ミステリー作家・藤岡真のみのほど知らずの、なんでも評論

机上の彷徨

このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。

             検証ごっこ(2009/10/02)



 前のエントリで「権利」はあるが、「資格」はないと言わせてもらった、某氏――という言い方ももはや意味がなさそうなので、mailinglistと具体的な書き方をさせてもらうが、この方が、自分は本当に無資格者であるということを、またぞろ「トンデモない一行知識の世界」で証明してくださった。
 星新一編訳;アイザック・アシモフ『アシモフの雑学コレクション』の中の文章を引いてこう評している。

 ■輪廻する指揮者たち

バーンスタインの急病で、チェロ奏者だったトスカニーニは、指揮者としてのチャンスに恵まれた。そのバーンスタインも、ブルーノ・ワルターの急病のため、補助指揮者から昇格することができたのだ。(星新一編訳『アシモフの雑学コレクション』より)

んなわきゃない。んなわけなさすぎるので誰もが笑って、星一流のジョークだろうとおもって、つっこみをいれずに幾星霜。二十二刷である。そういえば、中学生の私はここが気になって星を信用できないと思ったのだった。

このくだり、すっかり忘れていたが、原書を繰っていて思い出した。なつかしー。原文をかかげておく。

Both Alturo Toscanini and Leonard Bernstein got their big opportunities as conductors when they were called upon to substitute. Toscanini, a cellist at the time, took the podium at the opera house in Rio de janeiro and conducted Verdi's Aida from memory. Bernstein substituted for an ailing Bruno Walter in Carnegie Hall, and his performance as conductor made the front page of newspapers in new york the next morning. He had been, under walter, an assistant conductor of the New York Philharmonic.("ISAAC ASIMOV'S Book Of Facts")


 上の引用が原書のままだとすると、なんでアシモフは“new york”を小文字で書いたのだろうか(「新しいゲロ」だぜ、これじゃあ)なんて思うのだがそれは、措いといて。この方、「トンデモない一行知識の世界」のコメント欄で、同じ星新一の文章を、こう決め付けている。

 星新一は『雑学コレクション』で確実に一件はガセをかましていたことが確定したようですが、どう思われますか? 星を激怒して許しませんか?
これ、どう考えても誤訳じゃないですよね。面白がってガセのままで残したと考える方がより自然です。


 どうしてどう考えても誤訳じゃないですよね。面白がってガセのままで残したと考える方がより自然です。と考えたのだろうか。わたしは星の一文は、星の無知からきた誤訳だと思う。これは、むろん推測に過ぎないが、星があえてガセを書くなら、もっとずっと面白いことを書くと思うからだ。唐沢じゃないんだからね。
 アシモフの文章を試訳すると。

 アルトーロ・トスカニーニとレナード・バーンスタインは共に、代役を要請されたとき、指揮者としての大きなチャンスを得た。トスカニーニ(当時はチェロ奏者)は、リオ・デ・ジャネイロのオペラハウスの指揮台について、暗譜でヴェルディのアイーダを指揮した。バーンスタインはカーネギーホールで病気のブルーノ・ワルターの代役を務め、その演奏は翌朝、ニュー・ヨークの新聞の一面を飾った。彼は、ワルターの下で、ニューヨーク・フィルハーモニーの指揮者助手だった。

 バーンスタインは1918年生まれ。トスカニーニがリオで喝采を浴びたのは1886年のことだから、バーンスタインの代役のはずはない。クラシックファンなら誰でも分かるミスだ。星がそうと知りながら、そんなすぐばれるようなガセを書いたとは思えない。二人の関係を知らずに、「代役で出世した」ことを強調するためか、“Both”という単語に惑わされたのか、ワルター → バーンスタイン → トスカニーニという「輪廻」を作ってしまったのだろう。
 星新一だって故意かついか、ガセを書いてるじゃん。星を激怒して許しませんか?って論旨なのか。こんなことで激怒なんかしないよ。
 毎ページにこのくらいのガセがいくつも掲載されていれば、激怒するけどね。

 唐沢の本とか、kensyouhanさんの真似をして検証ごっこしてるあんたのblogとかさ。


     だからおれは言ってやったんだよ(2009/10/02)





 昨日、道場で師範代から、妙な話を聞いた。

 本部道場に、いきなり電話(公衆電話から)してきて、名乗りもせずに「会長を出せ」と言った奴(男)がいたそうだ。師範代が不在と答えると、お前は誰だと訊いてきた。師範代が無作法ぶりを咎めると、「そこに藤岡真という奴がいるだろう。そいつはおれの悪口をネットで書き捲くっている。会長から、そういう卑劣なことは止める様に言ってやってくれ」と返してきた。さらに、道場には子供なんかも習いに来ているんだろう、子供たちの前で、自分はこんな卑怯なことをしてきましたと謝罪させろとまで指示したそうだ。さすがに師範代も怒って、なにか頼みたいのなら、直接道場まできて頭を下げて頼めと答えたら、電話は切れたという。

 こんな形で拳道会に迷惑をかけるようなことになるとは思わなかった。おれはその旨を師範代に詫びた。師範代はきっぱりと、全く気にする必要はありませんと答えてくれたが、電話の主に対してかなり憤慨していた様子で「誰だか心当たりはありませんか」と訊かれたので、「さあ、わたしは敵が多いですから」とだけ答えた。

 悪戯電話でうさを晴らすというのは、誠に餓鬼染みたやり方である。電話でのやりとりを、そいつは脳内変換して、
「拳道会の会長に直接言ってやった。お前の弟子は卑劣だから、教育し直せってな」
 という武勇伝になるのだろうな。

 電話の主の心当たりに関して、おれは道場では一言も口にしていない。
「あ。ひょっとしたら――」
 なんて個人名を口にしたら、本気で諌めに(殴りにじゃないよ)いきかねない人間が、何人もいるからだ。拳道会とはそうした団体であるということを、一言申し添えておく。

 


          唐沢俊一の劣化コピー(2009/10/01)



※午前中、同様のエントリを書いたのですが、以前に書いたときは個人を(直接は)特定していなかったことを忘れていたので、書き変えます。あしからず。

 いやはや、トンデモない一行知識の世界のコメント欄に乱入してきて、ネチネチと愚説を開陳しているお方がいる。2ちゃんでも話題になっているから、皆様ご存知だろう。このお方、よそ様の家には土足で踏み込む癖に、わたしや京都大学の安岡先生がご自宅(blogのことね)をお訪ねしたら、パニック状態になったことは以前も書いた。だから、本人のコメント欄には書かず(トンデモない一行知識さんのblogもこれ以上汚したくないので)、気を遣ってここに書く。
 このお方、コメント欄に書かれた、

 「あの『百年の孤独』のマルケスさん

 というフレーズに異常に反応し、鬼の首でもとったかのように、

 う~ん、マルケスではなく、ガルシア=マルケスなんですが。

 と書き込んだのだ。これに対し、マルケスという書き方だって不都合ではないと言った指摘が返されたら、

 英語版ウィキペディアでは「ガルシア=マルケス」か「彼」に統一されています。
 
 松岡正剛や素人なんかの怪しい表現なんか典拠に値しない

 ガルシア=マルケスを日本で有名にしたのは安部公房あたりで、それを筒井が追いかけたのだと思いますが、どちらもマルケスと呼んでいて、それが伝播しただけでしょう。スペインに関する無知の問題でしょう。


 とむちゃくちゃな反論をする。だいたい英語版wikipediaでは"García Márquez"と表記されているのだから、「ガルシア=マルケス」の根拠にも何にもなっちゃいない。おまけに、松岡正剛、安部公房、筒井康隆を「怪しい」「無知」と切って捨てるのだから、お前は何様のつもりだよと言ってやりたくなる。

 ま、このお方の日記、毎回と言っていいほど無知をさらしている。そんな中で一丁前に唐沢検証なんかもやっていて、8月26日には、こんなことを書いている。

 ■フライングソーサーは「飛ぶ皿」である、そして、円盤投げの円盤が飛ぶのは当然だ

唐沢俊一は空飛ぶ円盤という言葉の語感を愛でていたが、フライングソーサーの訳語としては問題がある。アメリカ人が読み込んだ、間抜けな印象がふきとんでいるからだ。ケネス・アーノルドは「飛ぶ皿」の提唱者としてバカにされて(本人の責任ではないが)、「十階建てのビルが空を飛んでるといわれても驚かないよ」と、しょげるような、あるいは強がるような冗談をいったらしい。

円盤投げは英語ではディスカススルーというらしい。飛ぶ皿はないだろうとおもった日本人記者(この人は誰なんだ? こっちの人こそ取材してよ唐沢俊一!)が、円盤投げから表現をいただいたことは想像しやすい。もちろん、それが真実と決まったわけではない。


 なにを寝ぼけたことを書いているのかね。ケネス・アーノルドがフライング・ソーサーと表現したのは、彼が目撃した未確認飛行物体が「水切りで飛んでいく皿」のような動きをしていたことについてであり、物体そのものの形状は"crescent"=「三日月」と表現しているのだ。

 フライング・ソーサーが形状と勘違いされたせいで、この後の目撃例の形状が総て「皿型」「円盤型」というのが何を示唆しているのかを考えれば、自ずとUFO問題の本質は見えてくる。円盤投げがどうのと能天気な空想をして、本質をスルーするあたりもまさに本家唐沢の劣化コピー。

 まあ、こんな方でも唐沢を批判する権利は当然ながらある。でも資格があるとは到底思えない。


          事実は小説より奇也(2009/09/30)




           お楽しみはこれからなのだが

                                  

 一、二週間に一度くらいの頻度で、自分の名前をネットで検索している。まあ、自分捜しということなんだが、要は、ネット書評をチェックしているわけです。最近は、唐沢俊一がらみのエントリが多くて、新刊を上梓したばかり(2か月たったけど)の割には、なかなか純粋な書評は見付けられない。
 そんなことをしていて、先週、『ゲッベルスの贈り物』の書評がアップされていたのに気付いて、早速読んでみて驚いた。

 ネット書評も、プロ、セミプロ、アマチュアと玉石混交の状態だが、アマチュアが明らかに読み違えて、トンチンカンな書評(えてして酷評)をしているときには正直頭にくる。よく、「苦笑」なんて書き方をする人がいるけど、おれの場合は全然笑う気になんかなれない。「読み違えて」と書いたけど、以前、そうした書評に関して苦言を呈したら、案の定2ちゃんねるに、「そもそも、読み間違えられるような小説を書くのが悪い」と正論を書いた奴がいて、これまた不愉快な気分になった。

 さて、今回発見した、トンデモナイ書評なんだが、これには正直言って、びっくりしてから苦笑するしかなかった。なんせ、この方、決して酷評ではなく、仕方ないのかしらと許して下さっているのだ。書評部分のみ、全文を引用する。一部ネタバレです。

 死んでいると思っていた人が死んでなかったり、あの人だと思っていたひとが、別人だったり。話が2転3転するので、スピード感はあります。ただ、殺し屋のドミノが父親の安全と引き換えに請け負った藤岡真の殺人を失敗したあと、どうしてその殺しの対象こと藤岡真と一夜をあかすのか、さらに結婚するような話になっているのか、殺し屋の方はどうなったのかとか、後半はチョッと無理のあるストーリーだなぁと思います。まぁフィクションだし、何でもありなんですけどね・・・。

 仕掛けた叙述トリックの出来不出来はともかく、ネタバラシした後もそれに気付かずに、最後まで騙されっぱなしだったら、なんだこの話狂ってるぞ! と怒るのが当たり前だと思うんだが、矛盾だらけのストーリーに怒りもせず、まぁフィクションだし、何でもありなんですけどね・・・とは、なんと鷹揚なんだろうか。このお方、プロフィールにはなにも書かれていないが、他のエントリから推すと、子供がいる女性らしい(これまた読み違いだったりして)。コメント欄で指摘して差し上げようかとも思ったが、やめておいた。この先の人生、勘違いしたまま終わる可能性は大きいけど、なんかのきっかけで気がつくとも限らない。そのお楽しみを奪う権利はないからね。
 うーん。よく考えると苦笑とも違うなあ。強いて言えば感動かも知れない。


             洋梨形の男(2009/09/28)



               参りました!


             洋梨

  いや、本書に収録されている『モンキー療法』というホラーなんだが。

 飽食と肥満というのは、ホラー小説のいいネタのようだ。宮沢賢治の『注文の多い料理店』がそうだし、スタンリイ・エリンの『特別料理』がそうだ。ロアルド・ダールの『おとなしい兇器』もその中に入れていいと思う。
 最近だと、平山夢明の『Ωの聖餐』が圧巻だろうな。Ωは死体を処理するために食べ続けて、ついには部屋一杯にあふれてしまうほどに肥大した怪物。このΩ、大量の脳を食べつくした結果大天才となって、身動きならず大小便の始末すら出来ないのに、数学の難問を次々に証明するようになる。この凄まじい設定には、ただただ舌を捲いた記憶がある(実は後に続くオチがまた凄いのだが)。

 『モンキー療法』は過食のため肥大化を続ける主人公が、何度もダイエットに挑戦して失敗し、最後にたどり着いた究極のダイエット法のお話。
 いや、今、ホラーの短編を書いてくださいな、と依頼があったら、おれはどんな話をでっち上げるだろうか。そう考えると、著者、ジョージ・R・R・マーティンの発想は、全くおれなんかとは次元が違うと思えるのだ。
 短編だから、内容には触れない。面白いし、怖いし、とっぴょうしもない話なのに、妙に現実感がある。『モンキー療法』はなにかの隠喩なんだろうか。そう考えても、考えなくてもこの話はとにかく面白い。
 そして、なによりこの短編集、本作以外にも5作の傑作が収録されているのだから、こりゃあ買いでしょう。

 『洋梨形の男』 
 ジョージ・R・R・マーティン 中村融 河出書房新社 2009


           ブラックウッドの件(2009/09/26)




         blogのコメント欄と雑誌の投書欄


 地方から東京に出てきて、誰にも相手にされなかった餓鬼が、やっと自己主張の場を見つけたのが「ぴあ」の投書欄だったという哀しい事実がある。どうやら、このブラックウッド(黒木さん?)というお人にとっては、唐沢俊一検証blogのコメント欄というのが、同様の救いの場のようだ。

 なんのことやら分からない方も多かろう。リンク先のコメントを読んでもらえば、一目瞭然だとは思うが、不愉快な気分になるだけなので、強くお薦めはしない。
 要はkensyouhanさんの検証の仕方が気に入らないので、あーせいこーせいといちゃもんをつけているだけなのだが、慇懃無礼(唐沢君、意味分かる?)でみっともないこと限りない。2ちゃんねるでも、「だったらお前、自分でやれよ」という至極もっともなレスがいくつかあった。
 目に余るのでつい、コメント欄でたしなめたのだが、頭の悪いコメントを返してきた。ROMに徹すると言っているが(ネタが尽きたのねw)、これ以上検証blogを汚したくないのでここに続きを書く。
 ブラックウッドの馬鹿さ加減はリンク先のコメント欄(同じblogの他のエントリにも出没してるからチェックしてね)を見てもらうとして、以下、おれのコメントブラックウッドのコメントを引用するんで読み比べて欲しい。

 2009/09/26 07:19 >ブラックウッドさん
 要は「自分が気に入るような検証の仕方をしろ」ってことなんでしょう? 自分でやればいいじゃない。あんたがやってることは、パスタ屋に来てうどんではないと難癖つけてるようなもんだよ。みっともない。


 >藤岡真さん
 >要は「自分が気に入るような検証の仕方をしろ」ってことなんでしょう?

 違います。

 >自分でやればいいじゃない。あんたがやってることは、パスタ屋に来てうどんではないと難癖つけてるようなもんだよ。みっともない。

 私としてはkenshouhanさんの行われている検証は、検証としては問題ないと思っていますが、「この方法では届かないだろうな」と思ったので書き込ませていただきました。

 私としては贔屓のブログに違和感を感じつつも追従を続け、後になって「おかしいと思っていた(けど黙っていた)」では不誠実だと感じたので書きました。
 ご迷惑なようですので、この書き込みを最後にROMに徹します。


 この人物は自己矛盾に全く気がついていないようだね。

 >要は「自分が気に入るような検証の仕方をしろ」ってことなんでしょう?
 違います。


 これは、自分(ブラックウッド)が欲するような検証法を求めているわけではないと断言しているととっていいよね? ところがそれに続く文章では、

 「この方法では届かないだろうな」と思ったので書き込ませていただきました。


 つまり、届く方法でやれと言っているのではないのか。なにが「違います」だよ。支離滅裂な長文を開陳して、「ああ、世間から注目され、一目置かれている自分ってかっこいい」と酔っている姿は、ぴあの投書欄に降臨し、散々軽蔑されていたのに陶酔していた唐沢俊一の姿に、ぴったり重なっている。

 ご迷惑なようですので、この書き込みを最後にROMに徹します

 だったら、最初からしゃしゃり出てこないように。


          唐沢俊一検証コミュニティ(2009/09/25)



              
            mixiやってる方限定


 小生の元マイミク「猫遊軒猫八」さんが、唐沢俊一検証コミュニテイを立ち上げました。
 興味ある方は、是非参加して下さい。


メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット (2009/09/24)



                スネーク!


             4


 以前、プレステ3を買ったので、12月にFF13が出るまでは、暇つぶしにメタルギアでもやろうかと書きました。実はとっくにクリアしていて、mixiには感想も書いたのですが、連休中に2周目をやり、最初に感じたことが再確認出来たので、それについて書いてみます。

 Wikipediaによれば、このゲームの評価は異常に高くて、

 日本の『ファミ通』のクロスレビューでは史上8作目の40点満点を獲得、海外の大手ゲーム雑誌のGame Informer、大手ゲームサイトのIGN、GameSpotでも満点を獲得。 ゲーム機関の1UP、GameSpot、PALGNで最優秀賞であるGame of the Yearを獲得、Joystiqでも2008年のナンバーワンゲームに選ばれるなど数々の賞を受賞した。2009年時点で、週刊ファミ通で合計で94部門受賞したと発表された。また当誌で、エンターブレイン社長浜村弘一は、「ゲーマーなら、このゲームをプレイしなければ必ず後悔する。」と称賛している。

 なのです。これは期待は高まろうというもの。

 結論から述べる。
 ナニコレ?
 冗長、かつ複雑で悲惨なストーリーを精巧なCGムービーで延々と見せ付けられる。ビッグ・ボス、ビッグ・ママ、ソリダス・スネーク、リキッド・オセロット(リボルバー・オセロットにリキッド・スネークが乗移った)、ゼロ、大佐、愛国者達、アウター・ヘブン、アウター・ヘイブン(ああ、ややこし)といった登場人物、登場組織もムービーで詳細に説明されるのだが、なんだかよく分からない、というか分かった所で「はいはい、だからなんなのよ」といったものなのだ。小島秀夫は律儀な人間で、ユーザーに対し、たとえ1%でも不明の点を残しては申し訳ないと思ったのか、この説明のしつこく面倒なこと。かといってSkipしたりすると、もう本当に分からなくなってくる(一応説明すると、ビッグ・ボスは“メタルギア・ソリッド3”のネイキッド・スネーク、同じくビッグ・ママはEVA(!)のなれの果て)。
 こうした構成なので、我慢してムービーにお付き合いすると、ご褒美に5分間程度のミニゲームをやらせてもらえるという印象になってしまう。ミニゲームはいいから、はやく本来のゲームがやりたいよう、と思っているうちに、実はもう半分以上進んでいることに気付く。この喪失感は大きいなあ。

 市街戦で、歩行戦車“月光”が歩きまわっている世界。こんなところで、律儀にCQCを使ったり、隠れたりなんかしていられない。走って迂回して、邪魔な敵は撃ち殺す。そもそも隠れようにも、オクトカムという迷彩装置がなんとも中途半端で意味がないよな。だって、ステルス迷彩ってものがあるのにさ。
 途中から、「武器洗浄屋」ドレビンなる黒人が登場する。いわゆる武器屋(ドレビンショップ)ね。こいつが野原ヒロシの声で、延々とショップの仕組みを紹介するムービーが、また長いこと長いこと。しかも、これ以降、常にドレビンショップにアクセスが可能なので弾薬の補給は「戦闘中でも可能」という緊張感のなさ(ノーマルレベルでやっとりました)。
 で、あのメリルが登場するのだ。目鼻がちゃんとあるメリル。これがイメージと大分違うんだが、これは個人的な問題。メリルが出てきたというので、これに合せるかのように、ラフィング・オクトパス、レイジング・レイヴン、クライング・ウルフ、スクリーミング・マンティスといったかつての“メタルギア”の敵役を思わせる面々が登場するのだが、こいつらは全員女で、しかも戦いに敗れた後にも、戦闘服を脱ぎ捨ててゾンビのように(ビューティというのだと)襲い掛かってくる。こいつらを殺さずに自然死させると、フェイスカムという、変装用のツールが手に入るのだが……。こんなもん装着しても気持ち悪いだけでなんの役にも立たない。
 そして、後半のクライマックス、リキッドの潜水艦に乗り込み、スクリーミング・マンティスを倒した後(サイコ・マンティスが登場し、予想した通りの寒いギャグをかましてくれるが)、いきなりラブストーリーは展開するわ、スネークは気力だけで生き延びるわ、最後の戦いは爺同士の殴り合いかよ、だわ。アンチクライマックスの総動員。それから、それから延々とムービーが続き、出演者のタイトルが出た後、さらに長い長いムービーが……。

 この話が、最後まですっきりしないのは、主人公のスネークが、ホックスダイのウィルスのせいで、老化がどんどん進んで爺になってしまい、老衰死まで後数ヶ月という設定であることなのだ。スネークがヨレヨレでは見ていて痛ましいし、オセロットも爺、ビッグ・ママ(EVA)も八十過ぎ、ビッグ・ボスも瀕死の老人、ゼロは100歳越えで車椅子。では見ていて暗鬱な気分になってしまう。
 ラストは、爺3人が墓地で延々と人生の悲哀を語り、オシマイ。

 はやく、FF13やりてー!

 『メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』KONAMI 2008


            映画秘宝 11月号(2009/09/20)




             話題沸騰中ですよね


           秘宝


 唐沢俊一検証blogで盛り上がっている話題なんで、皆様既にご存知かと思いますが、コメント欄に地方ではなかなか手に入れにくい雑誌云々とお書きになっていた方もいたので、ここに全文を引用いたします。


 『映画秘宝 11月号』(洋泉社)

 オタク文化人の化けの皮をはがす執念の調査

 『唐沢俊一検証本 VOL.1 盗用編』
 執筆・編集 kensyouhan
 1000円(税込み)タコシェ店頭&ウエブショップで絶賛発売中

 世間的には『トリビア泉』のスーパーバイザーとして成功を収めた人、もしくは岡田斗司夫とのオタク漫才や村崎百郎との鬼畜漫才でブイブイ言っている文化人として認知されている唐沢俊一が、新書『新・UFO入門』の中で山川惣治の絵物語を紹介したくだりで、他人のブログの内容をパクッていたことが判明、騒ぎになったことは記憶に新しい。事件はそれだけにとどまらず、他の雑誌連載にもウェブ上の記事のパクリがあったことが発見され、ライターとして如何なものかという論議にまで発展している。その中でも熱心に唐沢俊一の言動をチェックし、その真偽を確かめ、過去にまで遡ってその行動を検証しまくる圧倒的なブログ「唐沢俊一検証blog」(http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/)が自らの活動をまとめたのがこの本。内容としては、『新・UFO入門』騒動の研究、トリビア本にもあったパクリと、容赦なしの調査の記録。その熱意たるや、世の中にこれ以上の唐沢俊一研究者は他にいないと断言して間違いない。中野の特殊書店タコシェでは『IQ84』を抑えてベストセラー驀進中なのだ! (田)
(P.103)

 『映画秘宝』 11月号 洋泉社


            人は地上にあり(2009/09/17)



              なにがカルトかよ


              人


 唐沢俊一検証blogのコメント欄に凄いことが書いてあると聞いて早速覗いてみた。2009-8-10の「唐沢俊一の処分および処分撤回問題」・その4に宛てた、SerpentiNagaというblog主催者のからのものだった。正確を期すために原本(横田順彌『古本探偵の冒険』学陽文庫)の解説から引用する。

 (註:横田順彌の著作を読んだ唐沢は)古書集めはこんなに知的な作業だったのか、と僕は興奮し、胸をときめかせた。同じころ、同じようにこのエッセイを読み、胸をときめかせた人物にと学会の藤倉珊がいる。後年僕と彼が出会って、「と学会」を旗揚げするのは、高校生の頃、同じく横田さんの文章を読んでいたことが縁だったのだ(太字は引用者による)。(P.306)

 唐沢は文庫化する際に、知的財産権をかっぱらうという性癖があるのだが、これまで何度も語られている、「と学会」創設のいきさつまで改竄して、志水一夫や山本弘の功績まで横取りしようとしたようだ。と学会の創設は、唐沢本人が、志水一夫の訃報に接してこう書いているのに。

 彼(註:志水一夫)が山本弘と藤倉珊の2人の、それぞれの同人誌を読んで引き合わせたことで歴史的な化学反応が起り、と学会の創設につながったというのは本人もあちこちで書いていて有名なエピソードです

『古本探偵の冒険』は1992年本の雑誌社から上梓された『探書記』の文庫版で1998年初版。うーん、10年以上もこの大嘘を見逃していたのか。唐沢のような輩がのさばるのも分らんでもない。

 いやね。久しぶりに『探書記』に手を伸ばしたのがきっかけで、横田順彌の本を読み直してみたんだが。『明治ワンダー科学館』『明治ふしぎ写真館』『古書ワンダーランド 1』『古書ワンダーランド 2』『快男児押川春浪 日本SFの祖』『明治バンカラ快人伝』そして、嗚呼懐かしや『日本SFこてん古典 1〜3』……。
 読んだ感想を正直に申し上げる。面白くない。いや、著者が一冊の本を読んで感じた疑問を解決するためまた別の本を漁り、全く関係がないと思われていた事象が一本の線で結ばれ、新たな地平を築いていく件は非常に面白いのだ。問題は、そうして集めてきた貴重な資料をもとに、一つのストーリーが書かれてもいいと思うのだが、横田は資料を集めたことに満足して、思考を停止させてしまうのだ。本来SF作家である横田は、その資料を基に小説を書いているのだから、文句を言われる筋合いはないのかも知れないが、「古書を探索する」という行為が突然ぶった斬られて、後は小説でお読み下さいというのは、いかにも残念なのだなあ。それに、これは全く個人的な好き嫌いの問題なのだが、おれは横田の明治ネタ小説が全く駄目なのだ。古書探索から滲み出てくる面白さが全然活きていない。はっきりいってつまらない。
 横順のエッセイを総て(蔵書の)読み終えると、おれの書棚では出久根達郎の著作が並んでいる。で、これを読み返しているんだけど、こいつはすこぶるつきに面白い。書籍に対する教養が桁外れに物凄いのだ。
 例えば"饅頭本"に対して。"饅頭本"とは葬式で葬式饅頭代わりに配られる、故人の文章や俳句、詩、友人による追悼文などを纏めた本のこと。市井の無名人のそれは古本屋の店頭で100円均一で売られている。しかし、それを購った出久根は、その中に登場する人物名の中に、有名人、著名人を見つけ、故人との関係を探求していくのだ。この過程は極めれスリリングだが、これも総て、著者の恐るべき教養を以ってから可能な業なんだろう。
 そうした、出久根達郎の著作の一つ。『人は地上にあり』の中の一節。

 唐沢俊一『カルトな本棚』(同文書院)は、「平成の世のカルトな人々をチョイスして、その人々の本棚をのぞかせてもらい、また、本集め、読書法、そして読書遍歴のことなどを、語ってもらったものである」。
 従って特殊な本棚ばかりだが、「カルトな人々」とは次の通り。肩書きは本書による。
 山本弘(「と学会」会長)、睦月影郎(ポルノ作家)、串間努(日曜研究家)、立川談之助(落語家)、佐川一政(作家)、奥平広康(危険物コレクター)、唐沢なをき(漫画家)、竹熊健太郎(編集家。注・編集者ではなく、編集家とある)、唐沢俊一(カルト評論家)。以上九人の書棚が、カラーとモノクロ写真で紹介されている。
 古本屋の私から見ると、別に面白いとも奇妙とも感じないが、普通の読者はどうなのだろう。
(P.73「本棚公開」)

 唐沢にしてみれば、身内を掻き集めて、どうだと見栄を切ったつもりなんだろうが、プロから見れば児戯に等しいということなんだろうね。

「カルトな人々」の本棚は、しかし、ごく普通である。当たり前の本であり、当たり前の並べ方である。持ちぬしの独持の体系は、頭の中にある、ということらしい。(P.74「本棚公開」)

 唐沢は「精神的に破産しかかった」とか「完全に病気だ」と大はしゃぎしているのだが、出久根達郎から見たら、馬鹿など素人がなに言ってやがんだってところなんだろうなあ。


『人は地上にあり』 出久根達郎 文春文庫 2002


現在地:トップページ机上の彷徨

検索エンジン:SEO対策 SEO対策実績 ホームページ制作 ホームページ制作会社 検索エンジン登録 無料ホームページ アバター ホームページ制作静岡