麻生内閣は16日、民主党の鳩山由紀夫代表が特別国会で新首相に指名されるのを前に総辞職する。発足から1年足らず。「選挙の顔」として期待され、衆院選の勝利を「天命」と意気込んだ麻生太郎首相は、解散時期を逡巡(しゅんじゅん)した末、皮肉にも自民党政権に幕を引く役回りを担った。安倍晋三元首相や福田康夫前首相のように政権を途中で投げ出すことはなかったが言動にはぶれが目立ち、麻生色は最後まであいまいなままだった。【中田卓二】
首相は就任間もない昨年10月の参院本会議で、「衆院の解散という政局より、景気対策など政策の実現を優先したい」と答弁した。これが麻生内閣の基本スタンスとなり、以後、首相は解散を先送りしながら、追加経済対策に力を注いだ。
しかし、結果的に所得制限を設けなかった定額給付金を巡り、「もらいたくない人はもらわなきゃいい。1億円あっても、さもしく1万2000円欲しいという人もいるかもしれない」と発言するなど、政策決定までに迷走を繰り返す場面が目立った。自ら打ち上げた厚生労働省の分割・再編は政府・与党内からも批判を招き、撤回に追い込まれると、「最初からこだわっていない」と強弁した。
衆参両院で与野党勢力が逆転した「ねじれ国会」の下、法案審議にも苦労した。1951年以降なかった衆院での3分の2以上の賛成による再可決は、福田内閣の4回に対し、麻生内閣では8回に及んだ。
かねて懸念されていた「失言癖」は、首相就任後もたびたび顔をのぞかせた。小泉内閣で総務相を務めながら、「私は郵政民営化に賛成じゃなかった」と国会で答弁して永田町の失笑を買い、小泉純一郎元首相からは痛烈に批判された。
「(医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い」「たらたら飲んで食べて何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」などの配慮に欠ける発言で次第に国民の信頼を失い、漢字の読み間違いがこれに輪をかけた。
こうした中、自民党内には「麻生氏では衆院選に勝てない」と、就任時からすると手のひらを返すような声がわき起こり、中川秀直元幹事長らからは「麻生降ろし」の動きも浮上した。最後まで大きな流れにならなかったのは、小泉氏の退任後、安倍、福田、麻生氏と1年ごとに政権をたらい回しして、人材が払底した結果に過ぎず、それは衆院選惨敗後、総裁候補選びに四苦八苦する党の現状にもつながっている。
毎日新聞 2009年9月15日 東京朝刊