(cache) 西鉄電車沿線を楽しむ
西鉄電車貝塚線・名島駅から
名島神社・帆柱石・名島橋・多々良川(塩生植物, 歴史・・足利尊氏-興国寺-上野焼窯元)
市民プール・市民運動場・商店街・みなと100年公園・渡し場跡・岩見重太郎の碑
リンドバーグ夫妻の愛機「ロッキード・シリウス号」復元・展示
善兵衛の碑

"名島"の地名の由来
     
名島神社・名島城跡多々良川名島橋
名島神社は宗像三神(田心姫神・湍津姫神・
市杵島姫神)を祀っている。足利・大内氏の時代から庇護されて今日に至り、現在名島城跡の中に位置している。
名島城は立花鑑載(アキトシ)が立花城の支城として築いたとされる。豊臣秀吉が九州平定後、小早川隆景を筑前一国と筑後・肥前の一部の国主として、立花城へ。
立花城は険しい山頂にあるため水の不便等で
天正1588年に名島城を築城した
2級河川に指定されている多々良川は糟屋郡の砥石山を源流として総延長約17,4kmに及んでいる。
流域には古代の遺跡や遺物の発見や、歴史に彩られて滔滔と水を湛えながら博多湾へ流れこんでいる。
絶滅危惧種の「クロツラヘラサギ」等の渡り鳥の姿や「シロウオ」を呼び戻す活動も行われています。
河口は海水と淡水が混じり塩生植物など貴重な自然の宝庫として市民に親しまれている川です。
河口には西鉄電車.とJR鹿児島本線JR多々良川橋梁が架かり福岡の交通の動脈が見られます
多々良川は明治の初め頃までは渡し舟で往来していたと言われる。が多々良川河口に明治43年(1910年)総檜造りの橋が架けられました。そして、昭和5年から8年にかけて幅24メートル、長さ204メートルの巨大な鉄筋コンクリート造りの橋に架け替えられました。何故こんなに大きな橋が架けられたかという議論が沸く橋なのでもあるのです。現在国道3号線が走り福岡の交通の動脈を支えています。毎年8月の第一金曜日には、地元主催の「橋の日まつり」が開かれ、赤いベストを着た還暦祝い(平成6年以来)の橋柱がお目見えします。(東区役所発行 東区またまた再発見より)
     
名島海岸の帆柱石名島道筋の名前運動公園・東区民プール
名島海岸には神宮皇后に因んだ遺物が沢山あります。帆柱石は、波打ち際の9個の円柱形の石ですが神功皇后が新羅遠征から凱旋した時の御座船の帆柱が石になったとの言い伝えがあります。この石は樫属の珪化木の化石なのです。
又、名島海岸では貝堀りシーズンには沢山の人出で賑わいを見せています。
名島の街の道筋には歴史を語る名前が付けられて思いを深くしながら散策を楽しむことが出来ます。
「大名道り」・「引込み線通り」・「船頭通り」・「飛行場通り」・「発電所通り」・「ダンベ弁天通り」・「黒崎海岸通り」・「帆柱通り」・「リンドバーグ通り」・「内堀通り」
(あ・るっく福岡パンフより)
西鉄電車「名島駅」を下車して、商店街を抜けて福岡都市高速1号線に向かう途中に存在しています。運動公園、区民プールがある一帯は昭和37年まで九州電力鰍フ名島発電所があった跡地です。
     
火力発電所跡 飛行場跡岩見重太郎の碑
大正9年(1920年)に第一号機が竣工され、東洋一の発電規模を誇った。現在の県立名島運動公園のある辺りです。現在の名島交番の辺りから福岡都市高速1号線にかけての道筋を発電所通りと名づけられています。 昭和6年9月17日(1931年)空の英雄チャールズ・リンドバーグ夫妻が「ロッキード・シリウス号」でアメリカ〜アラスカ〜千島列島〜日本〜中国の調査のために、途中で立ち寄った名島水上飛行場があった場所です。昭和5年3月から9年10月まで、大阪、上海までの空路を結んだ。 名島城時代の武士、武者修行で妖怪やヒヒ、山賊などを退治したという伝説があり、小説や講談にもなった。架空の人物ともいわれ、元・小早川家臣で、大阪夏の陣で戦死した薄田隼人と同一人物とも伝えられている。 (あ・るっく福岡パンフより)

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