「日露戦役回顧寫眞帖」にみる日露戦争
(日露戦役百年)
(-あの日あの時-)
第一軍衛兵所における民間人に変装した露軍捕虜 満州方面によくみられる綿入の服を着ている 38/2/10
包帯所において処置を受ける露軍捕虜 38/3/12
露軍捕虜 日本兵の傍らにはサーベルと小銃が・・・この捕虜は騎兵? 37/7/3
新聞雑誌閲覧所 カタカナで書いてあるのは当時、義務教育を受けた一般兵はカタカナを解したためと
考えられる。昭和に入り事変が続くと派遣軍では防諜の理由から平仮名(大陸では漢字を解すため)で看板を書くようになる。
露軍一等軍医(軍医大尉)を送還
日本軍は露軍捕虜の内で衛生部員だけは捕虜とせず送還していた。
しかし、露軍は衛生部員も兵卒も関係なく捕虜にした。
日本軍前線を視察するドイツ皇族 ドイツは露国寄りだったので日本側はそれとなく情報を流してやったという。 37/10/27
第三軍外国観戦武官一行を見送る 
この戦いには各国が武官を観戦名目に投入。20世紀初頭の一大戦いを本国に伝えた。
観戦武官の中にはGHQで日本を統治する事になるマッカーサーの父親も含まれる。
英国は陸軍中将を送り込んだが実質はオブザーバーとしての性格がつよかったという。 37/9/17
法庫門軍政署 
占領地域の当地は一時的に軍政下に置かれる。これは何時の時代も何処の国でも同じこと。
右端のチャイニーズスタイルの男に注目。 彼は辮髪をしている。 清朝は末期であったが辮髪は絶対で
これを切れば国には帰れないほどであっという。 大陸には他に宦官(かんがん)もあり・・・日本人の理解の及ばない風習があった。 38/8/9
第三軍軍司令部将校 中央は乃木大将 
やけにヒゲが多いが明治には「ナマズ、ドジョウ」と裏で言われるくらいヒゲを蓄える軍人が多かった。 38/4/3
旅順要塞の露軍カノン砲
これで山の上からドカドカと撃たれつつ突撃を繰り返すのは流石に御免こうむる。 38/2/22