ミラー監督の解任について=「犬の生活・特別編」 (1/2)
千葉の「スタイル」構築に向けて
■フロントは「ブレた」のか?
ジェフ千葉のアレックス・ミラー監督が解任されました。解任そのものについては驚きではありませんが、タイミングについては予想外でした。第19節時点で降格圏の16位、ホームでわずか1勝ですから、解任そのものは不思議ではありません。分からないのは、千葉のフロントが「ブレた」のかどうかです。
三木博計社長のコメントを読むと、解任理由はシンプルに「結果」によるものでしょう。クラブがミラー監督に「成績」だけを期待していたとすれば、解任は合理的な判断だといえるでしょう。結果のために契約し、成績不振で解任した。ブレはありません。しかし、クラブがミラー監督の下に千葉の「スタイル」を作り上げようという意図があったとすれば、このタイミングでの解任が適切かどうかは分からなくなります。江尻篤彦新監督の指向するサッカーがミラー前監督と同じか、その延長線上にあるとすればブレはありません。「スタイル」を作り上げるには、どちらが適任だったかというだけの話になります。しかし、全く違うサッカーを指向するのであれば、「ブレた」ことになります。
ブレたとかブレないとか、政治家でもあるまいし、どうでもいいことかもしれません。おそらく千葉のフロントも、そんなことは考えていないと思います。とにかく必死なのでしょう。しかし、それでいいのでしょうか?
あまりにも「結果」が出なかったのでクゼ監督を解任し、ミラー監督も「結果」が出なかったので解任した。江尻監督も、期待どおりの「結果」が出なければ解任されるかもしれません。ノルマを達成できなかったら責任を取らせるのは、ビジネスの世界では当たり前です。しかし、サッカーはビジネスではありません。
すでに「スタイル」が確立しているか、少なくとも目指す「スタイル」が決まっているチームならば、より良い結果と内容を求めて監督を代える手はあります。また、危機的な状態で指揮官交代のカンフル剤を打たなければならないときもあります(今回、フロントはそう考えたのでしょう)。しかし、監督が代わるたびに「スタイル」がコロコロ変わるのはいいことではないと思います。「結果」のためなら「スタイル」なんかどうだっていい、もしそれがホンネであっても公にしてはいけません。それじゃあ、「愛」がなさすぎるからです。
■「スタイル」という愛の形
サッカークラブは、いろいろなファンの「愛」で支えられています。「金」ではありません。誰も関心を持たないようなクラブだったら、スポンサーだって付きませんよ。金の切れ目が縁の切れ目と言いますが、サッカークラブの場合は愛の切れ目が金の切れ目なのです。サッカーはビジネスではありませんが、無理矢理ビジネス寄りの言い方をするなら、ファンの「愛」に報いるためのサービス業ということになるでしょうか。
ここで「スタイル」が問題になります。「結果」が出ればファンは喜びますが、それは約束できないものです。勝負事ですから。目標は必要ですが、例えば「11位」という目標を達成したとしてファンは喜ぶでしょうか。「結果」はプレーした結果にすぎない。どうプレーした結果なのかが重要です。そもそも「強いからジェフが好き」というファンはどれぐらいいるのでしょう。昨季は降格しそうに弱かったけど、お客さんが減ったわけではない。
「ジェフのファン」も「サッカーのファン」になっていきます。逆のケースも含めて、チーム愛とサッカー愛は重なっていくわけです。そこでクラブは、「いいサッカーを見せる」という形でファンに応えていく必要がある。「いいサッカー」が何かは意見が分かれるかもしれません。なので、「スタイル」と呼ぶことにします。
ミラーさんは結果重視の監督でした。1−0勝利が理想という「スタイル」です。ただ、これはファンの共感を呼びにくく、Jで結果を出すにも不向きだった。解任時期は唐突でしたが、今後の展望も見えにくい状態でした。はたから見てそうであれば、現場はもっと“アシが早い”ですから、行き詰まり感があったかもしれません。
「スタイル」はクラブがファンに提示できる愛の形です。それがコロコロ変わることに何の抵抗もないとすれば、フロントのサッカーへの愛情そのものが疑われてしまいます。ファンの大半はチーム愛とサッカー愛を持ち合わせているからです。
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