)だった。それが、強い働きかけで、(人の気持ちが良く分かる)「他人の顔色ばかり、窺っている大人」になった。彼は、ある日、何故自分が、こんな大人になってしまったのか考える。同僚からはバカにされ、女子社員は、鼻も引っかけて呉れない。何一つ、自分の思い通りにした事が無い。ある子供は、「一つの事しか出来ない」(不器用)だった。それが、強い働きかけで、(バカが付く程便利な)「一度に、幾つも仕事をこなす大人」になった。同僚からはバカにされ、ベンリーマンと呼ばれている。二人は、ある日考える。俺は一体何を、誰の為にしているのだろう。物事、比較して初めて分かる。自分の人生と、それを要求した連中。しかし、自分が知っている自分の特性。「俺は、人の気持ちを察するのが下手なのに、人の気持ちを、考えろ考えろと言ったアイツ。オマエが、一番俺の気持ちを考えて居ないんじゃないか。」「俺は、一度に二つ以上の事をするのが苦手だ。それを、それ位出来るだろう。男ならやれて当然だ。と強要してきた。オマエが、俺を便利に使っただけじゃないか。」時間が経って、自分自身について、初めて気付いた時、しかし、その時は、人生ほとんど終わりに近い。この時、彼らは何が出来る?彼らは、過去を恨むしか出来ない。これは不幸だ。そして、今、強い働きかけをしている人達は、将来、恨まれる対象になると、考えて居るだろうか。考えて居ない。考えて居たら、そんな商売出来ないからな。それでも尚、考えもせず、考え付かない脳天気な連中が、自信たっぷりに、子供に説教垂れてるんだな。これが、一番困るんだな。
2008/4/9(水)のブログ 復元記事
10才迄に働きかけをすれば、SAMの形成に役立つ。残念ながら、これは「推論」だ。何故なら、自閉症(アスペルガー症候群)の子供に、働きかけを行い、その子供がどう育ち、人生を全うする迄、観察した人なんか未だに居ない。私が話している「SAM」は、人間として、生まれた時に常備している「SAM」。コンピュータで言えば、ハードウエアの部分の事だ。フロッピードライブの無いパソコンに、フロッピーを差し込もうとしても、フロッピーを差し込む事は出来ない。「人の気持ちを考えなさい!」と強要する事は、「何処かに、隙間があるから、フロッピーを根性で差し込め!」と言っているのと同じ事だ。では、ある医師が、働きかけで「SAM」の形成に役に立つ、と言うなら、実は、ソフトウエア、プログラム上の事だ。フロッピードライブを持たないので、フロッピードライブを持つ人の所へ行き、データをUSBメモリに書き換え、そのUSBメモリを持ち帰り、自分のUSBスロットに差し込んで、初めて確認出来る。と言う事だ。片や、意識する事無く、無意識で、フロッピーを利用するパソコンと、片や、フロッピーを手に持ち、どうしたモノかと、ひたすら知恵を絞り、あちこちに掛け合って、漸くデータを取り込めた、パソコンとの差。実は、此処に来た、きちんと、まともな「診断」を受けた「キーちゃんシスターズ」(或いはボーイズ)は、皆、10才以前に、「SAM」の形成に、強い働きかけ(日常生活のしつけ)を受け、見た目上のSAM、つまり「疑似SAM」を作り上げた、選りすぐりの面々なんだ。ところが、無意識でフロッピーを使っているのと、他のパソコン迄巻き込んで、必死に、USBメモリを使う事を、考えついた連中では、その疲労度がまるで違う。その結果、耐用年数に満たないうちに、くたびれた連中なんだ。オレもそうだ。若い内に、働きかけ、超高速で、フロッピーから、USBメモリへのデータ書き換えが、出来る様になったからと言って、一体どんな良い事があるのだろう。親から見て、「まるで、他の子供と同じに、見える様になったわ」と、満足するだけ何じゃないか?彼は本当に幸せなのだろうか。私が言いたいのは、そこの所なんだな。人生観にも係わる事だし、時間は前に戻せない。幸せって一体何だろう。しかし、私が受けた「SAMの形成に役立つ働きかけ」は、幸せじゃ無かったな。
2008/4/8(火)のブログ 復元記事
出張の合間に、バロンコーエンのマインドブラインドネスを読み返していた。本の前半は、「心」と言うモノの定義、「心」は無意識で働いてしまう、自動プログラムである事を、手を変え、品を変え、しつこく、諄い位書いている。私は、「心」を持たない方だから、「心」が、単なる脳内の電気信号であると言われると、簡単に納得出来るし、この諄い部分は読み飛ばしていた。しかし、「心」を元々持っていて、それも、無意識下で自動で働いてしまう人達には、「心」が「電気信号」である事を、理解する事は、どんなに知能を総動員しても、簡単には、本質を、理解する事が出来ないのかもしれない。だから、バロンコーエンも、その部分を、ひとっ飛びにしないで、ダーウインの進化論や、その他の論文を総動員して、書いているのか。一時期「心の理論」は、その意味も分からずに、あちこちで、その言葉を見かけた。実際、「心の理論」と口に出す人に限って、理解していない人がほとんどだったけどね。只、その言葉を知る事に、まあ、意味があったのかもしれない。「心の理論」は、発言はしないが、知性が高い人達には、受け入れられて居るみたいなんだが、杉山登志郎や、辻井正次は、もう「心の理論」は、無かった事になっている。この辺は、また改めて詳しく書くが、愛知県の人達は、この名前をよく覚えて、近づかない様にした方が、身の為だし、絶対子供を預けたりしない様に。 それだけが、私の心配です。
2008/3/29(土)のブログ 復元記事
このブログを書いている、本来の目的について、考えて見る。このブログは、自閉症の諸君、施設に入って居たり、施設に通っている自閉症、彼らが、施設で上手く、係員の人達と生活出来る様に、或いは、施設の人々の何かのヒントにでもなれば良いと思い書いている。さらに、診断を受けた、話せる自閉症(アスペルガー症候群)の諸君が、なんとか上手く生活出来る様に願いながら書いている。最後の目的は、「ニキリンコ」「泉流星」或いは、その一派によって、アスペルガー症候群だと思い込まされた人達に、別の道を示す事にある。若い頃は悩む。とにかく悩む。ひきこもりであるかもしれない。そんな彼らが、アスペルガー症候群だと言いくるめられたら、或いは、アスペルガー症候群だったら良いな、と思い込んだら、彼らに救いの道は無い。何故なら、彼らは自閉症では無いからだ。私の話も、やはり、文字でしか無い。話を読んでいると、まさしく、自分も自閉症だと考えるかも知れない。ところが、実際、現物、実物を目にすると、定形発達の中での「僅かな違い」と、定形発達と自閉症の「明確な違い」は、驚く程大きく、「百聞は一見に如かず」という通り、「人」と「ヒト」の差が明確に分かる。自分が、自閉症であることが、自分自身が救われる道だと考えるなら、迷わず精神科で診断を受けて欲しい。どんなに、診察まで時間が掛かっても、3年も待てば、診断の道が開ける。「村上由美」や「村上真雄」の様に、商売で、「自称自閉症」をしている人間は、「自称自閉症」のまま、10年経っても未だ診断を受けないし、恐らく診断は受けないだろう。(商売に差し支えあるからね)違えば、違うなりに救いの道はある。例えば「斉藤学」先生の本とか。斉藤学先生は、人間の根源的な悩みについて、ずっと考え、治療してきた人だから、そのノウハウと蓄積は物凄い。もし、このブログに救いを求めるならば、得る物は無いかも知れない。唯々、興味があって見続けるなら、是非参加して欲しい。昨日の話(3月5日記事 天使と悪魔)等も、もっと詳しく調べなければならない、テーマであるのだ。
2008/3/6(木)のブログ 復元記事
コメント:
いつも拝見させていただいています。
最終目的のところで書かれていることは、まさに私が思っていたことです。
私自身は診断(ウエックスラーテストと脳波テスト済み)をもらってはいますが、chipさんのこのブログを読んでいると「いや、自分はやっぱりそうではないのではないか」
と思うと同時に、やなりその中に自分自身の生活に大きなヒントとなることを与えていただいています。
【投稿者:さかい 2008年3月6日(木)23:11】
余談ですが、昨年の12月26日の「指針」というブログは普通の人でもどれだけこの件に関して真剣に取り組んでいるかは疑問です。しかし、chipさんのブログでの姿勢を見ている限りきちんと実行されようと努力されていると思います。
これからも私のような人間に対しても、ある意味でそれは救いなのですが、書き続けていただきたいです。
がんばってください。
【投稿者:さかい 2008年3月6日(木)23:18】
自閉症について、書かれた本は飛躍的に増え、しかし、クソチンコ本の様に、害にしかならない本が増えた。それらの本は、アスペルガー症候群の子供を持った親や、教師の参考になる事はあっても、アスペルガー症候群の本人に向けて書かれた本は無い。つまり、私達が生きて行く上で、何かの役に立つ様な本は無い。では、私達(つまり、自分の正体を知ってしまった、アスペルガー症候群の成人)は、どうやって生きて行けば良いか。【幻覚幻聴がある人は、統合失調症だから、含まれない】私が、僅か50年の人生を振り返って思う事は、二つだけだ。一つは「犯罪行為をしない」事。若い頃は、スピード違反や、駐車違反で良く捕まった。何でオレだけと言うぐらい、誰も捕まらない様な所で捕まった。学校でもそうだった。とにかくオレだけ、よく見つかる。皆と同じ事をしていても、見つかる。実は、他のみんなは、私が見えない何かを見て、或いは、気付いて、捕まらない様にしているのだ。私は、もう、捕まる様に出来ているんだ、と諦めた。だからこそ、「犯罪行為はしない」と決めた。どんな些細な事でも、オレがやれば捕まる。だから「しない」。交通法規も、「歩く交通法規」と言うぐらい、頭に入っていて、注意している。もう一つは、「真面目に生きる」。真面目とは何か。概念が理解出来ない自閉症に、真面目の概念が分かるか。分からなくても良いんだ。「真面目に生きる」「誠実に生きる」。「真面目とは何か」「誠実とは何か」、毎日それを考えながら生きれば良いんだ。その時、誠実と思って取った行動が、年齢を重ね後から考えると、もっと他の誠実な対応があったかもしれない。しかし、それでも良いじゃないか。とにかく、その時、自分自身で「誠実」だと考えて、行動したのだからそれでいい。人生、社会に出れば、それが最も難しい事かもしれない。それでも、「犯罪行為をしない」「真面目に誠実に生きる」この二つを、指針として生きて行けば、良いんじゃないか。私は強くそう思う。
追記:だからこそ、不誠実、犯罪行為は絶対許さない。命が尽きるまで、追い続ける。
2007/12/26(水)のブログ 復元記事